第11話 渡辺とハッピーウエディング
渡辺とお花山の勝負。行事は僭越ながら玉男が務める事となった。なんでか理由はわからなかった。行事ができる人は他にいるのに。
「みあって、みあって」
さすが横綱、お花山の体はさっきよりも数倍大きく感じた。
「お前の力には驚いたぜ。だがな、相撲では俺に敵う訳がないんだよ。さっきの借りは返させてもらうぜ」
「勝負の前に喋るな。唾が飛ぶ。息が臭い。ニキビ面がうざい。顔も臭い。鼻毛が出てる」
渡辺に延々と悪口を言われ、お花山の怒りはマックスに達した。殺す。
土俵中央、立会いの蹲踞(そんきょ)の姿勢で睨みあう二人。
「はっけよーい。残った!」
玉男の掛け声とともにお花山は渡辺に向って突進して行った。力士の利点、立会いの体当たりの威力で倒す作戦に出たのであった。
「死ねぇぇぇぇぇ、わたな……」
ぐしゅ。
稽古場に肉が潰れるような生々しい音が響いた。辺りはシーンとし、弟弟子たちは渡辺のチョキの指にめり込んだ、お花山の両目を見て「うわぁぁぁ」と言う顔をした。お花山はグッタリと、そのまま土俵の中央に倒れた。
「ぎゃああああ、目がああああ!」
渡辺の目潰しの前に、地面にのたうち回るお花山。
玉男は軍配を渡辺に向けた。
「渡辺の勝ち」
渡辺が勝った。何かで勝った!
「きたねぇぞ、テメェ! こんな舐めた勝負で勝って嬉しいのか!」
「俺は『相撲で』勝負しろとは言ってないぞ。早とちりした時点でお前の負けだ、お花山」
目が見えるかどうかを確認するべく、弟弟子がお花山にエロ本を見せた。お花山な「そんなもん、見えねぇよ!」と口では言うが、股間はしっかりモッコリであった。女将さんの前で虚勢を張ったお花山であったが、男は正直である。無事だった。
「嬉しいも何も、そのセリフ、お前自身が敗北を認めてるだろ」
「う、うるせぇ! 今のは無しだ!」
「いいのか? 今度は本気で行くぞ」
渡辺はそう言って四股を踏んで、お花山を睨みつけた。
それを見て、お花山はゾッとした。誰に教わっていない筈の渡辺の四股は、全く淀みなく、お花山を襲う準備を整えていた。この男と本気でぶつかれば、お花山は二度と土俵に上がる勇気を失うやもしれない。それどころか、これを見ている弟弟子達への面子を全て失いかねない。
お花山の全身が「コイツとは闘ってはいけない」と警告をしてきた。
「お花山よ、渡辺の気遣いを察してやったらどうじゃ?」
行事の玉男がお花山にそう言った。
「……ま、負けって事にしておいてやるよ」
お花山は虚勢を張って、そう言った。
その後、渡辺はお花山を土俵の真ん中に正座させた。
「何故、こんな事をした?」
渡辺は、お花山の押し花を指差した。
「ベ、別に悪い事なんか、何にもしてねぇだろうが!」
「……何だと、この野郎!」
渡辺は、ワルに責任を持たないお花山の頬も思い切りビンタした。
「悪気が無くワルをされたら、被害を受けた人間は一体、誰を恨めばいいんだ!」
渡辺の説教は稽古場に響いた。何故か親方も弟弟子も渡辺の説教は真面目に聞いていた。
渡辺は正々堂々とワル気をもってワルをする事を心掛け、手下にも徹底させていた。ワル気が無かったなどと言い訳する人間は、ワルの中でも最低のワルである。
「ワルをしたら、被害者には恨む権利がある。これはワルの最低限の礼儀だ! 悪気が無かったなんて言葉、天地がひっくり返っても口に出すんじゃねぇ! いいか!」
渡辺の怒号にお花山は「はい」と弱弱しく返事をした。
「で、何でお前は、俺が狙っていた花を千切ったんだ!」
渡辺はそう言ってお花山に塩をぶつけた。個人的な恨みも入っていた。お花山はただただ「……すいませんでした」と謝るばかりであった。
その後、渡辺に連れられ、お花山は、幼稚園に謝りに行った。園児達にはお花山の自腹でチョコが配られ、「もうしない」と園長先生に頭を下げ、事件は解決した。
「さぁ、仲直りのキスだ」
お花山と園長先生は、渡辺の計らいでディープキスをする事となった。
「キスをすれば、仲直り」
それが渡辺の持論である。二人は、渡辺に後頭部を押し付けられ唇と唇を長い時間触れ合わせた。園長は泣いた。何とかお花山を倒し、反省させる事に成功した渡辺であった。
ワルモン。
渡辺の愛する「ワル」を悪用し、街の平和を乱すおそるべき敵である。その存在を知り、渡辺にとってその日は人生の転機となった日であった。
翌日。
渡辺がいつも通りマッドセガール工業幼稚園へと登校すると、突然、園長先生こと髭男から呼び出しをくらった。
「なんだ、俺は忙しいんだぞ、髭男。告白なら返事を聞くまでもないだろ。ブサイク。鏡を見ろ。ブサイク」
園長の髭男は、髭の濃い渡辺達と同じ元マッちゃんの園児である。そして、渡辺達の先輩で退学生の称号を得た人間だ。
「昨日、玉男から連絡があった。お前がこのマッドセガール工業幼稚園の退学試験に合格したとな」
「ほぅ」
渡辺は気取った返事をしたが「ドッキリじゃ無かった」と心の中ではホッとしていた。
「だが、渡辺。ここが最後のチャンスだ。ここから先に進めば、もう後戻りはできん。警察も今までとは違い、血眼でお前を逮捕しにくる。今まで見え無かったこの街の恐ろしさを知ることにもなりかねんぞ。もう一度聞く、退学生となっていいな」
渡辺は髭男の問いに間髪入れずに答えた。愚問だった。
「俺はワルの頂点を極めなくてはいけない男だ。覚悟など、とうの昔にしている」
「よし、マッドセガール工業幼稚園みかん組、渡辺。今日を持って、この幼稚園ですら手に負えないワルの権化と見なし、退学生とする!」
髭男の口から、渡辺に「退学生」の称号を得たのであった。
それから数日後、渡辺一人の為の退学式が、幼稚園内の行動で行われた。
「おめでとう、渡辺」
渡辺は手下であった園児達の拍手と祝福の言葉に迎えられ、髭男から「退学証明証」を受け取った。
「渡辺よ、これからは退学生として、過去の偉大なワル達に習い、そのいかなる時も世の人々が感動する芸術的なワルを生み出していく事に精進するとを誓いますか?」
「はい、誓います」
渡辺は、この日の為に着て来たウエディングドレスのベールの下から頷いた。そして、手下達から再び拍手が起こった。
壇上を降りると、みかん組の手下たちのライスシャワーに囲まれる渡辺。
「おめでとう、渡辺」と蓬田。
「お幸せに! 渡辺さん!」と手下の奴ら。
「渡辺、これでお別れだなんて、俺、嫌だよ!」
祝福の嵐の中、竜二だけが泣きながら、祝ってくれなかった。なんなんだ、こいつ。摘み出せ。
「おれ、おれ! ずっとお前に付いて行こうって決めてんのによ!」
「竜二、止めろ!」
渡辺のウエディングドレスを引っ張る竜二を蓬田と手下たちで引き離す。
「ばたなべぇぇっぇぇ」
「ふんっ、見苦しい男が。お前となんか、遊びに決まってんだろ」
渡辺は、泣きじゃくる竜二の姿を見て、悪女の口調で捨て台詞を吐いた。
「その事なんだが、渡辺。お前、退学して行くところあるのか?」
「そんなものある筈ないだろ! 俺は副業などしない! 働かん! ワルしかしない!」
渡辺のゴッホのような生き様が、退学式会場で炸裂した。
「……実はな渡辺、昨日までみかん組の担任だった先生が、お前のおでんを見て、ゲロ吐いてな、辞める事になったんだが……お前が良いなら、保育士として、ここで働かんか? ここならワルの環境も整っているしな」
「うん、やる!」
渡辺の躊躇いゼロの即断で、しんみりムードは一瞬にして歓喜に変わった。うおおお!
「渡辺さんがついに、俺達の先生に!」
「よろしくお願いします、渡辺さん!」
「よぉし、皆、渡辺を胴上げだ!」
蓬田の掛け声で園児達は渡辺と胴上げする。わっしょい! わっしょい!
幼稚園の先生、そしてワルモンと戦うワルの頂点を目指す者として、渡辺の新しい春が始まるのであった。
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