第13話 渡辺とお宅の息子さん

 始業のベルが鳴り、渡辺は先生として、家長は新入りとして、今まで共に学んでいた園児達のいるみかん組へと向かった。今までと同じ部屋に行くのに、渡辺は珍しく緊張していた。

 教室の前で立ち止まり、深呼吸をし「今日から俺は、幼稚園の先生だ」と自分に言い聞かせ、ガラガラとドアを開けて教室に入っていった。


「おっ、新米先生のお出ましだ!」

「よっ! 渡辺先生!」「渡辺先生、かっこいい!」


 蓬田が気の利いた音頭を取り、渡辺が入るや、教室のアチコチから拍手と声援が飛んできた。

 渡辺も「おいおい、よせよ。授業中だぞぉ!」と顔をニヤニヤさせながら嗜めるが、満更じゃなくて、カーテンコールに応えてしまう。今まで見せなかった明るい渡辺の一面がデビューした瞬間だ。

「まずまずのスタートだ!」とみんなに見え無いようにガッツポーズをした。

 渡辺が目指しているのはひょうきんで優しい先生である。今までみかん組のリーダーとして、わざとムスッとしていたが、「実は渡辺という珍味にはこんな美味しさも隠れてたんだぞぉ」とこれを機に手下どもに見せてやろうと決めていたのだ。


「おっぺけペー」と渡辺がひょうきんな動きを見せると教室がどっと笑った。先生ってのはチョロいなと渡辺はこの瞬間に確信した。

 よぉし、この調子なら先生も上手くやっていけるゾォ。渡辺はホッとし、授業を始めた。


 家長を紹介するのを忘れていた。


 渡辺先生の初授業はホームルームだった。新学期が始まるから、色々と決めるところは決める、決めないところは決めない。そして、その決めないところはどこなのかを決める作業である。

 まず一番大事なのが渡辺が抜けたリーダーの座だが、これには蓬田があっさり就任した。そして蓬田が抜けた新しい四天王の座に渡辺は家長を抜擢した。


「ちょっと何でですか、渡辺さん!」「贔屓だ!」「何だよ、この先公はよ!」「俺達にはチャンスすらねぇのか!」


 この渡辺の理不尽な決定に、密かに四天王の座を狙っていた園児達からの不平不満が出た。無理も無い、紹介すら忘れられた新入りがいきなり四天王だなんて。

 この園児達の反発をどう切り抜けるか、渡辺の幼稚園の先生としての、最初の腕の見せ所だった。


「うるせぇ!」


 渡辺はこの窮地をなんの工夫も計らいも無い、無慈悲なワガママ一言で返した。

 園児達は、なんの言い訳もしない渡辺の独裁にシーンとした。情操教育としても、あまりにも酷いので全員が意表をつかれた状態だ。

家長への贔屓は、もちろん髭男から「監視しやすいように、側近にしろ」と命令されていたのだが、渡辺がこのオッサンを四天王に押したのはそれだけでは無かった。


「いいか、俺が家長さんを四天王に押すのには理由がある」


 「やっぱりそうだったのか!」と渡辺のこの発言で、園児達も膝を打った。あのワルの天才の渡辺が見込んだ男。一体、どんな理由なのか?


 園長室から廊下を歩いてくる間に家長とエロの話で盛り上がったが、家長の下ネタの年輪の分厚さに度肝を抜かされたのだ。「さすが、アフリカを越えてきた男の下ネタはすごい」と、ワルには関係無いところで家長を押したのであった。


「あんな下ネタが凄い人が悪い人のわけがない」


 渡辺はそう言った後に「以上!」とポカーンとしている園児達を突き放した。要は、やっぱり贔屓だった。

 園児からしたら、そこまで見込んでいた男の紹介を忘れて、「おっぺけペー」とふざけた踊りを踊っていた渡辺の神経がよくわからなかった。

 何はともあれ、この理不尽な四天王の決定に、園児達の一部は、渡辺に不信感を抱いたのは言うまでもない。

 決定後もブーイングは収まるどころか、どんどんと大きくなって行く。


「糞教師!」「贔屓野郎!」「体目当て!」「ばかなべ!」


 散々な言われ様に流石にカチンと来て渡辺は教卓を蹴り飛ばし「ばかなべ!」と言った園児に向かって一直線に殴り掛かった。「ばかなべ」は流石に見過ごせなかった。


「誰がばかなべだ!」

「テメェだ、ばかなべ!」


 さっそく、園児達から嫌われる渡辺。ボコボコの殴り合い。

結局、乱闘は蓬田が落ち着かせ、「渡辺が決めた事だ! 文句を言うなら実力を示せ! それなら誰も文句は言わねぇよ!」と一喝した事で園児達は黙り込んだ。


「解ったか! 蓬田がこう言ってるんだろ、馬鹿野郎!」


 渡辺は蓬田の威厳を利用した。生徒に頼りっきりの、貫禄の無い教師が誕生した。


「四天王の家長です。よろすこ」


 家長の四天王襲名に、まばらな拍手が起こった。渡辺は「よろすこ」がツボに入って「ブッ!」と笑ってしまった。


「何笑ってんだよ、ばかなべ!」

「うるせぇ! 恋と同じで、止まんねぇんだよ!」

「したことねぇだろ!」

「毎日してんだよ!」

「それウンコだろ!」

「そうだよ!」


 家長は四天王の座る机の、しかも渡辺がこの前まで座っていた席に勝手に着いた。


「ちょっと待て、そこは渡辺さんの席だろうが!」


 この部屋のしきたりが解っていない家長に、園児の一人が掴みかかる。


「いくら四天王だからって、新入りが気安く、その席に座ってんじゃねぇ!」

「じゃあ、俺の席は何処、何処なの? ねぇ、何処?」

「せめて、渡辺さんの席は、新リーダーの蓬田さんが座るべきだ! そうですよね、蓬田さん!」

「そうなの、蓬田?」


 家長は既に蓬田にタメ口だ。隙を見せるとズカズカと自分の領土を広げていく。これが世界のエロを自分の物にした男のスケール。

 渡辺は「タダモノじゃない」と改めて、家長を評価した。凄い奴がみかん組にやって来た。

 まだ、椅子に間違えて座っただけであった。


「俺は、家長が渡辺の席で構わない。その代わり、渡辺の席を継ぐんだがら、今まで以上にワルに励めよ」


 蓬田は言った。解っている奴だ。大人だ。

 が、手下の園児達の中には「面白く無い」という顔を家長へ向けるものがチラホラと見えた。

 渡辺が先生になっただけで、この教室内のバランスが崩れてしまった。

 しかし、渡辺はめげない。絶対に明るい楽しい先生になってやるんだ。

 春休みの間に蓬田と竜二と打ち合わせをして、渡辺のユニークな一面を園児達にアピールする作戦をいくらも用意していた。


「おとうさん!」


 粘土の授業中、竜二が突然、渡辺を間違って「お父さん」と呼んでしまった。学校あるあるである。


「おいおい、先生はお父さんじゃないぞぉ」


 渡辺は蓬田の台本通りに竜二を明るく嗜め、教室は軽い笑いに包まれた。「これだ、こんな雰囲気が好き」と渡辺は嬉しくなった。さっきのマイナス分を取り返した。



 しかし、その直後の休み時間。

 渡辺は無防備に廊下を歩いていた。すると向こうから見知らぬ園児が歩いて来て、突然、渡辺の股間に向かって「お宅のムスコさん」と話しかけてきた。


「え……」


 渡辺は思わず目が点になった。

 先生を「お父さん」と間違えるどころか、渡辺の顔に見向きもせず、いきなり渡辺の股間のムスコに向かって「お宅の息子さん」だと。幾ら何でも間違えすぎだろ。

 渡辺はどうして良いのかわからず、呆然と「あ、すいません。間違えました」と言って去って行く、その園児を眺めていた。

 日本中のワルが集まるマッちゃん。「とんでもない園児がいたものだ」と、渡辺は今後の先生生活に不安を覚えた。何者だ、あいつ。すげぇ奴がいたぞ。 


 渡辺はいきなり疲れてしまった。


 最初の時点で信用を失った園児達の一部は、全然渡辺の言う事を聞いてくれなかった。「俺が園児だった頃は、もっと良い子でワルをしていたはずなのに」と優秀だった自分とのギャップに歯痒さを覚えた。

 昨日まで「渡辺さん! 渡辺さん!」とヘコヘコしていた園児達だが。奴らにとって先生は敵なのだ。世話の焼ける奴らだ。

 昼を待たずにして、幼稚園の庭には渡辺の愛の鞭によって三人の園児が大の字になっていた。

 蓬田が何とか間に入ってくれて、渡辺の保育士生活初日も病院送りが四名で無事終わりを迎えた。

 後は帰りのお遊戯の時間だけだ。

 渡辺は、フゥーと一息ついて、「今日は何を歌うんだろうなぁ?」とワクワクした。渡辺は園児時代からこのお遊戯の時間が一番好きであった。今日は疲れたし、腹も立ったからな、思い切り歌ってやるぞぉ! 

 歌を殺すつもりで歌う!

 渡辺が気合いを入れた瞬間、敵とはそんな時に現れるモノである。

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