第10話 渡辺とアフリカの儀式

 渡辺は玉男と隅っこでその様子を見学していた。あの後、渡辺と玉男が何度頭を下げてもお花山の気持ちは変わらず、「闘う気は無い。殴れ」という事だった。


「帰ろっか」


 玉男がボソッとそう言った。


「うん」


 二人は、立ち上がり、出口へと歩き出した。


「これで、お前は不合格って事じゃな」


 渡辺は「は?」と声を上げて振り返った。


「言っただろ、これは試験だって。お前は不合格で、退学生にはなれないって事だ」

「聞いてねぇぞ!」

「さっき言っただろ、公園で」


 渡辺は「そういえば!」と何かそんな事を言われた気がした。


「覚えてねぇぞ! 言ってねぇよ!」


 覚えてたけど、認めるわけにはいかない。ここで認めたら男がすたるし、人生が終わる。


「頭が悪いのが悪い。これはお前に退学生の資質があるかの試験。本物の退学生はこんなオママゴトじゃ無い」

「ママゴトに『お』をつけるな!」


 さっき、『お口』と言った男が怒鳴った。もはや泥試合だ。

 渡辺は、土俵で稽古しているお花山に目をやった。本物のワルモンは、あの男よりも上。そんな奴らがまだいるのか。


「俺はもっとワル極める、こんなところで終わるわけにはいかないんだ」


 なりふり構わない渡辺。玉男は焦りが見える渡辺の目の奥に、何か大きな信念を感じた。


「言うまでもないじゃろ。相手がワルモンなら、ワルで何とかしろ」

「ワルで……」


 渡辺は、お花山と戦ってもらうには、どうしたらいいか考えた。相手は力士。太っている。食べる事が好き。


 よしっ!


 渡辺は両手を叩き、閃いた。


 そして、さっき玉男に買ってもらったお菓子を一個づつ地面に置いて行き、お花山を土俵におびき出すことにした。お花山は渡辺の作戦通り、お菓子を一個づつパクパクしながら、土俵にやって来た。

 しかし問題が起きた。お花山以外の力士もお菓子につられ土俵に集まって来てしまった。親方までもが来てしまった。


「くそっ、失敗だ!」


 渡辺は悔しがった。みんな、太っていた事を忘れていた。お菓子の無駄遣いだった。


「普通に呼べ」


 玉男に、そう言われ「なるほど」と感心する渡辺。普通に呼ぶ、その手があったか。

 渡辺は「もしかしたら、さっきはああ言ったけど、あれから色々あったし、お花山も自分のポリシーを忘れてるかもしれない」と、物凄いご都合主義な世の中に一発賭けて、もう一回「土俵に上がれ!」とお花山呼び出してみた。


「だから、素人とはやらねぇって言ってんだろ。あと靴で上がるな!」


 覚えていた。


 「力士というのは、実際よりも頭が悪そうに見えるのは何でだろう?」と渡辺は不思議に思った。しかし、そんなあるあるネタは今どうでもよかった。

 全然、戦えない。相手にすらされていない。万策尽きた渡辺。

「もう、こうなったら」と、さっき「殴りたいなら殴れ」と言ったお花山のお言葉に甘える事にした。


「渡辺、お前、何する気じゃ?」


 嫌な予感がした玉男の声にすら振り向かず、渡辺はソロソロとお花山に近寄って行き、奴の後頭部を思いっきりぶん殴った。

 ブォォン! 象が泣いたような凄い音とともに、お花山は意識を失い、その場に倒れた。


「お花山さん!」


 突然の渡辺の暴力に、周りで休んでいた力士達が目を飛び出させて駆け寄ってきた。まさか、本当に殴るとは! しかも、後頭部!

「鬼か! お前は!」と部屋の至宝を殴られた親方に本気で泣いて怒られた。お花山は五分ぐらいで目を覚ますと「何があった?」と周りで心配している力士達を見回した。

 渡辺は記憶を失ったと確信し「お花山、俺と勝負しろ!」と喧嘩を売るが、「だから、やんねぇって言ってんだろうがよ!」と三度目の拒否を喰らってしまった。

「あいつ、頭良いなぁ」と小首を傾げて玉男の元に帰ってくる。「お前は悪魔か」と呆然とした玉男にも怒られてしまった。

 まさか、マジで殴るとは。


 しかし、渡辺は困った。

 これ以上、後頭部を殴るとお花山が死んでしまう。それにこれ以上殴ってしまうと、お花山を懲らしめる以前に、渡辺自身が満足してしまう。


「何かいい方法は無いだろうか?」


 考えていると若い力士が玉男の方へやって来た。なんだ?


「親方が、何時までいるんだ? って言ってるぞ」

「あ、すいません、もう少ししたら帰りますんで」


 玉男は、自分の孫ぐらいの力士にペコペコと頭を下げた。見てはいけないモノだが、面白すぎて笑いが込み上げてきた渡辺だった。失礼な男だ。

 若い力士は伝言を親方に伝えに言った。親方は伝言を聞いて、苦い顔をした。


「早く帰れって事だな、あの顔は」


 渡辺にも表情だけで解った。


「お前、ここで何したの?」


 渡辺は玉男に聞いてみた。


「いや、別に」


 玉男は目を逸らした。『別に』って人の汗の量じゃない。


「誰にも言わないから教えろ」

「いや、しかし……」


 誰にも言わないと言ったが、ここにいる渡辺以外は全員知ってるようだから、言う相手すらいなかった。玉男は「内緒だよ」と念を押して話し出した。全員知ってるんだから、内緒も糞も無い。


「語尾に『だよ』をつけるな。気持ち悪い」


 渡辺は、玉男が耳打ちで喋った過去の過ちを聞いて、背中に冷たいモノが走った。

 コイツ……人間のクズじゃねぇかよ。どうりで女将さんが近付いて来ないと思った。


「そんな事しといて、こんな所にいていいのかよ」

「だから、土下座しただろうが!」

「そんな問題じゃねぇだろ! 内容がアフリカの儀式レベルじゃねぇか!」

「ワシは本来、相撲協会から相撲の「す」の字にすら、二度と近付くなと念を押されている身なんじゃ。こんな事がバレたら、ヤバいのだ……」


 聞けば、「桃」は食べられるが「すもも」は「す」が付いてるから二度と食べられないのだと言う。

 渡辺は「相撲協会ってそんな事もできるんだ」とその権力に驚いた。


「じゃが、久しぶりに有望なワルが幼稚園に現れたと聞いて……お前のような若い奴の為なら、この老いぼれの身なんて……警察にギャフンを言わせられる若いワルの力が必要なんじゃ、今は」


 玉男は、真顔で渡辺に訴えた。こんな奴でも真剣に何かを考えていた事に渡辺は感心した。「カスの癖に偉いじゃん」と渡辺は玉男を見直した。

 それと同時に「大層な覚悟でも、カスに言われてもなぁ……」と乗り気がしないのも確かであった。カスっていうのは面倒臭い。

 が、玉男の今の言葉の中に、渡辺は突破口を見つけた。


「てことは、お前をここに入れているというのは、親方にとっても都合が悪いってことか」

「まぁ、そういう事になるかのぅ」


 渡辺は、ニヤッと笑った。これで形勢逆転だ。


 渡辺のワルが発動する。


 今日の稽古は終わった。

 新人の力士が土俵の上に置かれたパイロンを片付け始めていた。女将さんとマネージャーで手分けして、土俵の外に転がったボールをカゴに集める。 

 残った力士たちは全員でゴールを持ち、元の隅っこに運んで行った。隅で干していた海苔は、力士の蒸発した汗で程よい塩味を得て、近所の漁師達が収穫に来た。


「よし、今日の稽古はここまでだ!」


 そう言って、稽古部屋を出て行こうとしたお花山の肩を叩く男がいた。


「まだ稽古は終わってませんよ、お花山先輩」


 振り返るとそれは、学ランの下にマワシをつけた渡辺であった。


「何だお前。そんな格好をしたところで、俺は素人とはやらねぇって言っただろうが」

「それが……もう、素人じゃないんですよ。ついさっき、親方を脅させていただきまして、ここの弟子になりました」

「なんだとぉ」


 お花山は、渡辺の学ランの詰襟を両手で掴んだ。お花山の怪力で渡辺の体は見る見る宙に浮く。


「俺はな、相撲の事で馬鹿にされるのは、大嫌いなんだよ!」

「大真面目だよ」


 渡辺は、そう言って、右手一本をお花山の首に伸ばした。すると、渡辺の体は地面へ落ち、逆に首を持ち上げられたお花山の体が宙に浮いた。シーソーの理論であった。


「たかだか押し花の事でもな、俺にとってはお前の相撲以上に大問題なんだよ。園児を泣かせた、お前のくだらねぇワル、許すわけにはいかないな」


 お花山の巨体が持ち上がっているのを見て、周りの力士達は唖然とした。渡辺のその怪力。さらに学ランの下に見える体付きを見て、言葉が出て来なかったのだ。岩の様に鍛え上げられた筋肉と、百戦錬磨で傷付いたボロボロの体。鋭い眼光でお花山を睨み付け、さっきまでの隙だらけだった渡辺から、今は殺気しか伝わってこない。


「お、お前、何者だ?」


 握りつぶされた声でお花山が言った。


「マッドセガール工業幼稚園みかん組リーダー、渡辺だ」

「マ、マッドセガールだと……あのクズの集まりの」


 渡辺は土俵の真ん中まで歩いて行き、お花山の首を離した。お花山は尻餅をつき、咳き込んだ。


「お花山。俺と勝負しろ」

「や……やらねぇって言ってるだろ。殺されてでもやらんぞ」

「……良い覚悟だ。お前の相撲へのプライド、こっちもワルのしがいがある」

「何?」


 渡辺はマワシの中から見覚えのあるアルバムを取り出した。


「そ、それは!」

「たしか、お前の押し花の管理は、ここの新入りの役割だったな」


 渡辺は、そう言ってお花山に押し花のアルバムをチラつかせた。


「いいのかぁ。これがどうなっても」

 お花山にとってそれは、命より大切なコレクションであった。

「残念だったな、お前はもう、逃げられない。俺と勝負しろ、お花山」

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