第3話 渡辺と新時代の夜明け
渡辺は悲しくなった。時代が遅かった。もうすでに、渡辺のやりたいワルは先人達やりつくされてしまっていたのだ。
言い伝えでは、この街も昔は警察と犯罪者達が正義感とワルの凌ぎを削りあっていたと聞く。が、現代のマッドセガール市に、そんな風情は何処にも無い。
渡辺は竜二の正論に落ち込んだ。そのせいで、大好きな粘土の授業でもずっとため息を漏らしていた。幼稚園らしい授業である。
「どうしたんだよ、渡辺。お前の大好きな粘土だぜ!」
さっき殴ったはずの竜二はもうケロっとしてやがる。
「渡辺、なんかあったのか? いつもみたいに、おでん作れよ」
蓬田にそう言われ「俺は、そんなにいつも粘土でおでんを作っていたのか」と少しショックを受ける渡辺であった。たまにだと思っていたが。
「蓬田。巻いて貰えないと解っているマフラーを妻子持ちの男に編む女ってのは、こんなにも辛いのか……」
渡辺には少しポエム癖があった。
「何言ってるんだよ、お前。はやく、おでん作れよ」
渡辺の気持ちは蓬田には届かなかった。言われた通り、渡辺はおでんを作る事にした。
こねこねこね……がんもどきができた。
「あら、渡辺君、今日も上手におでん作ったわ……」
が、がんもどきの中を開けると、中から竜二の生首が出てくるという、とんでもない作品を作ってしまい、粘土の先生を「ぎゃあああああ!」と気絶させてしまった。また、竜二の粘土の顔が似てた。
渡辺は己のワルで世に人々を幸せにすることを夢見て、幼い頃からワルに励んできたのだ。そして、自分のワルがF1層に特にウケが良いことを悟り、『恋に臆病な人々を勇気付けるワル』と言うのを目指して日々精進してきた。
なのに、もう、ワルは時代に求められていないのか?
「渡辺が軽く鬱だ」
その噂は、あっという間に幼稚園中に広まった。カリスマ渡辺に憧れる園児達は密かに皆、この男の哀しげな姿を心配に思い、渡辺のためにセーターを編む園児が十三人も現れた。
そして、そんな多くのセーターをもらって困った渡辺は更に病む。病むと更にセーターが編まれると言う、おセンチのスパイラルに入ってしまった。
帰りのお遊戯の時間。その日の歌は、渡辺の大好きな『チューリップ』であった。
「どの花を選べばいいのか解らない、少女の優柔不断な心情を謳った名曲だ」
と、渡辺もこの歌には一定の評価を下していたが、その日は全く声が出ていない。いつもなら大声で歌っている筈なのに。
「どうしたんだよ、渡辺! 元気に歌おうぜ! それじゃあ小鳥だぜ!」
竜二にそう言われて「うるせぇピヨ!」と返した。
渡辺のターゲットと同じ、F1層にウケる童謡すら歌えないくらいに渡辺の心は沈んでいたのだ。
その日、渡辺のワルは終わったのだ。
放課後。
渡辺は当てども無く街を彷徨った。
夕方のマッドセガール商店街。夕飯の買い物などで賑わっているここに、今日も愛の無いワルで束の間の心を潤す尻軽OLの様な渡辺の姿があった。しかし、今の渡辺の寂しさはワンナイトワルでは癒せない。
道行く買い物客は渡辺達の学ランを見るや恐れをなし、海が割れる様に道を開けて行く。マッドセガール市には全国の約八十パーセントの不良高校が集まっていると言われる。その中でもマッドセガール工業幼稚園の園児達は地元では恐れられる存在である。
脇道から、渡辺に怯える子連れの父親は「ああいうのがボクシングをやって、引退後にお馬鹿タレントになるんだぞ」と己の息子に忠告している。
「渡辺さん、見て下さい! 群衆が渡辺さんに平伏してますよ!」
「渡辺さん、こんな快感を味わったら、元気になりましたよね!」
手下達は嬉しそうだ。愚かな。しかし、渡辺にはその愚かさが羨ましくもあった。
「もう、俺をシュビビンとさせてくれるワルは、この世には無いんだ」
そう悟っている渡辺には群衆の平伏など……。
その瞬間、後ろから子供の泣き声が聞こえてきた。振り返ると、どうも子供はチョコレートを何者かに取られてしまったようだ。カツアゲである。
「みっともねぇ」
渡辺は低レベルなワルを目の当たりにして、自分がやった訳じゃないのに情けない気持ちになった。弱者からモノを取って何の達成感があるというのだ。
そんなワルで人々が幸せになるものか!
「誰だよ、やってるバカは?」と渡辺は馬鹿野郎の姿に目をやった。俺の手下じゃねぇか。
「あ、渡辺さんも、チョコ食べますか? 美味いっすよ」
斎藤が泣いている子供の横で、嬉しそうにチョコを渡辺に向けて来た。
「……情けねぇ」
その斎藤のニヤケづらが、渡辺の心をせき止めていた堤防を吹き飛ばした。気付いたら、渡辺は人目もはばからず、その場で大泣きしていた。
「渡辺さん、どうしたんですか!」
渡辺の突然の号泣に、手下達は慌てて駆け寄ってくる。
「何で泣いてるんだ、渡辺さん?」
「お前がチョコをあげなかったからだろうが!」
斉藤が「すいません」と渡辺にチョコを差し出した。ちげぇよ。
美味しい。
チョコは正直だ。食ってみると、これがなかなかどうして。
「カツアゲのダメなところは売っていた店が解らないところだな」と渡辺は思った。今後の改良点が見つかった。
が、そんなことは今はどうでもいい! 手下に情けないワルを見せられ、渡辺は疲れきってしまったのだ!
「死のう」
渡辺はそう呟き、一人、歩き出した。
「渡辺さん!」と追いかけてくる手下どもなど、もう渡辺の目には入らない。だって、死ぬんだから。
作品ができない苦しみから死んでいった芸術家も、この空の下にはいたのだろう。
渡辺も今、その名も知らぬ英雄と同じ道を歩もうとしていた、その時だった。
「あのぉ」
後ろから渡辺に話しかける若い女の声がしたのであった。
しかし、もう、渡辺にはどうでも良い事だ。なぜなら死ぬんだから。
だが。
どうでも良いけど、結構カワイイ声だった。こんな声に叱られた日には、毎日ワルさをしてしまうってもんだ。だが、もう渡辺には関係ないのだ。なぜなら、明日には天国にいるんだから。
だが。
関係ないけど、念の為、立ち止まってチラッと声の方を振り返ってみる渡辺。良い女だった。だが、悲しいかな、もう女の顔面偏差値など渡辺には関係の無い事なのだ。なぜなら、渡辺はもう少しで永遠に目を瞑ることになるのだから。
だが。
関係はないけど、渡辺は念の為、「なんだ?」と返事をしてみた。「死ぬ直前までスケベでいたい」、それが生き物を繁殖させてきた地球への礼儀だと、渡辺は思ったのだ。
良い女は、さっきのチョコをカツアゲされた子供を連れていた。こりゃ、怒られるか? 「夢がさっそく現実か?」と渡辺は心の中でニヤニヤした。しかし、もう渡辺には関係のない事。残念だ。
「関係ないけど、念の為に叱られてみるか」と心の中で腕をまくった渡辺。グイグイと良い女に生の方へと引っ張られる渡辺。こりゃ、女は怖い。
「こいやぁ!」
渡辺は腰を落として、女に叱られる土台を作った。早く発射してこい!
しかし、女は「?」という顔で渡辺を見ていた。説教だと思いきや、どうやら違うらしく、渡辺は「なに?」と、とぼけた顔で尋ねた。この顔がまた可愛かった。
「あ、ありがとうございました!」
その母親は、そう言って渡辺達に頭を下げて来た。
あれ?
「うちの子、虫歯で歯医者から甘いモノを止められたのに、勝手に買っちゃって。それをカツアゲして戴いてありがとうございます! 凄い良いワルでした!」
ガキの母親はその豊満で瑞々しい体を前方に折り曲げ、渡辺にお礼と言うミサイルを発射した。
「……ありがとうございました?」
渡辺の頭の中で、その言葉が何度もリフレインした。そして、渡辺はハッとした。
「そうか!」
何で、今まで気づかなかったのか。簡単な方程式ではないか!
ガキはチョコを食べたら虫歯になってしまうのだ。今までガキからチョコを取るのがワルだと決めつけていたが、チョコを取り上げたらガキは虫歯にならないではないか。
渡辺は、その女性の感謝と言うリアクションに固定観念を破壊された。お歳暮でとんでもないミサイルを戴いた。
目から鱗だ。真のワルを目指すならば、チョコを子供に差し出して、虫歯にさせなければならなかったのだ。長い目で見れば、これもワルではないか。五年後を見据える投資家目線のワルだ!
「すげえ!」
渡辺はその大発見に震えた。
突然の渡辺の大声にお礼を言った親子は怯え出した。
「さっそく、実験だ」
北欧の天才少年、よろしく。仮説ができたらすぐ実験したがるのが渡辺の良いところである。
すげぇワルができそうだ。ワルの根底を覆した。投資家目線だ。
渡辺の心には過去のどの斬新なワルにも匹敵する手応えがあった。これはいける。これこそが俺が求めていた斬新なワルだ。
「ありがとう、いい女! 俺の青春が生き返ったぜ!」
渡辺は、母親にそう言って、政治家みたいな握手をした。ありがとう。
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