第5話 渡辺とうんこを持つ係
渡辺はのそりのそりと、参考書に眉間の皺を寄せている浪人生に近付いて行った。渡辺が半径三メートル以内に入っても浪人生は勉強を止めようとしない。
「渡辺さんの新ワル……」「しかも、今回はただ事じゃないレベルのワルだ」「こりゃ、死人が出るぞ」「結局、葬儀屋が儲かる様に世の中できてるぜ」「葬儀屋になろう」
見守る園児達は生唾を飲んだ。
「いや、渡辺は無闇な人殺しを芸だと思っていない。そんな事はしないはずだ」
蓬田がそう言うと手下たちは更にざわついた。長年、渡辺に仕えている蓬田は渡辺の哲学を熟知していた。
「じゃあ、人は殺さないのか」「でも人を殺さずに、どうやって人が死ぬんだ?」「渡辺さんはそれを可能にしたんだ」「さすが渡辺さん」「結局、葬儀屋が儲かるんだよ」
手下達は、また生唾を飲んだ。
パトロール中の警官は渡辺の学ランに気付き、ホルスターに手をあてた。
それでも、渡辺の前進は止まらない。
すでに、渡辺と警官の水面下での駆け引きは始まったのだ!
渡辺は警察を意識しながら、改めて浪人生を観察する。
どうしてやろうか。
見るからに「一日中勉強をしています」と言った風貌である。
顔色も悪い。机に向かっているから運動もしていないのかもしれない。それで大学に落ちるなど、親泣かせで中々のワルである。
渡辺は、その男が落ちると決めつけた。落ちると疑わなかった。落ちるようにしか見えなかった。落ちればいいのにと願った。
「しかし、歩きながら勉強している。このままでは、この男は大学に受かってしまう」
そこに渡辺のワル心がうずいた。それは、大学側も本望じゃないだろう。可愛い女の子を大学側も入れたいはずだ。この男を大学から落とさなければ。
渡辺が考えながら己のポケットに手を入れると、中で紙がグシャッとなる感触。これだ!
渡辺は、眼光鋭く浪人生に話しかけた。
「おい! 負け犬!」
「キャイーン!」
浪人生は負け犬の返事をして振り向く。
それを見ていた警官が渡辺に銃を構える。辺りに緊張感が走る。
出るぞ、犬の糞のようなワルが!
「くらえぇぇ!」
渡辺はポケットの中のカラオケの割引券を取り出し、浪人生に渡した! そして、目の前のカラオケ屋に負け犬を放り込んだ。
割れる窓ガラス! 掃除をする手下たち。新しいガラスを張る渡辺。その間、二秒。
「おぉ! 渡辺さんが負け犬をカラオケ屋に投げ飛ばしたぞ!」
「で、どうするんだ? こっから!」
手下達と警官は、渡辺の動向に注目した!
そしてカラオケ屋に入った渡辺!
「学生一枚、浪人一枚」
なんとそのまま普通に部屋を予約して、浪人生と部屋に入って行ってしまったのだ。
なんだこのワルは。
手下と警官は顔を見合わせた。
中から浪人生が楽しく歌を歌っている声が聞こえてきた。アニソン。これでコイツは勉強ができなくなり、来年も落ちるのだ。
「半笑いの学ランの人、ありがとう!」
カラオケを終えると、浪人生は渡辺にお礼を言った。警官は、渡辺を逮捕できず、悔しそうにまたパトロールに歩いて行った。
渡辺はソイツの家に「サクラチル」と言う電報が届く事を思い浮かべ、勝ち誇った顔で手下の元へと戻った。まぁ、有り合わせにしては、それなりのワルだった。
「どう?」
渡辺は得意げに手下どもに尋ねた。
が、斬新過ぎたのか、手下達は渡辺の繰り出したワルに「え? 終わり?」と拍子抜けした顔をしていた。
あれ?
「これはワルなのか?」「いや、渡辺さんがワルと言っているし」「でもよぉ……カラオケ奢っただけだぜ」「しかも見ろよ、渡辺さんの顔。おむつを替えて貰ったお祖父ちゃんみたいな笑みを浮かべているぞ。あんな穏やかな顔がワルの後の顔かよ!」「渡辺さんは言っただろ、これが新境地なんだよ! ついていけない奴は、置いていかれるぞ!」
いつの間にか、手下達はゴショゴショと渡辺に背を向けて円になって相談しだしていた。
あれ?
小首をかしげる渡辺。
「渡辺!」
円の中から蓬田が顔を上げた。顔が引きつっている。何があった、蓬田!
「も……もうちょっとだけ時間をくれ!」
蓬田はそう言うと、また手下達と輪になって話し合いを再開した。
「うん」と渡辺は言った。誰も聞いてなかったけど。
謎の寂しさをおぼえる渡辺。
昔、まだ渡辺のワルがショボく、下着ドロとかしていた頃。
近所のオバハン達が赤ふんを握っている渡辺を見ながらこんな感じで話し合いをしていた記憶があった。
「何がおかしいんだ?」
あの時は訳が分からず、炎天下の下、渡辺は「ホモ」とか聞こえてくる警官とオバちゃんの相談を見ながらボーッと突っ立っていた。
「ねぇねぇ、竜二」
不安になって、究極のイエスマン、竜二の肩を突っついてみることにした渡辺。
しかし、「竜二なら褒めてくれる」とたかを括っていたが、見積もりが甘かった。
振り返った竜二の顔は、見た事も無い険しい表情をしていた。その劇画タッチの表情の竜二が「ど、どどどどど、どうしたぜ? 渡辺」と引きつった声で言った。
あれ?
あの、誕生からワルをかまそうと、逆子で産まれて来た渡辺に「さすが、渡辺だぜ!」と保育器の中で叫んだ。それが最初に喋った言葉だと言われている竜二ですら、この形相。
「やっちまったのか、俺?」
渡辺の不安がドンドン大きくなる。なんか、小さく皆で多数決してるぞ。しかも二回に分けて半々づつ手が上がってる。意見が割れてるって事だよね、あれ。
と、そこで手下達の輪が解け、渡辺の方へ近寄って来た。あまりに長い事、輪になっていたから、渡辺の位置を忘れて逆方向に歩き出してしまう者までいた。
「渡辺、すまん時間がかかってしまって」
「いや、いいよ」
蓬田が先頭に立ち、皆の意見を代弁してくれた。
「渡辺……素晴らしい。新しいよ、今のワル」
蓬田から帰って来た評価は以外にも好印象。
「え? ホント?」
渡辺が尋ねると、蓬田の後ろの手下達も引きずった笑顔で頷いてくれた。
「最初は俺達にはレベルが高過ぎて理解に時間が掛かったんだ、すまん。でも長時間話し合って咀嚼したら、いいワルだったって理解できた。
でも、良い芸術ってのはそうやって生まれるもんだろ。凡人には荷が重い。お前のワルは、ワルを突き抜けた人間にしか理解できない、スゲェワルだった」
蓬田のその一言をきっかけに、後ろにいた手下達が一同に渡辺に拍手を送った。
「最高だぜ、渡辺!」
さっきまで、あんな恐ろしい形相をしていた竜二が満面の笑みで言ってきた。
「さぁ、皆も渡辺に続け、俺達もマッドセガールの名に恥じない、最高のワルをするぞ!」
蓬田の掛け声で皆が駅前に散って行った。
「蓬田よ、学ランの背中が何でそんなに汗でビチョビチョなんだ?」と渡辺はちょっと気になったが、あえて口にはしなかった。それがリーダーというものだ。
手下達は「渡辺に続け」と、駅前に隠れている小さいワルを見つけるべく散っていった。
「斬新なワル」これが今日のテーマだ。
渡辺はロータリーのベンチに座って手下達の姿を眺めている事にした。日が西の空に沈みかけ、街が青色に染まった景色。渡辺が一番好きな時間帯だ。
「渡辺さん!」
そんな中、斉藤が渡辺の名を呼び、駅の横にある花壇のウンコを指差した。「あのウンコが俺かっ!」と渡辺は驚いて、斎藤の方へ飛んで行った。
「どうした!」
渡辺は斉藤が指さした犬のウンコを観察した。これが俺か……見れば湯気が出ている。「温かい渡辺だね」と渡辺は心で詠んだ。
よく見るとその犬のウンコは公園の花壇の花の中にこんもりとされていた。
「この渡辺がどうした?」と渡辺は尋ねる。
「このままウンコが居たら、ウンコの栄養で花が元気に育ってしまうと思います! だから、ウンコを片付けましょう!」
斉藤はウンコをビニール袋にしまって、お花達から栄養を取り上げた。
斉藤のワルに周りの手下からどよめきが起こった。
「すげぇ! 渡辺さんを超えたんじゃないか!」「天才がここにいた!」
渡辺は、自分が買ったゲームなのに友達に記録を抜かれたみたいで嫌な気分になった。渡辺はワガママ。
帰りに蓬田から「そのうんこ捨ててきた方がいいんじゃないか?」と言われ、渡辺は小走りで、斎藤が拾ったウンコを捨てに行った。
いつの間にか、渡辺がウンコを持つ係になっていた。
渡辺の提案した新しいワルは「今までのワルと違って何か達成感がある」と、手下達にも好評であった。
渡辺は久しぶりに皆とワルを堪能し、満足した気分で家に帰った。
「今日は記念日だ」と渡辺は日記を書く事にした。そして、眠くなったので、寝る前にエロすぎて発光してしまう行為をして、「満足」と電気を消した。夢はもちろん悪夢。うなされる渡辺。
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