第28話 渡辺とさよなら
渡辺は、己の顔をパシン! と殴ろうとしたが腕が重くて持ち上がらない。トリモチの強力さに体力も限界に差し掛かって来た。
「渡辺が、覚悟を決めたぜ。蓬田、渡辺にエールを送るぜ!」
蓬田は、手下を鼓舞し、再び渡辺の応援を再開した。
「渡辺さん、勝って戻ってきてくれ!」
その声は渡辺と喧嘩していたダジャレの声であった。「これなんだな」と蓬田はシミジミと思った。渡辺は、いつもプライドを捨てたプレーでみんなを引っ張って来た。それを信じて応援する竜二。結局、この二人が中心に物事が進んでいく。
渡辺は最後の賭けに出ようとしていた。
「勝つには自爆しかねぇ!」
渡辺は覚悟を決め、金田に向って突進して行った。
「自爆! 竜二、どういう事だ!」
蓬田が尋ねると、竜二は尋常じゃない汗を顔にかいていた。
「渡辺は捨てる気だぜ!」
「何をだ?」
「決まってるぜ!」
渡辺は覚悟を決めた顔で金田に向って一直線に走って行く。
金田は渡辺の雰囲気からさっきまでとは一線を画す殺気を感じ、本能のままに後ずさりをした。後に「角が八本生えた水牛が見えた」と金田が語った渡辺の殺気。
「ファーストキスだぜ!」
その瞬間、土俵際から竜二のそんな声が金田の耳に届いた。
「え?」
その声に気を取られた一瞬、渡辺の両手が金田の体を完全に締め付けた。そして、渡辺を目をつむって金田の唇めがけて、自分の初めてを伸ばした。
「コイツ、本気かよ」
金田は全精力をかけて、その恐怖から逃げようとした瞬間、トリモチに足をとられ、後頭部から地面に倒れてしまった。
ジタバタ逃げようとする金田、まさにゴキブリホイホイに捕まったゴキブリそのもの。そんな金田の上に影が落ちた。
唇を尖らせたあの男が、背中から水牛の化身を発し、「ママ、ごめん」と覚悟を決めた顔で立っていた。何がママだ。
それはピュアでポエムが趣味な渡辺にとっては、人生の一番おいしいショートケーキのイチゴを誰かにあげてしまう様な選択だ。三日月のゆりかごの上で、いつか簿記検定二級に合格した税理士志望の女子大生に捧げると決めていたファーストキス。
それを己のワルの為に犠牲にする男。渡辺、まさに女優である。
園児たちは、渡辺の頬に熱いモノが流れている事に気付いた。渡辺さあああああん!
「サヨナラ、俺の本当のファーストキス」
そう呟き、下で寝ている金田の唇目掛けて落下して行った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
金田の悲鳴が、太陽の沈んだ河原に響き、そして消えて行った。
勝負はあった。
渡辺は金田の唇に舌を押し込み、物凄い怪力で二回レロレロした。
渡辺は立ち上がり、呆然と力を失っている金田のポケットから財布を取り出し、古本屋の被害額をカツアゲした。
「金田、俺の勝ちだ」
「……はい」
力を失った金田は、虚ろに返事した。
そして、渡辺も土俵の隅で泣き出した。勝者などいない、戦ったもの両者ともが何かを失ったのだ。
勝者は泣き、敗者はうつろに天を見ていた。川原を歩いていたジジイを家族が迎えに来た。
地獄絵図だった。
試合後。
手下達総動員で、渡辺と金田を土俵の上から救出した。二人はトリモチを洗う為に近所の銭湯に直行した。
更衣室で二人きりの渡辺と金田。
他の客は誰もいないのに、金田は渡辺から離れた脱衣カゴで服を脱いだ。何か恐れている様に見えた。
渡辺が金田に近付いて「俺、パンツ二枚あるけど、履く?」と声をかけると、金田はビクッとした。
後で、片づけを終えた園児達も入って来て、金田は安心したようだった。
やな空気だった。
銭湯の湯船につかり渡辺が金田に「何故あんな事をしたのか?」と問い正した。すると金田は、お湯の暖かさに安心したのか、大声で泣き出してしまった。
「悔しかったんです」
金田は昔、あの古本屋にアルバイトの面接に向った。しかし、昔から存在感の無い金田は面接の事も忘れられ、「君、いたのかぁ」と面接官はすでに別の人を雇ってしまったので、不採用だと笑って言われたのだという。
「それが悔しくて、そしたら電話がかかってきて、『あの店に復讐する方法がある』って言われて……僕の存在感のなさは武器だって言ってもらえて、嬉しくて」
その事が怨恨となって、金田は復讐をするべく、あの店を……。
泣いている金田を見て、園児たちは同情してしまった。ひどい、こんな酷い奴が世の中にはいたのか。こんな酷い人には絶対になりたくないな。
「ふざけるなぁぁぁぁ!」
が、渡辺の鉄拳が突然、金田の顔を直撃した。
吹っ飛ぶ金田。
が、まだ取れていなかったトリモチが拳に付いていたせいで、金田にくっついて渡辺も吹っ飛ぶ。自分のパンチで自分も飛んで行った。
手下達、再び、大爆笑。
「笑ってんじゃねぇ!」と顔を真っ赤にして、笑った手下をぶん殴る渡辺。これはしょうがない。
改めて、金田に説教する渡辺。
「愛の無いワルなど、ワルを名乗る資格も無いわ!」と渡辺の怒鳴り声がこだまする。
「いいか、憎しみや復讐心でワルをしても何も変わらないんだ! そんなワルに対して愛の無い事をしていて、お前は楽しかったのか!」
「……いいえ」
渡辺の説教に金田は首を横に振った。
「ワルがしたいなら、そのワルを好きになれ! 自分が愛したワルなら、そんなつまらない感情の為に使いたいと思わない。被害者に怒られても、自分が愛したワルだったら、堂々と頭を下げて謝れるんだ! 愛の無いワルじゃ、謝る気すら起きないだろ!」
渡辺の説教が銭湯に響いた。意味が解らなかった。
が、金田は、渡辺の迫力に自分が悪い事をしていたんだと何と無く自覚したという。
「すいませんでした」
湯船の中で金田はそう呟いて、また泣き出したという。
「ブックオフ金田、お前のワル、発想は面白かった。そんなすごいワルができる奴が、馬鹿にされて終わるわけがないだろ。いつか、きっとお前の凄さを認めてくれる奴が現れる。それまでは、堪忍やで」
「……はい」
蓬田は「はい、でいいのか?」と少し疑問に思った。「堪忍やで」ってなんだよ。
その後、渡辺は金田を謝りに行かせるべく、バイト先の古本屋に足を運んだ。金田は店長に土下座して謝り、盗んだ代金は、カツアゲをした渡辺が責任を持って、店長に返した。
「さぁ、仲直りのキスだ」
渡辺に強要され、金田と店長は仲良く(無理矢理)キスをして仲良しになった。それを見て、うんうんと頷く渡辺。なんでもキスで解決すると思っている、まだ十代の渡辺。世界で一番、キスを過大評価している男、渡辺。
その後、店を出ると渡辺は思いを寄せている女子大生、紗栄子さんが帰って行くのが見えた。「あっ!」と声をかけようとしたその瞬間、その女性の横に一台の車が停まった。
そして、女子大生はその車に自分から乗り込んだ。
「自分から車に乗り込むタイプの誘拐だ!」と慌てた渡辺は、その事を店長に報告した。
「ああ、最近、元気が無かったけど、喧嘩してた彼氏とも仲直りしたらしいよ」
と笑顔で答えられた。その後「自発的な誘拐って何?」と店長に聞かれたると、渡辺はその質問に「拳」という一撃で返事をした。
女ぁぁ!
『女は存在自体がワル』というマッドセガール工業幼稚園の園児手帳の校訓を渡辺は思い出し、さっきの金田以上に号泣した。
「もう、このワル辞める!」
渡辺はそう叫んで店長室を後にした。その後、辞めた渡辺の代わりにその店では金田が働き出したという。
とにかく、今回の一件でワルモンの強さが身に染みた渡辺。次の敵も恐らくブックオフ金田並みの強敵であろう。
だが、負ける訳にはいかん。
とにかく、オルガンだ。あれが弾ければ、ワルに集中できる。渡辺は、そう決意し、オルガンの前に座った。
「……あら」
「どうしたぜ、渡辺?」
竜二が尋ねた。すごい汗をかいている渡辺。
「……ドってどれだ、竜二?」
竜二と蓬田が「え……」と同時に言葉を漏らした。お前、マジかよ。死ねよ。
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