ウィザード・マスター 4
昼食は和やかに進み、三人は快い時間を過ごした。
さて、と、ザムは自身の膝を叩く。
「こんだけ働いてくれりゃあ、なにもせん訳にもいくまいよ。ババアの愛弟子に面と向かって教えるのは
ザムは真剣な表情で言った。いよいよか、と、グレンたちは身構える。
「普通、竜の魔力量ってのは、生まれるときに器の大きさを決められて、どんな訓練でも増やせないもんだ。魔力を満たすのも自然から吸収するしかなくてな、日々の暮らしの中で溜めていく。
二人はザムの話に耳を傾ける。
鳥のさえずりが、名伯楽の話に彩りを添えていた。
「でも魔力ってのはな、量だけ、ありゃいいってもんじゃねぇ。要は、使い方だ。いかに効率良く使って推進力を得るか、それを学習したもん勝ちなんだよ。その点で言やぁ、ゴルトは、おれが見た中でも一番、使い方が上手かった。あいつは
「ザムじいさん、魔力の使い方なんて、どうやって覚えるんだ?」
「そんなもん、使いまくって慣れるしかねぇ。魔力の使い方なんてのは、結局、
掃除していたときの光景を思い浮かべる。確かに、グレンと二人の疲労度を比べれば、歴然とした差があるだろう。
それは、竜乗り技術にも通ずるものがあった。竜を力任せに押さえるより、意思疎通によって抑える方が体力的に楽なのだ。
「
ジュピターの姿が、グレンの脳裏を掠めた。
彼は自身で、
「
ザムは一息つき、冷めた紅茶カップへ手を伸ばす。紅茶を口に含んで飲み下すと、ゆっくりと呼吸した。彼は、もう一口、紅茶を飲む。
「私は、ジュピターを強くできるんでしょうか」
ジュナは難しい顔をして呟いた。それは浅く軽いものでなく、彼女がずっと抱えてきた大切で重い意味を持つ疑問なのだろう。
ザムは全てを見通すかのような澄んだ瞳で、ジュナを見据えた。
「……サンドイッチも、紅茶も美味かったからな。もう一つ、元、調教師の独り言をくれてやる」
彼は紅茶カップを丸テーブルへと置き、ふっと表情を和らげる。
ジュナは涙を溜めて頷き、身を乗り出した。彼女の悲壮さを感じたのだろうか、ザムは表情をより引き締める。
「おまえらジュピターのこと、案外、長い距離飛べるんだなって思わなかったか?」
ザムの指摘に、グレンとジュナは顔を見合わせた。言われて初めて、気づいたからだ。
ジュピターの体型といえば、典型的な短距離型だ。全身に厚みのある筋肉がしっかりと付いていて、力を込めれば丘陵がごとく体の表面が盛り上がり、筋骨隆々という言葉を体現するようで。彼の体を見て、スプリンターと言わぬ者などいない。
しかし、グレンは思う。
ジュピターが
「まあ、普通に考えるなら、ジュピターは短距離でしか活躍できん竜だ。そもそも、筋肉ってのは種類がある。大雑把だが、瞬発力を生み出す筋肉は厚く、持久力を生み出す筋肉は薄いってな具合だ。マラソンランナーが細身に見えるのは持久力を生み出す筋肉が薄いせいであって、筋肉量は一般人と比較にならん。竜にも、同じことが言える。ジュピターの筋肉は厚い、だから短距離型ってことだな」
ザムに二人は頷く。次の言葉を待つ。
「けどな、たまーに、いるんだよなぁ。ゴリゴリの筋肉質なのに、長距離まで飛ぶ…………瞬発力と持久力、両方の性質を兼ね備えた、極上の筋肉を持つ竜がよ」
ザムは不敵に笑んだ。二人、揃って驚き、口を開ける。
「い、いるのか? そんな竜」
「おう、いるさ。おれも数頭しか会ったことねぇけどな。たぶん、ジュピターはそれだ。どこまで飛べるかは実際に飛んでみねーとわからんが、二十四キロメートルまでは保つと思うぜ」
二十四キロメートル。
ザムは、ジュナへ身体を向けた。彼は
「テレビで初めてジュピターを見たとき、良い腕の調教師がついてやがると感心した。嬢ちゃんは間違いなく、ルクソール・ヴァリの技術を受け継いでる。大丈夫だ、育成の方向性は悪くない。嬢ちゃんなら、ジュピターにとって最上の形で、良い箇所に筋肉を付けてやれる」
ザムはジュナへ、力強く頷いてみせた。
彼は雑な性分ではあるが、竜に対しては繊細だ。嘘も吐かない。そんな彼が『大丈夫』と言うのだから、どんな賛辞よりも嬉しく心強いだろう。
「はい、ありがとうございます……!」
ジュナは唇を、くっと真一文字に引き結んだ。涙を堪えるときの癖だ。
堪えきれなかった涙が滲んできたのだろう、彼女は指の腹で丁寧に拭う。
「私、片付けてきますね!」
ジュナは急いで、皿や紅茶カップをトレーに回収する。そして、逃げ込むように掘っ立て小屋へ。
基本、彼女は泣く姿を見せたがらない。だから、今は放っておくのが良い。
グレンは独りでに頷き、掘っ立て小屋からザムへ視線を戻した。が、尊敬も感謝もすべき豪快な老人は数秒前とは打って変わって、どうしてか下卑た笑みを浮かべている。
率直に言おう。嫌な予感がした。
「良い子じゃねぇか。もう告白したのかよ?」
ぶふっ。唾を吹き出したグレンは、胃の中のものまで出してしまいそうになる。
慌てて口元を腕で拭い、平静を装い、映画の登場人物さながらに肩を竦めるポーズをしてみせた。
「ジイサン、ドウカ、シチマッタノカヨ」
やけに、片言になった気がする。
ザムの、じとりとした視線が、グレンの三文芝居へ突き刺さった。
「いや、おまえ、よく、それでバレねぇと思えたな」
ザムは溜め息を吐く。ごまかしに失敗したようで、グレンは完敗を認めざるを得ない。
「で、告白しねぇのか?」
ザムが丸テーブルへ身を乗り出してくる。グレンは気まずさを、後頭部を掻いて紛らわせる。
「…………しないよ」
グレンは、ぼそりと答えた。
なんでぇ、と、期待はずれだったようにザムが嘆く。彼は更に深く、上半身を丸ごとテーブルへ乗せ、グレンへ顔を近づけた。
「あんなに良い子、他にいねぇぞ。砕けるつもりで当たってみろよ、上手くいくかもしんねぇぞ」
勢いに任せ、シワだらけの手がグレンの腕を叩く。
それを冷静に受け止めてから、グレンは首を横へ振った。
「俺には、ジュナまで背負えないと思うんだ」
覇気なく、零すグレン。
身を乗り出していたザムは心情を悟ってか、大人しくなって切り株椅子へと引き下がる。勝負の世界を生き抜いた名伯楽であれば、痛いほどに理解できるはずだ。
グレンは、ジュピターと勝っていきたいという欲を自覚した。アウルとヴォーダンに、いや、誰にだって負けたくはなかった。
勝ちたい。ただ、勝ちたい。それは他を拒絶する、強欲に塗れた激しい熱情。気を抜けば、己すら焼き焦がしてしまうもの。
今のグレンに、恋人を大切にする余裕はなかった。例え、告白が成功しても、ジュナにとって良い恋人にはならないし、それは彼女を大切にしたいという信念と反する。
だから、告白しない。こんな男が、彼女を幸せにできるはずがないのだ。
「真面目すぎんだよ、おまえは」
ザムが赤いキャップを、がばりと取り、薄くなった短い白髪を乱雑に掻く。
「男はな、ついつい他を放って熱中しちまうし、本気で勝負したいとき余計なもんを持ちたがらねぇ。不器用だからな、幾つも持ちながらじゃあ戦えねぇんだ」
どん。頭を掻いていたザムの片手が、勢い良く丸テーブルへ振り下ろされた。暗い表情をしていたグレンは、びくりとして彼を見る。
「けどな、大切なものは余計なもんじゃねぇ。戦う力を与えてくれるもんだ。それが好きな女なら、尚更な。そいつら、まとめて背負うのが男ってもんだろ」
ザムの瞳は、熱血に満ちている。老いても
「おまえ、なにを諦めていやがる。好きなんだろ? 大切にしてぇんだろ? 背負えないだぁ? じゃあ、背負えるようになれば、いいじゃねぇか」
にい、と、ザムの口端が頼もしくつり上げられた。
「決着つけてこいよ。アウルとヴォーダンに勝ってこい。んで、胸張って告白すりゃあ、いいだろが」
ザムの強気な言葉が、グレンの頬を極限の力で殴りつけた。はっとして、目の前で不敵に笑う老人を見つめる。
勝ちたい。ただ、勝ちたい。では、勝ったとき、何が残るのか。
それは相棒と分かち合う喜びではないか。格別の達成感ではないか。揺るぎない自信ではないか。確たるものを手に入れた安堵ではないか。
そうして、自分はやっと、彼女と向き合えるのではないか。
「もたもたしてっと、他の男に取られちまうぞ」
ザムは、からかいを含めた笑みを向けてくる。グレンは翻弄されることなく、悪戯っぽく笑ってみせた。
「ザムじいさんに、とか?」
冗談に、彼女は渡さないという本気を込めて返す。すると、ザムは心外とばかりに片眉をぴくりと上げた。
「心配すんな。おれは、ルクソール以外の女は口説かねぇって決めてんだ」
予想外の切り返しに、グレンは目を瞬かせる。
「おれたちはな、約束してんだ。調教師として、多く勝った方の言うこと聞くってなぁ。あのババア、来年で定年だからな。もう、おれの勝ちは見えてる。今度こそ、あいつを頷かせてやんのよ」
ザムは、ガハハと勝ち誇った笑い声を上げた。ルクソールがメモを差し出すとき、
それは、一体、いつからの約束だろうか。きっと、気の遠くなるような昔からだ。
「通算勝利数で勝負してるのか? そんなに長く?」
驚きに満ちた顔をするグレンへ、ザムは誇らしく自慢げに笑む。
「ルクソールは、良い女だろう? あいつのためなら、死ぬまで待てる」
豪快で、そして健気な老人は、事も無げに楽しそうに笑っていた。
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