第19話 渡辺と決別

 翌日。

 渡辺は、店の中で起きた顛末を一応、髭男に報告した。


「それはブックオフ金田だ! お前に頼む予定だった、本物のワルモンだ!」


 渡辺の報告を聞くや、髭男はモーレツな勢いで渡辺の胸ぐらを掴んできた。


「何で、その場で捕まえなかった! お前には退学生の自覚が無いのか!」

「シフトだったんだから、しょうがねぇだろ!」


渡辺は髭男のパワーなどお構いなしに、顔面に時給パーンチをお見舞いした。「八百円!」という音を立てて髭男は園長用のデスクへと吹っ飛んで行った。バイトの鬼、渡辺にとってシフト中にサボるなど考えられないのである。

 髭男は、部下のまさかの一撃と開き直りに「え……」と、殴られた頬を押さえて渡辺を見た。

まさか殴られるとは。

お花山の時と言い、渡辺には意外な状況でも殴れるという特技があった。


「俺は俺のワル道を極めるのに忙しいんだよ! 髭剃れ、拳がチクチクしただろ!」

「……でも、お前は退学生なんだから、ワルモン退治は……幼稚園の先生にもしたし」


 まだ、女みたいにグズグズ言っている髭男に、渡辺の逆ギレ「アットホームな職場パンチ」がもう一発お見舞された。


「ワルモンだか、何処の誰だか解らない野郎なんかより、お客さんの笑顔の方が大事なんだよ!」


渡辺は壁に吹っ飛んだ髭男に熱弁をふるった。正論だからタチが悪い。


「……すいません」


 髭男は殴られたところを押さえて、渡辺に頭を下げた。

 そこに、外で待っていた蓬田がドアから顔を出した。


「おい、凄い音したけど、どうかしたのか?」


 渡辺は心配そうな顔の蓬田にフッと笑った。


「何でもねぇよ。ただ、馬鹿だと忘れていた馬鹿に、馬鹿という事を教えていただけだ」

「何だそれ?」


 蓬田の後ろから、竜二が背伸びして顔を出す。


「で、渡辺、何でよばれたんだぜ!」

「それは、ただワルモ……」

 と渡辺が口を開いた矢先、後ろから髭男が「うわあああああああ!」と飛びつき、渡辺の口を塞いだ。最後の力を振り絞った。


「何すんだ! 離せ、変態!」


 渡辺は、後ろから羽交い絞めにしてくる髭男を振りほどこうと暴れる。


「おっ! 行けっ! 渡辺! 下剋上だぜ!」

「何を応援してんだよ、竜二。止めろ」


 二人は、蓬田と竜二によって引き離された。


「渡辺の勝ちぃ!」


 渡辺は竜二に左手を上げられた。とっさに脇の下を右手で隠した。所作が乙女な渡辺。


「で、何だっけ?」


 渡辺お得意のワル「悪ふざけ」をした為、何の話をしてたか忘れてしまった。


「てか、何で呼ばれたんだよ、お前?」

「もう授業始まってるぜ! 皆、文句言ってるから呼びに来たんだぜ、俺ら!」

「あぁ。そう言う季節ね」


 渡辺は納得して、二人とむさ苦しい園長室を後にしようとした。


「おい、渡辺! いいか、ワルモンの事は園児には内緒だぞ。いいな!」


 園長は声を押し殺して言った。


「解っている、ふんだ!」


 渡辺は仲良し二人と、自分の故郷、教室へと戻る。


「渡辺、今日は練習するぜ! バイト休みだろ!」


 竜二の声に渡辺はフッと首を振った。


「何でだよ! 約束だぜ! オルガンの練習するって」

「今日は、どうしても外せないアゴがあるんだ。これは俺のワル道にも関わるんだ」


 ブックオフ金田の事が気になり、本来は休みだった今日もシフトを入れたのだ。


「でもよ! オルガンは俺達園児のワルの元気の元だぜ!」

「うるとらまん!」


渡辺は歯向う竜二の胸ぐらを掴んだ。


「外せない脱臼があるって言ってんだろうが!」

「で、でもよ、こ、こっちだって、約束だぜ」

「俺のワルと、お前らごときのワル、どっちが大事なんだ! えぇ!」


 蓬田が竜二の胸ぐらを掴む手を離して来た。


「蓬田よ、この馬鹿野郎に躾をしておけ。俺のワル道を邪魔しやがって、この……」


 と、言った瞬間、渡辺に強烈なパンチが飛んで来た。意表を突かれ、渡辺は気付いたら床に転がっていた。誰だ! 誰が殴りやがった!


「いい加減にしろよ、お前」


 蓬田が重い口調で言った。殴ったのはこいつだ。


「俺達だって努力しているんだ。なのに、その態度は何だ。いつになったら、オルガンを練習するんだよ! おい!」


 そう怒鳴った蓬田に胸ぐらを掴まれ起き上がらされた。うわ、マジでキレてるよ、と心の中で思う渡辺。


「何だよ、俺達ごときってよ」

「俺じゃない、それを言ったのは竜二だ!」

「お前だよ! しらばっくれんじゃねぇよ!」


 覚えてやがった。ちっ。


「皆、どれだけお前のオルガンに期待してると思ってんだよ。お前だって、帰りの歌を歌うのが楽しみだったろうがよ!」

「……まぁ、そうだが」

「解ってんなら、何でそんな、俺らごときのワルなんてセリフが出てくんだよ。退学したからって俺らの事、見下してんのか! 冗談じゃねぇぞ! 今のお前なんか、何の魅力も感じねぇよ!」

「んだと、この野郎!」


 蓬田の最後の一言に、渡辺もカチンときた。


「誰が紗江子ちゃんにフラれるだ、この野郎!」

「そんな話してねぇだろ!」

「魅力がねぇって言っただろうが! しばらっくぇjvjfvf」 噛んだ。

「俺らは紗江子なんてしらねぇよ!」

「ごめん!」


 怒っていても律儀に謝る男、渡辺。偉い。


 渡辺と蓬田、お互いの胸ぐらを掴んで睨み合った。他のクラスの園児が「何だ? 何だ?」と教室のドアを開けて、野次馬が群がって来た。


「と、とりあえず、蓬田。渡辺の胸ぐら離そうぜ! 今はもう先生なんだからよ、ぜ?」

「で、何だよ。俺達よりも大事な事って」

「それは……」


 渡辺は口籠った。ワルモンの事は口外禁止である。たとえ、心を許し合った蓬田と言えど、話す事は出来ない。自慢したいのは山々だ。わかってくれ蓬田。自慢したいのは山々なんだ。


「言えん」


 渡辺は、蓬田から目を逸らした。


「俺達に隠し事をするって事か?」

「ああ、そうだ」

「俺達が見損なうと解っていても、それでもオルガンを休んで、バイトに行くのか?」

「……そうだ」


 渡辺は真剣な顔で、蓬田に言った。


「そうか」


蓬田は掴んでいた、渡辺の胸ぐらを離した。


「解った、好きにしろ。オルガンも練習しなくていい。いくぞ、竜二」

「え、練習なし! マジで! よっしゃ……」


 と、渡辺が、嬉しさのあまり地を這う様なガッツポーズを決めようとした瞬間、そんな空気じゃ無い事を思い出した。


 が、蓬田と竜二は、そんな渡辺になど目もくれず、教室に戻って行った。


「終わったのか……俺は」


 頭の奥から、蓬田達とワルを極めようと精進していた楽しい日々が蘇って来た。が、この瞬間から、もうそれは元には戻らない物になってしまった。


 決別である。


 今日からは別々のケツでおならをしなければならない。


「今までとおんなじじゃねぇか」


 渡辺は、教室へは向かわなかった。

ここまでの大見えを切った以上、ワルモンを倒すしかない。渡辺の足は既にバイト先に向って歩き出していた。

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