第9話 渡辺とワルモン

「お花山に、なんか違和感を感じる」

「ほぅ、よく解ったのう」

「何だ、この違和感は。恋か?」

「その感覚を忘れるな。それはワルモンを見たときに感じる直感のようなモノだ」


 何っ! 渡辺は玉男の方を振り返った。という事は?


「あの、お花山がワルモンじゃ」

「ふざけるなっ! お花山のどこがワルモンだ!」


 渡辺は、怒りで玉男の胸ぐらを掴んで怒鳴り、その後、この世にある半分ぐらいの侮蔑の言葉を一気に玉男に目掛けてぶつけた。すると玉男は今にも泣きそうな顔で「お、お前まで、俺を馬鹿にするの?」と弱弱しい声で呟いて来た。


「おぉ! ご、ごめん」


 あまりにも悲しそうな声に、渡辺は驚いて思わず手を離して、謝ってしまった。部屋に入ってから、やっぱり玉男も色々と溜まっていたようだ。そりゃ、あんなに言われりゃな。


「しかし、お花山がワルモンの筈がない」


 渡辺は話を戻して、話題を変えた。


「何故じゃ?」

「お花山は押し花好きだ。押し花を好きな奴に悪い奴はいないんだ」


 これが渡辺の持論であった。「お前が悪いだろ」と、玉男に指摘された。「ほんとだ」と渡辺はビックリした。ちょっぴり感動した。

 しかし、渡辺はお花山の押し花へのこだわりも知っていた。お花山はいい押し花を作る為に稽古中でもお乳の裏にお花を入れて絶えず押し花を作っているのだ。


「いい押し花を作る為に、僕のパワーを伝えているんです!」


 そうテレビのインタビューに答えているのを見て、「この力士はなんて優しい人なんだ」と思い、正直、渡辺は泣いてしまった。涙が止まらなかった。

 渡辺もそんなお花山に習って、せめてお花山様のレベルに近付こうと、自分の脇の下に押し花を挟んで過ごした事がある。女走りになってしまいから、蓬田とか竜二から「気持ち悪い」と言われ一日で止めた。「お花山すごいなぁ」と思ったエピソードである。


「お花山はそれぐらい凄いんだよ。ワルモンの筈がない」

「そうは言っても、お前も奴の体からワルモンのオーラを感じ取っただろ!」


 渡辺は、お花山を侮辱された事にプチンと来て、また玉男の胸ぐらを掴んでしまった。


「テメェ、地獄が見たいようだな!」

 と、睨み付けて言ったが、覆面越しに見えた玉男の目が「頼むから止めて」とウサギさんの様な涙目で渡辺に訴えかけて来て、さすがの渡辺も「ご、ごめん」と再び怒りが萎えてしまった。女が着替えていたドアを開けた時の様に謝ってしまった。

 渡辺と玉男は、五秒ぐらいお互いに背を向けて、今の胸ぐらを掴んだ現実を無かった事にして、仕切り直した。大人の対応だ。


「渡辺。理屈じゃない。これは感覚の問題だ。全神経を集中しろ。ワルを極めたお前になら見える筈だ、お花山の周りの不自然に淀んだ空気に」


 不自然に淀んだ空気? 


 渡辺はそれを探す為に、まず『淀んだ』の意味を土俵の外で立っていた力士にググりに行った。しかし「俺中卒だから」と、聞いても解らなかったから、もう雰囲気でやる事にした。

 お花山を凝視する。お花山は稽古を止め、お乳の裏に挟んであった押し花を弟弟子に差し出した。さっきから同じ弟弟子がお花山の傍に付き添っている。


「おい! 俺のアルバムに、これ嫁をしまっとけ!」


 お花山はそう言って、お乳の下に入れていた押し花を取り出して、土俵脇に立っていた弟弟子に渡した。

 渡辺は、弟弟子がマワシの中からアルバムを取り出したのを見て「ドラえもん、みたいだな」と確信を得た。


「あっ……」


 渡辺の口から、一滴の声が漏れた。


「解ったか、渡辺?」


 渡辺は小走りで玉男の元へ戻って来て、頷いた。

 さっきの幼稚園の園児の泣き様。そしてお花山。

 全てが繋がった。渡辺のお花山への尊敬は一瞬で消え、そして開いた穴を埋める様に、怒りと言う感情が流れ込んで来た。


「お花山。あの野郎、とんでもねぇワルモンだぁ! 許さねええええ!」


 お花山の野郎が渡した花は、紛れも無く幼稚園で咲いていた花、女。そして、渡辺が狙っていた女。

 さっきの無理矢理フェンスから出ていたのは、お花山の仕業だったのだ。

 渡辺はふつふつと燃える心のままに、その事を土俵際で突っ立っているお弟子に聞きに行った。


「てめぇ、その花、まさか幼稚園の花じゃないだろうな!」


 首筋辺りの肉を握り、そして捻り、胸ぐらを掴む様に弟弟子に掴みかかる渡辺。相撲取りは便利だ、と心で思う渡辺。

 弟弟子はギクッと目を逸らした。


「いやぁ、悪いとは思ったんですけど、でもあんなに咲いてるうちの一つだけなら」

「お花だって、アメンボだって生きてんだぞ! 友達だろうがぁ!」

「で、でも。と、と、と取らないと、お、お、お花山さんに怒られるし! お花山さんの押し花の管理は、一番の新人の役割って決まってて……」

「俺に怒られるのは良いのか!」

「あんた、誰!」


 渡辺は、怒号と同時に「コイツに怒ってもしょうがない」と落ち着き、「ありがとよ、お陰で掴みやすかったぜ」と赤くなったお肉にお礼を言った。弟弟子は渡辺の迫力に負け、地面にへたり込み、手に持っていたアルバムが土の上に落ちた。


「テメェ! 俺の押し花ちゃん、落としてんじゃねぇよ」


 お花山は稽古を中断して、こっちにやって来た。

 弟弟子は「すいません、すいません」と慌てて、地面に落ちたアルバムの土を払う。


「すいませんじゃねぇよ!」


 と、お花山が踵で、その弟の頭を小突いた。土が弟弟子の後頭部に掛かったが、それでも弟弟子は「すいません、すいません」と謝るのを止めようとしない。それを止めるモノは誰もいない。親方ですら、お花山には何も言えないようだった。


 渡辺は弟弟子を見て『謝り君』という、ずっと謝ってばかりいるロボットを頭に思い浮かべた。「大発明だぜ」と頭の中にいる竜二が褒めてくれた。


「お前を辞めさせる事なんか簡単なんだよ。田舎帰らすぞ、テメェ」


 お花山の怒りは収まらない。さっきの渡辺が握ったのと全く同じ位置のぜい肉を掴み、弟弟子を持ち上げた。そして、ソイツの顔目掛けて、大きな拳を振りかぶった。


 バシッ!


「止めろ」


 渡辺は見ていられなくなり、お花山のパンチを片手で受け止めた。


「テメェ、俺に歯向う気か?」

「それはこっちのセリフだ、お花山。俺はお前の大ファンだった。押し花を愛する者に悪い奴はいないとずっと今日まで信じていたんだよ」


 渡辺は、お花山の拳を強く握る。お花山の顔が痛みで歪んだ。


「お前が初めてだぜ、パトリシア。なんて姑息で下品なワルだ、ロドリゲス。『時には娼婦の様に下品なワルをやりな』という、悪魔のささやきに乗ってしまったワルモン。それがお前だ、お花山」

「何を言ってやがんだ、お前は」

「お口で言ってもわかんねぇ様だな! 下品なペロリスト!」


 渡辺はお花山の拳を離して、土俵へと歩いて行く。「口に『お』を付けるな。イヤらしいから」と遠くから玉男の声がした。


 うるせぇ。


 花に『お』をつける奴に言われたくなかった。


「上がれ、俺がお前の心を正してやる」


 渡辺は、土俵に上がって戦うために学ランを脱ごうとボタンに手を掛けた。しかし、


「何言ってんだよ、俺が素人と戦う訳ねぇだろ」

「え?」


 渡辺の手が止まった。


「当たり前だろ、俺は力士としてのプライドがあるんだ。っていうか、なに土足で土俵に上がってんだよ、テメェ」


 と、渡辺が逆に怒られてしまった。


「とにかく、俺はお前とは闘わない。もし、俺を殴りてぇって言うなら思いっきり殴れ。俺は手を出さねぇから」


 お花山はそう言って、手を後ろで組んで目を瞑った。これで殴ったら、渡辺はピエロだ。懲らしめたいのに、相手に懲らしめられる気が全くないという大ピンチ。


「ほら、どうした。殴れよ。俺は一発も手をださねぇ」


 それからしばらくして、稽古は再開された。

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