第14話 渡辺とオルガン

「渡辺、早くオルガン弾いてくれだぜ」

「え?」


 竜二の声にスッと熱が冷めた。


「お前が先生なんだぜ。オルガン引くのはお前だぜ!」


 竜二の後ろから、蓬田が心配そうな顔で渡辺を見ていた。おいおい、マジかよ。


「渡辺さんのオルガン、楽しみだなぁ」「きっと春休みの間、練習してたんだろうなぁ」「渡辺さんが練習なんかするかよ。なんもしなくても天才なんだよ」


 園児の一部も、期待して渡辺の方を見ていた。


「ケッ! アイツが弾けるかよ! へたなべだよ」


 ぷっ!


「誰がへたなべだ、こらぁ!」


 渡辺は再び、ダジャレ野郎に掴みかった。


「テメェだ、へたなべ! プッて笑ってんじゃねぇよ!」

「お前、今日から名前、ダジャレだからな」


 蓬田達に止められ、収拾がつく。


「渡辺になんて口を聞いてんだ!」

「言ってやれ、蓬田!」


 蓬田の説教がダジャレに入り、ムスッとした顔だがダジャレは大人しくなった。「やーい」と渡辺が腹の立つ顔をダジャレに向けた。


大人しくなったところで。


「じゃあ、渡辺さん、お願いします」


 斉藤の言葉を導火線に「お願いします!」「お願いします!」と次々頭を下げて行く園児達。

蓬田を見ると、心配する母親のような顔でこっちを見ている。そんな顔で見るな。

 周りの期待に脅されて、渡辺はドキドキしながらオルガンの前に腰掛ける。そしては目を瞑り、ゆっくりと精神統一する。

 渡辺が今まで見せなかった「芸術家の一面」を見た手下達はそのギャップに少し「おっ」と緊張感が走った。やはり、絵になる男であった。

 そして、鍵盤の上に手を置いた渡辺は、弾いているふりをして「ピーン!」とか「ぱーん!」とかそれっぽい音を口から出して誤魔化した。すぐにバレた。

「てめぇ! へたなべ以下じゃねぇか!」

「てへへ……この野郎ぉぉぉぉ!」


 渡辺は三度、一直線にダジャレに向って行った。


「口で誤魔化してんじゃねぇよ!」

「往生際がワルくていいだろうが!」

「先生なら潔くしろよ!」

「蓬田! こいつを黙らせろ!」


 また蓬田が飛んできた。説教が始まる。後ろで渡辺がダジャレを挑発する。おっぺけペー。


 これは困った。

帰りのお遊戯を楽しみにしているワル共は大勢いる。が、渡辺がオルガンを弾けなければ、その楽しみを奪ってしまう事になる。それは、渡辺の目標「ひょうきんな先生」に辿りつけないという事になる。


「どうする? 全自動ゴッホ機でも盗んでくるか?」


 渡辺は園児の前にもはばからず、弱音を吐いた。だが、「全自動ゴッホ機って何だ?」と園児達にはそれが弱音とすら理解できなかった。


「いい事思い付いた!」


渡辺は、右手の拳を左の手のひらでポンと叩き閃いた。


「明日から、落語の合唱にしよう」

「練習しろ」


 蓬田に一瞬で却下されてしまった。落語を合唱しても楽しくないのである。


 その日の放課後から蓬田、竜二、そして家長と共に、地獄のオルガン特訓が始まった。


「そういえば、渡辺が音楽をしている処なんか見た事無かったぜ、俺」


 竜二は、オルガンの前にいる渡辺を微笑ましく眺めて言った。


「だったら『弾けよ』とか言ってんじゃねぇよ!」


 竜二の頭を叩いた。ごもっとも。


「渡辺、お前、好きな音楽家とかいるのか?」


 蓬田に聞かれ、渡辺は「馬鹿にするな!」と怒鳴った。見くびられたことに腹を立てた渡辺は「こいつ、知ってやがる!」と驚かしてやろうと、少し背伸びする事にした。


「そうだな……やっぱゴッホとかよく聞くな」


 それを聞いた蓬田は頭を抱えてしまった。さっきの全自動ゴッホ機の由来はここであった。


「渡辺、ゴッホは画家だぜ」


竜二が渡辺に指摘した。


「へぇ」と渡辺。「だからなんだ」とでも言いたそうな、心の無い返事であった。間違えを指摘されても、ビクともしなかった。無駄に鋼鉄なメンタル。


「とっととやるぞ!」

「でも、蓬田よ。特訓しようにも手本が何にも無いんだ。練習のしようが無いよなぁ」


 渡辺は「勝った」と言いたげな顔で、蓬田を見た。勝った。これでサボれる。


「でも、こんなん簡単だぜ?」


 竜二はそう言って、渡辺の代わりにオルガンの前に座った。そして、呆気なく課題曲の『チューリップ』を完璧に弾きこなして見せた。


「え?」


渡辺は呆然と、スラスラと弾いていく竜二の指使いを眺めた。え、CG?


「竜二、お前、ピアノとかしてたのか?」


 蓬田もこれにはいささか驚いた。


「別に、こんなの書いてある音符を押せばいいだけだろ、簡単だぜ!」


 竜二の言葉に、渡辺は蓬田を見た。「勝った」と言いたげな顔で渡辺を見ていた。


「じゃあ、練習しようか、渡辺よぉ」


 竜二の意外な才能によって息を吹き返した蓬田の特訓は「お前は人に嫌われる天才だな」ってレベルにスパルタであった。


「違うだろ! こっちだって何度言えば解るんだよ!」


 怒った蓬田に指を無理やり引っ張られる渡辺。


「いてぇ! お嫁にいけなくなっちゃう!」

「我慢しろ! 馬鹿保育士!」

「蓬田、そんな言い方はねぇぜ!」

「竜二は口を挟むんじゃねぇ!」


上から押し付けるだけの蓬田の教育に、褒められて伸びるタイプの渡辺が付いていける筈がなく、次第にイライラを募らせて行き、顔面がブルブル赤く震えて行く渡辺の何かがプチンとキレる音を竜二は確かに聞いた。


「蓬田ぁぁぁ!」


 渡辺は蓬田に殴り掛かった。


「まずい、蓬田が殺されるぜ! 渡辺は褒められて伸びるタイプなのに」


 と、危機は察知してたけど、殴られたくないから止めには入らなかった竜二の予感が的中した、その時であった!


「でも、俺も褒められると伸びるタイプだけど、下半身は怒られると伸びるんだよなぁ」


 家長がボソッと呟いた何気ない一言、蓬田にあと二ミリで拳が届く直前、渡辺の琴線にこの言葉が触れた。


「たしかに、そうだ!」


渡辺は何かに気づいて、拳をピタッと止めた。家長という男の下の深さに怒りなど何処かへ行ってしまった。

その後、渡辺と家長はお互いの性癖を讃え合い「やれやれ、お互い様……」とはにかんだ。

 家長のスケベに蓬田は救われたのだった。 


 その後、練習は日が暮れても続き、かん難苦行の末に「ドレミファソラシ」の七色の音階をやっと全部覚えた渡辺であった。


「蓬田よ、じゃあこの横にある鍵盤は使わなくていいんだな」

「いや、使うよ」

「でも音は七つ全部覚えた。無責任な事を言うな! 七つの鍵盤以外は飾りって事だろ!この横の鍵盤は何だ!」


 渡辺がピアノを叩いた。ぴょぎゅちゅふるゆえーん、と音がした。


「それも、ドだ」

「さっき出ただろ、ドは! 忘れたのか!」


死に物狂いで七つの音を覚え、すでに精神が限界に達している渡辺。血走った目で蓬田の胸ぐらを掴み、「ドはレタスのレ……だろ」と弱々しくつぶやいた。相当疲れている。


「渡辺、それは高い方のドだ」

「なんだと!」


 渡辺は蓬田の冷静で情の無い一言に愕然としてしまった。高い方だと……葬式の棺桶みたいに、いくつもコースがあるのかよ「ド」には。


「ドが多すぎる!」


 元々、努力が大嫌いな渡辺は、ついに切れて、壁を殴りだした。


「何でもかんでもドって、なんでドなんだよ!」


渡辺はオルガンの何もかもが解せず、その場に泣き崩れた。


「ドが多すぎるんだよ! 蓬田よぉ!」


これには「初日からやりすぎたか?」と、流石の蓬田も竜二と顔を見合わせて反省した。

 竜二が渡辺を立ち上がらせようとしたが、渡辺の嗚咽は止まらない。


「渡辺。すまなかった」


 蓬田が渡辺に歩み寄った。

 かかった! 情という名のルアーにな! 渡辺は蓬田に見えないよう「ニヤッ」と笑った。悪い奴である。


「な、何?」


渡辺は嘘涙で濡れた顔を上げ、蓬田を見た。これで「練習しなくても良い」と蓬田が言う、完璧である。


「渡辺……レもいっぱいあるんだ」

「へ?」

「手下達は帰りの歌を心待ちにしている。こんな所でくじけちゃ駄目だ。お前は皆の憧れだ。それに……ひょうきんで優しい人気の先生は、こんなところで諦めない。だろ?」


 渡辺は唖然とした。


 こいつ、鬼だ。


 蓬田という鬼神は、渡辺の体を無理やり起こし、またオルガンの前に座らせたのである。


「ほら、この曲は音符が少なくて簡単だ。コイツから練習するぞ」

「渡辺、がんばろうぜ!」


 竜二が肩をポンと叩いた。


「テメェが、簡単に弾いちまうからだろうが!」


 竜二のくせに腹が立つ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る