ウィザード・マスター 4

 昼食は和やかに進み、三人は快い時間を過ごした。


 さて、と、ザムは自身の膝を叩く。


「こんだけ働いてくれりゃあ、なにもせん訳にもいくまいよ。ババアの愛弟子に面と向かって教えるのはしゃくだからな、元、調教師の独り言として聞いていけ」


 ザムは真剣な表情で言った。いよいよか、と、グレンたちは身構える。


「普通、竜の魔力量ってのは、生まれるときに器の大きさを決められて、どんな訓練でも増やせないもんだ。魔力を満たすのも自然から吸収するしかなくてな、日々の暮らしの中で溜めていく。竜の魔術使いウィザードがすげぇのは、己の内に魔力を生み出すエンジンを持ってるってことだ。そのエンジンが動く限り、竜の魔術使いウィザードの魔力は尽きない」


 二人はザムの話に耳を傾ける。


 鳥のさえずりが、名伯楽の話に彩りを添えていた。


「でも魔力ってのはな、量だけ、ありゃいいってもんじゃねぇ。要は、使い方だ。いかに効率良く使って推進力を得るか、それを学習したもん勝ちなんだよ。その点で言やぁ、ゴルトは、おれが見た中でも一番、使い方が上手かった。あいつは竜の魔術使いウィザードじゃあねぇが、速さはヴォーダンにも引けは取らねぇだろう。つまりな、魔力さえ使いこなせれば、どんなヤツにも勝てるってことだ」


「ザムじいさん、魔力の使い方なんて、どうやって覚えるんだ?」


「そんなもん、使いまくって慣れるしかねぇ。魔力の使い方なんてのは、結局、身体からだの使い方と同じなんだよ。ほれ、グレン、この中で一番の筋肉量はおまえだが、さっきの掃除でひぃひぃ言ってたろ。俺と嬢ちゃんは非力だが、慣れてるから苦にもならねぇ」


 掃除していたときの光景を思い浮かべる。確かに、グレンと二人の疲労度を比べれば、歴然とした差があるだろう。


 それは、竜乗り技術にも通ずるものがあった。竜を力任せに押さえるより、意思疎通によって抑える方が体力的に楽なのだ。


竜の魔術使いウィザードは賢い。いや、賢いからこそ、力を覚醒させられるのかもしれねぇ。体を動かす心臓ってエンジンの他に、魔力を生み出すエンジンも持ってんだからな、賢く器用じゃねぇと使いこなせねぇってことなんだろう。あいつらは人の言葉を理解する。『魔力使え』って言えば、わかるんだよ」


 ジュピターの姿が、グレンの脳裏を掠めた。


 彼は自身で、竜の魔術使いウィザードの力を目覚めさせた。ザムの言う通り、賢く、己を自覚しなければ成し得ないことだ。


竜の魔術使いウィザードを鍛えるには、普段の調教で、体も魔力も使わせて慣れさせるこったな。とにかく、使いまくる。結局、訓練の積み重ねでしか強くなる道はねぇってことだ」


 ザムは一息つき、冷めた紅茶カップへ手を伸ばす。紅茶を口に含んで飲み下すと、ゆっくりと呼吸した。彼は、もう一口、紅茶を飲む。


「私は、ジュピターを強くできるんでしょうか」


 ジュナは難しい顔をして呟いた。それは浅く軽いものでなく、彼女がずっと抱えてきた大切で重い意味を持つ疑問なのだろう。


 ザムは全てを見通すかのような澄んだ瞳で、ジュナを見据えた。


「……サンドイッチも、紅茶も美味かったからな。もう一つ、元、調教師の独り言をくれてやる」


 彼は紅茶カップを丸テーブルへと置き、ふっと表情を和らげる。


 ジュナは涙を溜めて頷き、身を乗り出した。彼女の悲壮さを感じたのだろうか、ザムは表情をより引き締める。


「おまえらジュピターのこと、案外、長い距離飛べるんだなって思わなかったか?」


 ザムの指摘に、グレンとジュナは顔を見合わせた。言われて初めて、気づいたからだ。


 ジュピターの体型といえば、典型的な短距離型だ。全身に厚みのある筋肉がしっかりと付いていて、力を込めれば丘陵がごとく体の表面が盛り上がり、筋骨隆々という言葉を体現するようで。彼の体を見て、スプリンターと言わぬ者などいない。


 しかし、グレンは思う。夢見月賞ゆめみつきしょうでジュピターの体が万全であったなら、二十キロメートルでも勝負になったのではないか、と。


 ジュピターが竜の魔術使いウィザードの力を使ったのが、残り二キロメートル地点から。それまでの十八キロメートル、痩せ細った体のせいで遅れたが、彼は自力で飛んでいたのだ。


「まあ、普通に考えるなら、ジュピターは短距離でしか活躍できん竜だ。そもそも、筋肉ってのは種類がある。大雑把だが、瞬発力を生み出す筋肉は厚く、持久力を生み出す筋肉は薄いってな具合だ。マラソンランナーが細身に見えるのは持久力を生み出す筋肉が薄いせいであって、筋肉量は一般人と比較にならん。竜にも、同じことが言える。ジュピターの筋肉は厚い、だから短距離型ってことだな」


 ザムに二人は頷く。次の言葉を待つ。


「けどな、たまーに、いるんだよなぁ。ゴリゴリの筋肉質なのに、長距離まで飛ぶ…………瞬発力と持久力、両方の性質を兼ね備えた、極上の筋肉を持つ竜がよ」


 ザムは不敵に笑んだ。二人、揃って驚き、口を開ける。


「い、いるのか? そんな竜」


「おう、いるさ。おれも数頭しか会ったことねぇけどな。たぶん、ジュピターはそれだ。どこまで飛べるかは実際に飛んでみねーとわからんが、二十四キロメートルまでは保つと思うぜ」


 二十四キロメートル。神竜賞しんりゅうしょうの、距離。唾を呑み込んだグレンの喉が鳴る。


 ザムは、ジュナへ身体を向けた。彼は名伯楽めいはくらくらしい鋭い視線を送りつつも、穏やかに口元を緩ませる。


「テレビで初めてジュピターを見たとき、良い腕の調教師がついてやがると感心した。嬢ちゃんは間違いなく、ルクソール・ヴァリの技術を受け継いでる。大丈夫だ、育成の方向性は悪くない。嬢ちゃんなら、ジュピターにとって最上の形で、良い箇所に筋肉を付けてやれる」


 ザムはジュナへ、力強く頷いてみせた。


 彼は雑な性分ではあるが、竜に対しては繊細だ。嘘も吐かない。そんな彼が『大丈夫』と言うのだから、どんな賛辞よりも嬉しく心強いだろう。


「はい、ありがとうございます……!」


 ジュナは唇を、くっと真一文字に引き結んだ。涙を堪えるときの癖だ。


 堪えきれなかった涙が滲んできたのだろう、彼女は指の腹で丁寧に拭う。


「私、片付けてきますね!」


 ジュナは急いで、皿や紅茶カップをトレーに回収する。そして、逃げ込むように掘っ立て小屋へ。


 基本、彼女は泣く姿を見せたがらない。だから、今は放っておくのが良い。


 グレンは独りでに頷き、掘っ立て小屋からザムへ視線を戻した。が、尊敬も感謝もすべき豪快な老人は数秒前とは打って変わって、どうしてか下卑た笑みを浮かべている。


 率直に言おう。嫌な予感がした。


「良い子じゃねぇか。もう告白したのかよ?」


 ぶふっ。唾を吹き出したグレンは、胃の中のものまで出してしまいそうになる。


 慌てて口元を腕で拭い、平静を装い、映画の登場人物さながらに肩を竦めるポーズをしてみせた。


「ジイサン、ドウカ、シチマッタノカヨ」


 やけに、片言になった気がする。


 ザムの、じとりとした視線が、グレンの三文芝居へ突き刺さった。


「いや、おまえ、よく、それでバレねぇと思えたな」


 ザムは溜め息を吐く。ごまかしに失敗したようで、グレンは完敗を認めざるを得ない。


「で、告白しねぇのか?」


 ザムが丸テーブルへ身を乗り出してくる。グレンは気まずさを、後頭部を掻いて紛らわせる。


「…………しないよ」


 グレンは、ぼそりと答えた。


 なんでぇ、と、期待はずれだったようにザムが嘆く。彼は更に深く、上半身を丸ごとテーブルへ乗せ、グレンへ顔を近づけた。


「あんなに良い子、他にいねぇぞ。砕けるつもりで当たってみろよ、上手くいくかもしんねぇぞ」


 勢いに任せ、シワだらけの手がグレンの腕を叩く。


 それを冷静に受け止めてから、グレンは首を横へ振った。


「俺には、ジュナまで背負えないと思うんだ」


 覇気なく、零すグレン。


 身を乗り出していたザムは心情を悟ってか、大人しくなって切り株椅子へと引き下がる。勝負の世界を生き抜いた名伯楽であれば、痛いほどに理解できるはずだ。


 グレンは、ジュピターと勝っていきたいという欲を自覚した。アウルとヴォーダンに、いや、誰にだって負けたくはなかった。


 勝ちたい。ただ、勝ちたい。それは他を拒絶する、強欲に塗れた激しい熱情。気を抜けば、己すら焼き焦がしてしまうもの。


 今のグレンに、恋人を大切にする余裕はなかった。例え、告白が成功しても、ジュナにとって良い恋人にはならないし、それは彼女を大切にしたいという信念と反する。


 だから、告白しない。こんな男が、彼女を幸せにできるはずがないのだ。


「真面目すぎんだよ、おまえは」


 ザムが赤いキャップを、がばりと取り、薄くなった短い白髪を乱雑に掻く。


「男はな、ついつい他を放って熱中しちまうし、本気で勝負したいとき余計なもんを持ちたがらねぇ。不器用だからな、幾つも持ちながらじゃあ戦えねぇんだ」


 どん。頭を掻いていたザムの片手が、勢い良く丸テーブルへ振り下ろされた。暗い表情をしていたグレンは、びくりとして彼を見る。


「けどな、大切なものは余計なもんじゃねぇ。戦う力を与えてくれるもんだ。それが好きな女なら、尚更な。そいつら、まとめて背負うのが男ってもんだろ」


 ザムの瞳は、熱血に満ちている。老いても煌々こうこうと輝くそれに、グレンは勇気づけられている気がして目が離せなかった。


「おまえ、なにを諦めていやがる。好きなんだろ? 大切にしてぇんだろ? 背負えないだぁ? じゃあ、背負えるようになれば、いいじゃねぇか」


 にい、と、ザムの口端が頼もしくつり上げられた。


「決着つけてこいよ。アウルとヴォーダンに勝ってこい。んで、胸張って告白すりゃあ、いいだろが」


 ザムの強気な言葉が、グレンの頬を極限の力で殴りつけた。はっとして、目の前で不敵に笑う老人を見つめる。


 勝ちたい。ただ、勝ちたい。では、勝ったとき、何が残るのか。


 それは相棒と分かち合う喜びではないか。格別の達成感ではないか。揺るぎない自信ではないか。確たるものを手に入れた安堵ではないか。


 そうして、自分はやっと、彼女と向き合えるのではないか。


「もたもたしてっと、他の男に取られちまうぞ」


 ザムは、からかいを含めた笑みを向けてくる。グレンは翻弄されることなく、悪戯っぽく笑ってみせた。


「ザムじいさんに、とか?」


 冗談に、彼女は渡さないという本気を込めて返す。すると、ザムは心外とばかりに片眉をぴくりと上げた。


「心配すんな。おれは、ルクソール以外の女は口説かねぇって決めてんだ」


 予想外の切り返しに、グレンは目を瞬かせる。


「おれたちはな、約束してんだ。調教師として、多く勝った方の言うこと聞くってなぁ。あのババア、来年で定年だからな。もう、おれの勝ちは見えてる。今度こそ、あいつを頷かせてやんのよ」


 ザムは、ガハハと勝ち誇った笑い声を上げた。ルクソールがメモを差し出すとき、渋面じゅうめんを浮かべていた理由を知った気がした。


 それは、一体、いつからの約束だろうか。きっと、気の遠くなるような昔からだ。


「通算勝利数で勝負してるのか? そんなに長く?」


 驚きに満ちた顔をするグレンへ、ザムは誇らしく自慢げに笑む。


「ルクソールは、良い女だろう? あいつのためなら、死ぬまで待てる」


 豪快で、そして健気な老人は、事も無げに楽しそうに笑っていた。

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