第15話 渡辺とテレビショッピング
渡辺は、蓬田が用意した「ド」と他の音符が三つしかない簡単な曲の練習をやらされる事となった。先生になって一日目、地獄はまだ一日目である。
翌日からのお遊戯は『くちオルガン』という、渡辺が「てーれれれー」とメロディを口で伴奏する事で当面は行くことが発表された。蓬田のアイデアである。
しかし、どんな曲の伴奏をしても途中から『男はつらいよ』のイントロになってしまう渡辺の『くちオルガン』は不評であった。
『終わりよければ、すべてよし』と言うように、帰りのお遊戯が盛り上がらないというのは、それから街にワルへと向かう園児達にも悪影響を及ぼしてしまう。渡辺のワル「悪影響」が飛び出した。息を吸うようにワルをする男、渡辺である。
が、当の渡辺の方はと言うと、ロクにワルも出来ず保育士の職務と、蓬田という鬼にオルガンをシゴかれる毎日であった。
渡辺の頭に十円台のハゲができるのに、それほど時間はかからなかった。
渡辺は気付けば幼稚園をサボり、親友の家長のプヨプヨしたお腹を枕に公園で寝転がる日が増えていった。
「先生も大変だな、オルガンなんて弾かなきゃいけないし。それじゃあ、全然、ワルい事できないでしょ」
「ああ、その通りだ。こうストレスが溜まっては、いいワルも思いつきやしない。オルガンをこの世から消滅させる方法はないだろうか?」
「それは無理だなぁ。そうだ、俺が渡辺に凄いワルを紹介してやるよ」
「ほう」
渡辺は家長の言葉に起き上がった。ポヨォ〜ン。
その辺の園児がこんな口を聞いたら、渡辺は間違いなく殴っている。渡辺にワルを教えるなど、鳥に空の飛び方をレクチャーする以上に愚かな行為だ。
しかし、この家長と言う男には「何かをやってくれるのではないか?」という根拠のない期待を渡辺は持っていた。ただ、下ネタが面白いだけなのに。
「それはどんなワルだ?」
「それが、このワルは斬新なんだよ。合法的に人から金を巻き上げられるワルだから、この街以外のところでやっても捕まらないワルなんだ」
「馬鹿なっ! そんなワルがあるはずがない」
渡辺は『コルセットが三つ付いてくる』と聞かされた、矯正下着のテレビショッピングばりに驚いた。
「それがあるんだな。そうだ、これから一緒にやりに行こうぜ!」
最初は家長を疑っていた渡辺だったが、現場へと到着し、家長に教えられるがままに事をこなして行くうちに「こんな斬新なワルがまだあったとは!」と唸らざる得なくなった。
やはり、この家長という男は何かが違った。
翌日。
渡辺は幼稚園が終わるとオルガンの練習などせず、家長と真っ直ぐワルに向かった。
その次の日も。そのまた次の日も。
家長が飽きてそのワルを止めてしまっても、渡辺は毎日、一人でそのワルに出かけて行った。マメな男であった。
これに痺れを切らして蓬田が怒るのは、送料をジャパネットが負担するくらいに当然の成り行きであった。
「渡辺、いい加減にしろ。オルガンの練習もしないで、一体、何をしているんだ!」
蓬田が激高し、園児の分際にもかかわらず先生様の渡辺に詰め寄った。神に歯向かう気か。
「しょうがない。説明してやる……実は新しいワルをしていた」
渡辺がそう言うと、園児達から「おぉ!」と声が上がった。
「渡辺さんの新ワルだ!」「渡辺さんの春の新ワルが出てたのか!」「カーディガン感覚!」「退学生になってもワルを怠らない!」「そこに俺達は惚れたんだ!」
渡辺は園児達の割れんばかりの歓声に手をあげて答える。
「知りたいか? 俺の新ワル。蓬田くん?」
蓬田の「テメェ、いい加減にしろよ」という顔とは裏腹に、園児達は渡辺のワルの概要を知りたくて知りたくて、渡辺が座っていた教卓の周りに集まって来た。まるで『同じものがもう一本ついてくる』と聞きハウスクリーナーが欲しくなり、コールセンターに集まってくる全国各地の欲望まみれの奥様方からの電話の様であった。
「これは、合法的に人から金を巻き上げる事が出来るワルだ」
渡辺の言葉に教室内は騒然とした。
「そんなワルが存在するのか!」「ワルに喧嘩を売ってるぜ!」「いや、ワルが渡辺さんに挑戦して来てるんだよ!」
渡辺は「騒ぐな騒ぐな」と、はしゃぐ園児達を一度沈めた。そして、蓬田の方を振り返って「どうだ? 止めてみろよ?」と言う勝ち誇った顔をする渡辺。悪い奴である。
「渡辺さん、早くください! もう限界です!」
斉藤のその一言に渡辺が焦らすようにため息をついた。
「……しょうがない、話してやるか。いいか、俺が始めたワルって言うのは……」
渡辺のワル。それは『アルバイト』という、指定された時間の間だけ店員に扮していれば、それだけで店側から金を巻き上げられるという、それはそれは効率的で斬新な強盗的なワルであるという。
「しかも巻き上げられる金額はカツアゲとあまり変わらず、ただ労力が少しかかってしまうが、確実性はカツアゲよりも上なんだ!」
渡辺はドヤ顔で園児達を見た。説明を聞いた園児達は、シーンと静まり返ってしまった。
「あれ?」
なぜか全員の顔が青ざめている。あの、馬鹿で陽気なのが取り柄の斉藤でさえ、ハンドジューサーを初めて見た、テレビショッピングのお客さんのようなポカーンとした顔をしている。
「何だ、この間は?」
渡辺には、この不安な感じに覚えがあった。前にコイツ等が駅前で自分を気遣うようにヒソヒソ話をしていたとき。その時と、どうも雰囲気が似ている。
「……渡辺」
渡辺が振り返ると、蓬田がさっきまでと違い、心配そうな顔で見ていた。
「……渡辺、怒られるのを覚悟で言っていいか?」
「蓬田よ。何だ、その言い方は? 俺のワルに文句があるってのか!」
渡辺は蓬田を怒鳴りつけた。どさくさに紛れて、形勢を逆転しておく渡辺。
「いや、渡辺。もう一度、確認したいんだが。それ、アルバイトって言うのか?」
「うん、そう」
「そ、そうか……」
「……何?」
渡辺は不安になってた尋ねた。
何か、送られて来た商品が思ってたのと違う時の様な苦い顔をしている蓬田。
「い、いや、いいんだ! そうかアルバイトか、凄いなぁ」
さっきまでの怒りは何処へやら、蓬田はまた凄い汗をかきながら渡辺に笑いかけた。
「だろ? 斬新なワルだろ」
「あぁ、その斬新なワルを貫き通してくれよな!」
「おぅ!」
そして渡辺は「今日もバイトだから」と教室を後にした。バイトのシフトを週三から週五に増やしたのだという。
「蓬田。バイトってバイトだよな……バイトってワルなのか?」
「竜二、これ以上は言うな」
蓬田は、早々にこの話を打ち切った。さすがに怒る気も失せてしまった。
「あぁ、店員全員殴ってやろうかな!」
渡辺はバイト先に到着するまで、ワルらしく真面目に悪態をついていく。渡辺のアルバイトが今日も火を噴く。鬼の形相で古本屋の『STAFF ONLY』のドアを開けた。
「お疲れ様でぇぇす!」
「おせぇぞ! 渡辺!」
「すいやせぇん!」
『死んでも辞める』『ぜってぇ辞めて、店長ぶん殴る』と、渡辺はブツブツと文句を垂れながら、更衣室で制服に着替えた。
「辞める、辞める辞める辞める辞める辞める。やめて、全員殺す」
カバディの様に「辞める」とつぶやきながら、ロッカーを閉め、軽く準備運動をこなす。
「もう、いっそレジの金、持ち逃げしてやろうかぁ!」
バックヤードでそう叫び、「いらっしゃいませぇ!」と勢いよくフロアへと飛び出して行った。すでに一連の行動が板についていた。何処から見ても、『なんか独り言の多い半笑いの店員』だ。
その後も「辞めてやる辞めてやる」とレジ打ちをこなす渡辺。真面目に悪態。渡辺の場合、足し算ができないので毎回が命がけである。
今日は一回だけレジを間違えてしまったが「いいのよ、少しぐらい待ってるわよ」とお客さんは渡辺の遅いレジを優しく見守ってくれた。
渡辺は「後ろから鈍器で殴って海に投げ捨てたろうか、店長」と呟き、『とにかく笑顔!』という初日のアドバイスを忘れず、精一杯の笑顔を作ってレジ打ちをこなした。
「頑張ってね!」
お客は渡辺にそう言い残して、店を後にした。お客さんの優しさが身にしみ、思わず涙と「殺す」が同時に目と口から出てしまう。
辞める辞める辞める辞める辞める辞める。
そのダイヤモンドよりも固い決意を胸に、渡辺は店のクローズまで勤務をこなし、今日も店から金を巻き上げる事に成功したのだ。
「渡辺、ちょっと仕事に慣れて来たな」
「そんな、セックスっすよ! 俺なんて」
新人らしい苦笑いを浮かべて、先輩達の冗談に反応する更衣室の渡辺。
『覚えとけよ、お前らの家族皆殺しだからな』とニコニコと呟きながら、服に着替えて家へと帰る渡辺。帰り道が一緒の方向だった女子大生と途中まで帰って、職場のワル口の話をして「渡辺君、またね」と別れた。家に帰っても、女子大生の匂いが渡辺の鼻には残っていた。
「火をつけてやろうか、あの店」
そう思いながら、心地よい疲れが全身にまとわりついて来て渡辺は眠りについた。
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