ウィザード・マスター 2

 幸いにして、ザム・ボルテシアの居場所はハティアから遠くなかった。メモに記載された住所を地図で確認すると、どうやら彼はウォーディ竜牧場への道中にある山にいるらしい。


 グレンはジュナを背に、山道で愛用の大型オートバイを走らせる。春を迎える一歩手前の山々は日陰に雪が残っている箇所もあり、花が芽吹くのは、まだ先になりそうな気配だ。


 山道は綺麗に舗装されていて、オートバイでも進むのは苦でなかった。最近はケイシュレドやハクアーナといった港町への遠征が続いていて、山の冷涼な空気は新鮮に感じられる。早朝のせいか他の車もなく走りやすい。良い気分転換かもしれない。


 細い道を上っていく。バイクミラーに青色のヘルメットが映り込む度、嬉しさゆえに口元が曲がるのを自覚する。考えてみれば、家と竜舎りゅうしゃとの往復はあれど、ハティアの外までオートバイに乗って出かけるのは、初めてではないだろうか。


 これが、殴られに行く訳でないなら、デート気分を味わえていたのだろう。


 グレンは、ザムの気性を思い出していた。老いても剛健で、豪快で、激情の人である。あの神竜賞しんりゅうしょうは仕組まれた可能性はあるが、それは推測の域を出ず、今でもグレンは彼にとって夢を奪った張本人だ。


 一発、二発、いや、それで済めばいい、もしかしたら、もっと。思わず、グレンは身震いしてしまう。


 しかし、例え、殴られても会うと決めたのだ。過去を乗り越えねば、アウルたちに勝てない気がしていた。相棒が命を懸けて新たな力を呼び覚ましたのだ、自分が痛みに耐えないでどうする。


 そうこう考えているうち、オートバイは山頂近くにある開けた場所へ辿り着いていた。


「メモにある住所は、ここだと思うんだけどな」


 グレンはオートバイを停め、ジュナに到着を告げる。彼女は慣れた所作で降り、青色のヘルメットを外した。グレンも彼女にならう。


 柵で囲まれた、二百メートル四方くらいの芝生の土地。傍らには屋舎が幾つも並んでいて、竜の顔が、ちらほらと見える。奥にある掘っ建て小屋に人が住んでいそうな気配はあるが、お世辞にも快適そうには見えない。


 グレンたちのほど近くにある看板には『ボルテシア・ファーム』と、荒々しく彫ってあった。芸術的な字形に見える気もするが、たぶん、製作者が雑なだけであろう。


「ここは、竜の養老牧場かしらね」


 ジュナは楽しげに言った。竜に関することであれば、彼女にとっては何でも好ましいらしい。グレンも驚く竜バカぶりだ。


 そこが可愛いところでもあるが。


「そうだな。知ってる顔も、いる気がする」


 グレンは遠くの屋舎を眺め、懐かしさに顔を綻ばせた。見覚えがあるということは、ここは、ドラゴンレースを引退した竜たちの住処なのだろう。


 ザム・ボルテシアは、今も竜と暮らしている。彼が竜に対して愛着を持ち続けている。その事実が、グレンは嬉しかった。


 彼は竜に夢を乗せ破れたが、嫌いにはならなかったのだ。


「おいおい、久しぶりの顔がいるじゃあねぇかぁ」


 背後から、馴染みのある、けれど久しく聞いていない老いてしわがれた声がした。グレンの心臓が大きく跳ね上がる。激しい伸縮を繰り返す胸を片手で押さえて、振り向いた。


 昔と何一つ変わらない赤いキャップを被り、黒革のジャケットを着込んだ老人。背が低く細身だが背筋はぴんと伸び、佇まいに渋みと威厳が混じっているのも、そのままだ。


「ザム、じいさん」


 グレンは小さく呼んだ。喉仏まで伸びた白髭が、口の片端をつり上げるのに引っ張られて動く。


 ザムはグレンの方へ、ささっと歩み寄った。いよいよ殴られると思い、グレンは覚悟を決める。


 振り上げられた腕。目を閉じ、受けるのが定めと待つ。


 しかし、細身の老人は頬を殴るでもなく、がっちりと肉が付いて逞しい腕をグレンの首へ巻いた。行動の意味が分からず、は、と大量の疑問符が生まれる。


「遅ぇじゃねぇか。心配して迎えに出てやったのに、素通りして行きやがって」


 困惑するグレンの側頭部へ、ぐりぐりと拳が押しつけられた。疑問符は吹っ飛び、代わりに激痛で脳内が埋め尽くされる。痛い、痛い、と、抵抗するもザムの力は強く逃れられない。


「おまえ、デート気分なんじゃねぇか? あ? たるみやがって」


 ザムのからかいが頭上から降ってくる。否定したい気持ちはあったが、痛みのせいで、その余裕があるはずもなく。


「わ、悪かった、悪かったって。ちょ、ザムじいさん!」


 グレンはザムの腕を何度も叩き、降参の合図を出した。肉付きの良い腕は離れ、目の前の老人は豪快に笑う。


 ザムの態度は、ゴルトが生きていた頃のようだった。それは無理している様子なく、我慢する気配もなく、ごく自然なのだと分かる。ライダーとしてデビューしたばかりのグレンを可愛がっていた、陽気で、厳しい名伯楽めいはくらくの姿だった。


 彼の目が、突然の出来事に呆けるジュナの姿を捉えた。ザムは、男らしく痛快に口の片端をつり上げてみせた。


「おれが、ザム・ボルテシアだ。昔は調教師やってたが、今は山暮らしのジジイさ」


 ザムが片手を差し出す。ジュナは感極まったように瞳を潤ませ、シワだらけの手を両手で掴んだ。


 あ、竜好きスイッチが入った。痛みを堪え背筋を伸ばすグレンは、彼女の心が突っ走っていく気配を察する。


「知ってます、よく知ってます! 調教師としての通算勝利数、歴代一位! 年間最優秀調教師に選出された回数も最多で、その記録は今も破られていない伝説の調教師ですよね!」


 ジュナは鼻息荒く、一気にまくし立てた。彼女の尊敬する眼差しが眩しい。


 ジュナの言う通り、ザムは名伯楽と呼ばれるに相応しい成績を残している。のだが、こう、なぜだか面白くない。


 ザムは照れて、だらしなく表情を崩している。紅い頬をして、鼻の下が伸びきっている。


 危険だ、エロジジイの顔になっている。ジュナを近づかせたくない。


 グレンは大げさに咳払いをして、二人の間へ割って入った。双方から不可解そうな視線を向けられるが、無視することにする。


「ザムじいさん、今日は頼みがあって来たんだ。昔、竜の魔術使いウィザードを担当していたんだって? その話を聞きたいんだ」


「ああ、そうだったな。あのババアから連絡はもらってる」


 ザムは頷きつつ、自身の白髭を片手で撫でた。


 ババア。その単語はグレンの背筋を凍りつかせた。聞いていない、いるはずはないと思いながらも、つい、周りに鬼の姿の有無を確認してしまう。


 グレンの心境など気にする素振りもなく、ザムは、ふんと荒い鼻息を吐く。


「あいつが、おれを頼るなんざ、よっぽど可愛い弟子なんだろうさ。まあ、拒む理由もないが……」


 ザムは考え込んで、辺りを見渡した。少しの間があって、彼は二人へ視線を戻す。


「タダで教えるのも、なんだからよ。ちっと、働いていけや」


 豪快な老人は爽やかな笑顔で、親指をぐっと突き立てた。

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