渡辺と普通の大学生みたいな日常

第12話 渡辺とエロの年輪

 敵とはいつも死角から現れるモノである。

 幾多の修羅場をくぐって来た渡辺はその事を嫌と言うほど熟知していたにも拘らず、またしても死角を突かれる形となってしまった。

 マッドセガール工業幼稚園、通称「マッちゃん」の園長、髭男によって、退学生の称号を授けられ、退学式も無事に終了した。今後は園児では無く、保育士としてみかん組を引っ張って行く事となった渡辺。

 そして、少しの休みを挟んで、また新しい学期が始まろうとしていた。

 新学期早々、渡辺は髭男に呼び出され、男性ホルモンをプンプンに吐きだせている汗臭い園長室で偽造保育士免許を渡された。消臭剤ぐらい置けよと思うほどに臭い部屋であった。

園長室は敵からの攻撃を避けるため、窓が一個も無いのだそうだ。敵って誰だよ。臭すぎて、俺が敵になるぞ、と渡辺はキレた。

 渡辺は偽造保育士免許の自分の顔を眺めた。「いつ撮ったんだ、これ」という、渡辺が悦に浸ってる時の姿。唇からヨダレが垂れ、天を見上げ白目を剥いている情けない顔がそこにあった。


「別の写真にしろよ」


 この写真にはさすがに渡辺もお冠で、テーブルを叩いて髭男に抗議した。


「春休みの間、玉男にお前を盗撮させて、玉男がそれが一番良いと判断したんだ」

「どこがいいんだ、この写真の!」

「『渡辺らしさが一番出ている』とアイツは言っていたな」


 どこに出てるんだよ。

渡辺は再び、人には見せられない顔をしている自分の写真を眺めた……言われてみると、自分らしさが出ていないでもない気がしてきた。これが俺だ。

 園長が「もうワンパターンあるぞ」と別の写真を見せて来た。

まだ撮られてた。

「あの野郎、今度会ったら乳首をまばたきさせてやる」と渡辺は舌打ちした。

 念の為に他の写真も見せて貰ったが「気持ち良すぎて泣いている渡辺」や「座薬に怯えている渡辺」「三個入れた渡辺」という酷い写真ばかりであった。「アイツ、写真の才能ねぇよ」と髭男に訴えたが「お前が私生活を正せ」と逆に怒られてしまった。

 何はともあれ、渡辺はこれから幼稚園の先生をする傍ら、世の人々が感動する斬新なワルを生み出すべく、精進する事となる。あとはワルモンの退治。街のワルの維持だ。


「さて、渡辺」

「あい」


 ひと段落ついて、帰れると思った瞬間、髭男が姿勢を正した。こりゃ、長いぞ。


「これから話す事は口外する事を禁ずる。退学生になったモノしか知る事が出来ない事だ」


 なんだと。


「そう言う事は早く言え」と渡辺も姿勢を正した。トップシークレット、カッコいいじゃねぇか。


「まず、その昔、このマッドセガール市には一流の犯罪者達がいた事は知っているな」


 当然だ。渡辺は頷いた。渡辺が憧れた過去の一流の犯罪者達の芸術的なワル、それを知らずしてワルは語れない。


「その当時のワルと言うのは今の犯罪とは比べ物にならない程に複雑で芸術の域にまで達していた。言うなれば、ワルを見るセンスが無い人間には、それがワルなのかどうかすらも理解できなかったのだ」


 渡辺も過去の犯罪者達の芸術を『マッドセガールわるわる美術館』で、展示されているワルを見て「これって悪いのか、悪くないのか?」と首をかしげてしまう様なモノもチラホラあった。意図が解らず首を捻っていたら「だから、馬鹿は困る」と横の気持ち悪い人間に言われた事がある。ワルを知ったかぶりしている馬鹿はいつの時代もいる。


「ワルモンのやっているワルの一部は、我々の先人の退学生が作ったワルを使用している奴らもいる」

「なんだって!」


 渡辺は、通販番組のソファーが1万円を切った時の様に飛び上がった。


「しかし、どうやって我々先人のワルを!」

「まだ、わかっておらんが、そう言うことをしている組織がいるのかもな」


 渡辺はハッとした。


「つまり、ワルモンを退治することは、先人の偉大なワルに挑戦する事になると言う事だ」

「そうだ。何処におるかも、組織の大きさも解らん。が、ワルを持って人々を惑わせる恐るべき組織じゃ。今まで表舞台に出てきておらんかったが、そろそろ何か大きく動き出すかも知れぬ」


「えぇぇ!」


 渡辺は驚いた。羽毛布団が二個セットで二万円を割ったとき様な顔をしてしまった。


「なるほど。俺たちでワルモンを何とかして、街の平和を守ろうって事だな」

「そうだ」

「任せておけ。ワルモンは俺のワルで打ちのめしてやる」

「よし。あとこの事は、他の園児には言うな。お前の手下にもだ。約束だ」

「当たり前だ。あんな雑魚ども、足手纏いになるだけだ」


 男と男が解り合うのに言葉などいらない。指切りゲンマンがあればいい。「ゆーびきった!」で、二人は小指を離した。満足。


「で、髭長」

「何だ、渡辺よ」

「お前の横にずっと座っている男は誰だ」


 渡辺は、髭男の隣にずっと座っていたオッサンの事が気になっていた。見るところ、マッドセガールの学ランを着ているから園児らしいけど、外見は四十過ぎだ。

 そのオッサンを見た髭男は「ほぁぁぁぁ」と魂を抜かれた顔をした。トップシークレットのカッコ良さに浸りすぎて、やっちまった。

 泣く子も黙るマッドセガール工業幼稚園の園児達。

 その園児達に、悔しさで枕を噛みしめて一晩中泣かせるほどの男、渡辺。

 その渡辺の上司、髭男。

この建物内のワルの食物連鎖の頂点にいる髭男は今、今日やって来たばかりの新入りの園児の前に両手をつき、デコを絨毯につけていた。その絨毯はもう二十年ぐらい洗濯をしていない汚いヤツだ。


「どうか、ワシと渡辺が今話していた事は黙っていて下さい!」

「うん、解ったよ」

「ほ、ホントですか? 家長さん!」


 新入りは家長さんと言うらしい。土下座から起き上がった髭男のデコは埃まみれであった。汚い。三種類ぐらいの毛が付いていた。


「別に黙っていればいいんでしょ、お安い御用だよ」


 家長はそう言って「ははは」と苦笑いを浮かべた。なんて優しいヤツ。学ランの下のボテッと出たお腹が揺れている。襟元から胸毛も見えている、髭も剃って無いし寝癖も付いている。

ダラしないけど、いい人だ。加齢臭がするけど、いい人だ。


「家長は基本悪い事はしない。優しくて良い奴だ」


 髭男がそう言った。カバの生態みたいな説明だな、と渡辺は思った。


「なら、なんでここに居るんだ?」

「コイツが悪事を働くのは夜になってからだ」


 ほぅ。それは興味深い。

 聞くところによると家長は、エロが絡むと理性を失う虎になるのだとか。


「十七の時にマッドセガール工業幼稚園を休学して、アフリカにエロを学びに行ったんだよ」

「ほぅ、あっちは本場ですからな」


 渡辺はテキトーに返事した。何が本場なのか解らなかった。布団があれば、世界中どこでも本場である。それがエロだ。


「そしてこの歳までにあらゆるエロを見て、思ったんです」


 そう言って家長は右手の握り拳を、自分の股間の前に持って行き、こう言った。


「本当のエロはここにあるって」


 そう言われた瞬間、渡辺の体に電撃が走った。カッコいい。惚れたぜ、家長。渡辺は一目惚れだった。男として家長に惚れた。

 結局、家長は「さっきの事をうっかり漏らさ無いように」と渡辺が監視するため、みかん組に配属される事となった。


「はじめまして。看護師の渡辺です」


 渡辺は家長と挨拶の握手をした。


「保育士でしょ」


 家長に注意された。

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