ビコーズ・ラブ・ユー 3

 ジュナがグレンの病室へ近づくと、見覚えのある男が花束を手に佇んでいた。


 通りがかった人々が振り返り、うっとりと惚けた顔をする。男女も年齢も関係なく、誰もが彼に魅了されていた。


 ジュナは、この男を知っている。もう一人の天才と呼ばれ、今や国民的スターといえる人気のライダー。ヴォーダンの相棒で、グレンの好敵手。


「アウルさん」


 ジュナは、佇む男に声をかけた。彼は、ゆっくりと振り向く。


「君は、ジュピターの……」


 アウルは優しげな口調で、考え込むように首を傾げた。やや経って、思い出したのか、整った顔立ちを綻ばせる。


「ウォーディ先生」


 アウルは納得したように頷いた。レースで見る激情の顔でない、素直で穏やかな印象のある青年だった。


「ジュナでいいです。グレンたちと話をするとき『アウルさん』って呼ばせてもらってますから」


 ジュナは微笑み、整った輪郭を見上げる。


 アウルは気の抜けた表情になった。


「え、僕の話かい? あいつら、変なこと、話してないだろうな」


 かと思えば、彼は眉根を寄せ、ううむ、と呻る。表情豊かな様子は見ていて飽きない。


「ふふ、面白い話ばかりです」


「え、え? 困るなぁ」


 アウルは困り顔になったが、怒る素振りは一つもなかった。心が広いのだろう。


 彼は絶大な人気を得ているのに、少しも偉ぶらず、穏やかに丁寧に言葉を返してくれる。国民に愛される理由が、確かにあった。


「中、入らないんですか?」


 ジュナは病室を示し、問いかけた。アウルは手にする花束へ視線を落とし、儚げに笑む。


「意地を張って、あいつに勝ったと思えるまで会わないと言ってしまってね。まだ勝ったと思えないのに、どうしたものかと悩んでしまって」


 花束を持つ手に力が入ったのか、紙包みの擦れる音が鳴った。


 会いたいなら会えばいいのに、と、ジュナは考えるが、好敵手であるがゆえに引き下がるところがあるのだろう。アウルは自身の発言に責任を持つ性格な気がするし、適当にやり過ごすこともできないのだ。


「ヴォーダンで勝ってるでしょう?」


「あれは、竜の力が全てだよ。僕の技術じゃない。海竜賞かいりゅうしょうでのグレンを見ただろう? 僕たちを盾にしたり風除けに使ったり、とにかく、すごかった。あいつの作戦を見抜けないんじゃあ、僕の完敗だ」


 アウルは楽しげに、嬉々として言う。ジュナは、そっくりの顔で話していた人物を知っていた。


「楽しそうに言うんですね。グレンと同じです」


 ジュナが微笑んで言うのに、アウルが面食らった顔をする。


 彼は、不本意そうに、けれども嬉しそうに、照れて自身の頬を掻く。


「そうなのか」


「はい。アウルさんのバレルロールは、すごいんだぞって言ってました」


「僕の、バレルロールが……」


 ふと、アウルの表情が曇った。


「ジュナさん。グレンがどれくらいでバレルロールを覚えたのか、知っているかい?」


「え? いえ、聞いてないですね」


「一回だよ。グレンは、たった一回、僕のを見ただけでバレルロールを習得したんだ」


 驚きで目を見開くジュナに、アウルは情けなさを交えて笑ってみせた。どうしようもない壁があるのだと、彼は言っているようだった。


 アウルは花束を差し出し、ジュナはそれを受け取る。


「僕は帰るよ。神竜賞しんりゅうしょうで待ってると、グレンに伝えてほしい」


 アウルは告げて、ジュナに背を向けた。


 一瞬で背筋が凍りつく。それは、グレンにとって死の宣告になると悟ってしまったのだ。


「待ってください!」


 反射的に、引き留めるための手が伸びる。アウルの腕を両手で掴んでしまい、受け取ったばかりの花束が床に落ちた。


「あなたに、そんなことを言われたら! グレンは出るしかないと思ってしまう! だって、グレンは、グレンはっ……!」


 悲鳴のように、切なる響きが二人の間を埋め尽くした。ジュナの身体からだが、怒りか、悲しみか、判然としない感情で震える。


「ジュナさん……」


 アウルは眉をひそめた。彼は緑色の瞳に悲哀を込めてジュナを見つめ、震える手へ指を添える。


「僕たちは、ドラゴンライダーだ。竜に乗ることでしか、存在証明できない人間なんだ。他の世界では、生きていけないんだよ」


 彼は一つ、一つの言葉を穏やかに紡いで。一本、一本の指を丁寧に剥がしていく。


 アウルは屈み、花束を拾い上げた。それをまた、ジュナへ差し出す。


「君が、どんな答えを出しても、僕には責められない。グレンにだって、きっと責められない。ただ、あいつはドラゴンライダーだ。それだけは覚えていてほしい」


 アウルは微笑んだ。その顔には、どこまでも許そうとする寛容さがあった。


 彼が去っていくのを、ジュナは見送る。ドラゴンライダーという言葉が、思考をぐるぐると回っていた。


 ジュナは思い出している。ウォーディ竜牧場への道中、コクと話したことを。

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