第十三話 ウィザード・マスター

ウィザード・マスター 1

 同世代に、二頭の竜の魔術使いウィザードが現れた。


 プシティア国のドラゴンレース史にて未だかつて刻まれたことのなかった事態に、国全土が驚愕し、歓喜し、惹かれた。老いも若きも、人々の日常会話でひっきりなしに話題となっている。


 純白と漆黒、どちらが強いのか、と。


 夢見月賞ゆめみつきしょうの後、ジュピターは思う存分、食事を平らげ、ぴくりとも動かず熟睡した。異常は見当たらず、痩せ細った体も順調に快復へと向かうだろう。


 問題は、彼女の方だ。グレンはウォーディ竜舎りゅうしゃ事務所の机で突っ伏す、細身の後ろ姿を見つめて溜め息を吐いた。


 寝息を立てるジュナへ静かに近づいて、彼女が寝泊まりしていた頃に使用していた事務所常備のタオルケットを、そっと被せてやる。机上で散らばる資料が目に入り、その中の一枚を握り締めているのを認めて、物音を気遣いながら掌を開かせた。


 夢見月賞ゆめみつきしょうの後から、ジュナはろくに寝ていなかった。寝る間を惜しんで調べ物をしているからだ。


 ジュピターを、竜の魔術使いウィザードを、いかに調教し能力を伸ばしていくのか。それが、調教師であるジュナの仕事で、役目だ。


 だが、竜の魔術使いウィザードに関する文献は少ない。いくら探しても調教法の記載は皆無で、ジュナは頭を抱えるばかりだった。


 竜において魔力とは、生まれた瞬間に器の容量が決められるものであり、どんな訓練を積んでも魔力量が増えることはない。魔力の鍛え方、なんて、どこを探しても見つからないのは当然だった。


 グレンは手近にあった椅子へ腰かけ、先ほどよりも深い溜め息を吐いた。顔をしかめ、ジュナの横顔を見つめる。今は、寝ている彼女の愛らしさに心奪われるより、体調を気遣い心配する気持ちの方が勝っている。


 彼女を手伝いたくて本と睨み合いをするも、勉学については免疫がなく、いつもグレンの方が先に意識を失い轟沈ごうちんしてしまう。夜中、ふと目を覚ましたとき、机上の灯りが消えておらず彼女が励んでいるのに、自分にだけ毛布がかけられていた失望感といったら。全く、情けない話である。


 恥を捨て敵陣営を参考としようにも、ヴォーダンの調教は完璧に秘されていた。カラの話ではメディア関係者も閉め出されているらしく、調教を見たものは誰もいないということだった。


 クラウンレースの第一戦、海竜賞かいりゅうしょうは四月第二週に開催される。今は二月だが、ジュピターの体を万全にしてからと考えると、みっちり調教に費やせる期間は多くないだろう。


 無限の時間が用意されているのでない。効率的に、効果的に訓練を積まねば、ヴォーダンには届かない。その焦りが、ジュナの睡眠時間を食い尽くしているのだ。


 せめて、今だけは、ゆっくり眠らせてやりたい。


 突然、事務所の扉がノックされた。ジュナが身動いだのを見てグレンは扉へすっ飛んでいき、静かに、けれど迅速にドアノブを回す。


 背後に彼女の眠る気配を感じながら扉を開いた先、立っていたのは調教師ルクソール・ヴァリだった。相変わらずの眼光鋭い面持ちだが、どことなく穏やかで、苛烈さは影を潜めている。


「おや、グレンかい。ジュナは?」


「あ、先生、今は……」


 グレンは身体からだをずらし、事務所内を指し示す。机に突っ伏したジュナを見たルクソールは、納得して頷いた。


 このまま会話していてはジュナを起こしてしまう。失礼します、と、身を縮めながらグレンは外へ出て、最大限の丁寧さで扉を閉めた。


 若いときのすり込みというのは恐いもので、何年経過しようとも緊張は消えない。服装の乱れを正し、しゃんとしてルクソールと向き合う。


「あの子、寝てないんだろう」


 ルクソールは眉根を寄せながら言った。視線は扉へ固定されており、その奥にいるジュナを気遣っているのが察せられる。


「はい」


「やっぱりね。あの子のことだから、無理してんじゃないかと思ったよ。昔から変わらないね」


 ルクソールは溜め息を吐く。それは先ほどグレンが零していたのと同じ、心配によって漏れ出るもののように感じた。鬼の顔に、肉親のような慈愛が浮かんでいる。


 そういえば、ジュナはルクソールの元で住み込みながら、調教師になるべく勉強していたと聞いた覚えがある。共に住めば情が移るだろうし、歳が離れていることもあって、弟子というより孫のような感覚なのかもしれない。


 ジュナの昔に、とてつもない興味が湧いた。彼女は自分について多くを語ろうとしないし、くなら、鬼が穏やかな今のうちである。


「昔のジュナは、どんな子だったんですか?」


 グレンは身を乗り出して訊いた。ルクソールは、若干、身体を引きながらも、遠い目をして口を開く。


「まあ、昔から生真面目な努力家だったよ。加えて、頑固だった。あの子は高校へ進学せず、十五歳で私に弟子入りしようとやって来てね。今時いまどき、学歴を捨ててまでやる職業じゃないから追い返したんだけど、ジュナは何度もやって来ては頼み込んで。ジュナの両親からも頼まれて、結局、折れたのは私の方さ。ジュナが弟子入りする前にも何人か見ていたけど、あの子は飛び抜けて優秀だった。努力の仕方も、一番だった。朝から晩まで私の助手として働きながら勉強して、合格するのに最低十年はかかる竜調教師試験を、たったの五年で突破したんだ」


 ルクソールは、楽しげな笑みを口元に浮かべた。きっと、ジュナとの思い出を大切にしているのだろう。


 ふと、ルクソールの表情に、寂しげな色が差し込んだ。


「本来なら、そこまで急ぐ必要はなかった。でも、途中で状況が変わっちまったのさ。私に弟子入りしてすぐ、神竜賞しんりゅうしょうの事故があった。その後、ジュピターは生まれてきたが、両親が蒸発して。あの子は急ぐしかなかった。それもこれも、ジュピターのデビューに間に合わせたかったんだろうさ」


 話を聞きながら、グレンはジュナの姿を思い浮かべていた。一言でまとめられるほど、手軽い努力ではなかったはずだ。それは、グレンと出会ってからも、勉学を怠らない姿に現れている。


「私の元に残って、引退した後を継いでほしかったんだけどね。私のところでジュピターを引き取ると屋舎に空きがなくなっちまってね、懇意にしてるオーナーが自分のを新しく預けたいって反対したんだから仕方ないね」


 彼女は、ジュナの味方になりきれなかったことを後悔しているようだった。


 ヴァリ竜舎りゅうしゃといえば、名門中の名門だ。抱える竜も、スタッフも多い。懇意にしているオーナーの機嫌を損ねることは、竜舎りゅうしゃとしての信頼も収入も落ちるということだ。ルクソールを慕い働く者たちを守るためには、竜舎りゅうしゃの経営者として決断せねばならなかっただろう。


「ずっと、私の家に住んでくれてもよかったのに、あの子は馬鹿正直に『調教師になったら先生とはライバルです。ライバルの懐に、いつまでも甘えていられません』なんて出て行っちまってね。竜舎りゅうしゃで暮らしてるって聞いたときには驚いたさ。あんたが拾って、マリーのとこへ連れて行ってくれて助かったよ」


「いやぁ、どうも……」


 グレンは恐縮して頭を掻く。ルクソールから褒められるとは、明日の天気は雷だろうか。


 脳裏に、あの日の光景が蘇る。ジュナが竜舎りゅうしゃで暮らすまでに、そんな経緯があったとは。


 彼女は、どこまでも生真面目で頑固だった。それが頼もしくも、心配でもある。


「可愛い弟子なんだ、甘えられてもいいのにね。今だって、私に頼らず解決しようとしている。本の中に答えがないのなら、老いぼれを頼ればいいんだ。ぼーっと長く生きちゃいないよ。あの頑固さは、なんだい。誰に似たのかね」


 呆れ顔で呟くルクソール。


 竜に関しての頑固さは、あなた似では。グレンは心の中で、こっそりと囁く。もちろん、命が惜しいので口には出さない。


「まあ……あのジジイに頼るのは……気が進まないけどね……」


 ぼそぼそと煮え切らないように言いながら、ルクソールはウインドブレーカーのポケットへ手を突っ込んだ。彼女は渋面じゅうめんで、四つ折りのメモ用紙をグレンの前へ差し出す。


「五十年前、竜の魔術使いウィザードを担当していた竜舎りゅうしゃスタッフを知っている。あんたも、よく知る名だ」


 グレンはメモ用紙を受け取り、広げた。目が大きく見開き、驚きで手が震える。そこには、馴染み深く、二度と会うことはないと思っていた名が記されていた。


 ザム・ボルテシア。元、調教師。黄金色の竜に夢を見て、叶わず去っていった名伯楽めいはくらく


「グレン、しっかりしな」


 ルクソールが、固まるグレンの肩を叩いた。過去へ引きずられそうだった意識を、はっきりと持ち直す。


 グレンはルクソールへ視線を戻した。見守る強い眼差しが、確かに頷く。


「ジュナのこと、頼んだよ」


 ルクソールは切なる声音で言った。彼女は年齢を感じさせない軽やかさで、すたすたと歩み去る。


 グレンはメモの名を、心の中で反すうしていた。あのときの慟哭どうこくが、まだ耳に残っている。


『なぁ、返してくれよぉ! あいつは、おれの夢だったんだ! なぁ、グレンよぉ! 天才なんだろ、おまえはぁ!』


 彼の夢を奪ってしまった自分に、会う権利はあるのだろうか。どんな顔をして、会えばいいのか。


 考えながら事務所の扉を開き、足を踏み入れる。


 ジュナは未だ、眠りにあった。その顔は苦悶で歪んでおり、夢の中でも戦い続けていることが見て取れる。


 彼女への想いを、憂慮ゆうりょを、何もしてやれない自分への失望を思い出す。


 権利なんて関係ない。なじられても、殴られてもいい。会わなきゃいけない。


 グレンは手にするメモ用紙へ、視線を落とした。愛弟子を想うルクソールの声が、決意を後押ししてくれるようだった。

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