第4話 渡辺と小さいワル見つけた
翌日、幼稚園終了後。
渡辺は近所の普通の幼稚園「お花幼稚園」へとやって来た。手には籠いっぱいのチョコレートを持ち、これから行う己の新たな一歩への恐怖に柄にも無く緊張していた。
「いいのか? いけるのか?」
昨日考えた斬新なワル、前例が無いだけにさすがの渡辺も不安だった。ラブレターだって一晩明けて見たら恥ずかしい内容だし、これもそうなんじゃないだろうか?
渡辺はあの後、何度もシミュレーションを繰り返した。斬新さ、基本。
そして、何度もネタの練習を重ね、客観的な吟味をし、夜中に公園でたむろしているお爺ちゃんに渡し、リハーサルをしたりもした。このワルが駄目だった場合、渡辺には後が無いのだ。ここで間違う訳にはいかない。
深呼吸をする。
幼稚園から母親と手を繋ぎながら帰ってくる園児達の群がやって来る。来たっ!
渡辺。
その男は、心臓の鼓動を感じながら、母親と手を繋ぐ園児に近付いて行った。齢四歳程度の少年少女。だが同じ年に生まれた犬など、もう四十を過ぎている。
油断するな。
「わん!」
ここで凡ミス。
思わず犬の真似をしてしまった渡辺。声を掛けた少女は「?」と不思議そうな顔で渡辺を見上げていた。母親は渡辺の制服を見て、マッちゃんの園児だと気付き、少女を引っ張って逃げようとする。
「待て! 怪しいものではない!」
渡辺は逃げようとする母親に、とっさに盲腸の手術痕を見せた。ちゃんと痛覚もあるし、病院にも行く常識人だと母親も理解してくれた。
そして、「渡したいものがある」と、すかさずチョコレートを取り出し、少女に差し出した。年端がいかないと言っても所詮は女。渡辺が板チョコで頬を何度か叩くと、少女は誘惑に負け「ありがとう」と受け取った。
その瞬間、渡辺の心にパーッと花が咲いた。昨日の商店街で感じたモノと同じ快感であった。渡辺は、自分に手を振る少女に手を振りかえし、そして彼女が歯医者で泣き叫ぶところを想像して、思わず笑みがこぼれた。ついに新しいワルを完成させたのだ。
この喜びに味を占めた渡辺は、もう門から出て来るガキに次々とチョコレートを配って行く。何人かは渡辺に「ありがとう」と言って美味しそうにチョコを食べてくれた。
その日用意した籠のチョコは空になったが、渡辺の心の籠の中には園児達の笑顔がいっぱいだった。
俺の実験は正しかった。
ワルは、今日、一歩前に進歩したのだ。
それを知っているのは今のところ、渡辺ただ一人。
その夜は、寝ていてもソワソワは止まらない。あぁ、あぁ、何だこれ。味わった事の無い喜びにどうしていいのかが解らない。
兎にも角にも、新時代のワルを開拓してしまった渡辺。その噂はスグに幼稚園中に広がった。何かとすぐに広がる幼稚園であった。
「渡辺さん、すげぇワルを考え付いたらしいぞ!」「快挙にいとまがないとは、この男の事だ!」「一体、どんなワルなんだ!」
手下達は渡辺の新しいワルの話が聞きたくて、休み時間のたびに押すな押すなと集まって来てしまう。これじゃあ、トイレも満足に行けやしない。ウンコがもう限界だ。
「渡辺さん、新ワルって一体、どんなワルなんですか!」
「もう、俺たちは知りたくて知りたくて、限界です!」
「ください! 早くください!」
全く、しょうがない奴らだ。
「じゃあ、今日は幼稚園が終わったら、皆で街に小さなワルを見つけに行こうか」
渡辺が言うと、手下達は「わーいわーい」と手拍子で喜んだ。
いつの間にか孤児院の優しい園長みたいなポジションに落ち着いてしまった渡辺。切り株に座っているのが似合いそうだ。
ウンコをした。
その日のお遊戯の時間は、渡辺の快挙をたたえる意味で『大きなノッポの古時計』を歌う事となった。
ガタイだけは一人前の不器用な時計が、たった一人のジジィの為に一生を捧げる。菅原文太と若山富三郎のダブル主演で映画化して欲しかった任侠の極みのような歌だ。
今は……もう……動かな、ひっっっいぃぃぃぃぃ。
渡辺は、この最後の「ぃ」の伸びるところを歌うといつも背伸びをしてしまう。そして、心の中で「さん、はい」と囁き、
その、とーけーひいぃぃ。
と、この歌を閉める。この「さん、はい」と心で思うのが、渡辺は好きだった。もちろん、ずっと目を瞑っている。
静寂。
眠れ、時計とジジィ。
そして放課後。渡辺達、みかん組一同は東マッドセガール駅にやって来た。
『駅、それは人々の一日の終わりであり、一日の始まりでもある場所だ』
渡辺は思った。
「どっちなんですか、渡辺さん」
手下の一人が聞いて来た。情緒のない手下だ、と渡辺は思った。
渡辺は今の言葉を心のポエムに記入する事とした。良いポエムだった。ふぅ~。
渡辺は一息ついてから、手下達に己の編み出した新境地のワルを披露する事にした。
夕方の駅前。さらにここは治安が東アジアで一番悪いと言われている東マッドセガール駅の北口。駅の改札を出るとそこに広がっているメインストリート。まともに服を着てる奴など、ほとんどいやしねぇ。
股間を隠すためのお菓子の箱が飛ぶように売れた。
歩いているヤツ歩いているヤツ、どれを見てもチンピラ、ヤンキー、ギャル、糞ババァ、物乞い、トラック野郎、ヤブ医者、半裸のモヒカン、バンドマン、落語家。鳥よりも甲高い声で奇声をあげているヤツ。
全宇宙のマフィア、ヤクザの事務所の七十パーセントがこのマッドセガール市に集まっていると言われているだけはある。
二足歩行してるやつを見つけるだけで一苦労だ。とんでもねぇ駅前だ。
公園脇では、別のヤンキー高の生徒達が明日のマッドセガール工業幼稚園の入学を夢見て、カツアゲやスリなどの練習に講じていた。
「じゃあ、俺がスリやるから、お前、歩いててくれ」と漫才からコントに入るくだりみたいなやり取りをして練習をしている。そのくだりを見るのが渡辺は好きだった。
だが、その遠くから見ても解る生意気なニキビ面に渡辺はぶん殴ってやりたくなった。人間を顔で判断した男、渡辺。
ワルは芸である。努力だけではどうにもならない。一流のワルには、コイツがやるとなんか許せてしまう『ふら』と呼ばれる才能があるものだ。
自分より弱い奴からカツアゲをしても芸が無いのだ。ワルを名乗るなら、最低でも自分より強い人間からカツアゲをし、世間から「やるなぁ」と思われなければいけない。
偉大な先人には『ブラジル、金出せヤァ!』とスコップで地底にカツアゲへ向かい、そのままモグラと結婚をした者もいるという。
「ま、マッ稚園(まっちゃん)だ!」
マッドセガール工業幼稚園は「マッ稚園」と略され、「マッちゃん」と呼ばれている。渡辺達の姿を見るや、カツアゲの練習をしていた不良達は中断し、渡辺達に頭を下げた。
その後、道の向こうから警官達がパトロールして来るのを見るや、「あ、警察だ!」と、そそくさと逃げて行ってしまった。
警察ごときに逃げるヤツに悪が務まるか!
「最近はこの辺の警察の見回りも強くなってきたな」
蓬田が呟いた。
「ヤツら、この辺でもどんどん正義感を振りかざして逮捕ばかりして、悪さを繰り返してるって噂だぞ」
蓬田のそれを聞いても、渡辺はむしろ面白いと言わんばかりに笑った。
「だから、俺達のワルで世の中を幸せにしてやらないといけないだろ?」
渡辺は力が漲った。ワルで世界を平和にする。それが、渡辺たち、マッドセガール工業幼稚園の園児の使命だ。
「渡辺さん、はやく新ワルを見せてくださいよ!」
「そうだな」
渡辺はさっそく、新ワルの餌食として、メインストリートから駅の方へ参考書を見ながら歩いてくる浪人生にターゲットを付けた。
警察、見てろよ!
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