ロード・トゥ・クラウン 5
ドルドは、ハクアーナ・レース場に設けられた特別室で、
「オルニエスを呼べ」
部屋の扉付近で待機していた秘書に、厳しい声色で命じる。秘書は迫力に怯えたように頬を引きつらせ、上擦って返答し、慌てて退室した。
黒く、上質な革張りのソファーへ深く腰かけ、身を沈める。思考に浮かべたのは、グレンが胸を張って言い放った宣言だ。
『俺とジュピターが、引導を渡します。
負けるつもりはなかった。エテルネルグランツは
ドルドは微笑を浮かべる。
特別室の扉がノックされた。ドルドは笑っていた口元を引き締め、入室を促す。扉を開閉したバルカイトは、レーシングスーツで身を包み、暗く沈んだ顔をしていた。
「なぜ、呼ばれたのか、わかっているな」
ドルドはソファーへ身を沈めたまま、低い声音を投げつける。バルカイトは扉の前で
「最後の一キロメートル、おまえは竜の首を押して追わなかった。まだ何者も来ないと侮ったのか? 勝てると慢心したか? 相手が
ドルドの審問が、トップライダーの首をキリキリと絞め上げた。バルカイトの額に汗が滲み、苦く笑った拍子に輪郭を流れる。
「し、仕方ないですよ。
「馬鹿者が!」
ドルドの怒声が、バルカイトの恥辱を真っ二つに割った。
「おまえが負けたのは、侮りでも、慢心でも、
バルカイトの表情が色を失う。歴戦を勝ち抜いてきた彼なら、理解していただろうに。
勝ったジュピターと、エテルネルグランツの差は体一つ分。最後の一キロメートルで懸命に追いさえすれば、漆黒の竜は届かず、
バルカイトが唇を噛む。震える身体が、悔しさを、屈辱を噛み締めている。
「これで、わかったろう。オルニエス、おまえは、引導を渡されたのだ。ここが引き際だ」
ドルドは立ち上がり、震える肩へ片手を置いた。
「おまえは、よくやった。栄光はそのままに、民衆は称えるだろう。バルカイト・オルニエスは、国民に愛されたトップライダー」
「いい加減にしてください!」
激昂したバルカイトが、ドルドの手を打ち払った。
「勝てなくなったからって俺を切り捨てるんですか! あなたのために勝てなくなったから見捨てるんですか! 次は、あのグレン・クリンガーを使えばいいと思っている! 野望のために!」
自分より背の高いドルドの襟元を、バルカイトは怒りをぶちまけながら掴む。ドルドは、冷めた瞳で彼を見下ろした。
「誤解だ。見捨てられんから、こうして引退を勧めている。悪いようにはしない。望むなら、ワシの会社で重役を用意しよう」
「嘘だ! あなたには権力がある! どんな汚い手を使っても逃れられるほどの権力が! 六年前だって……!」
「オルニエス!」
バルカイトの怒りを掻き消すほどの雄々しい叫びが、ドルドの
バルカイトは言葉を呑み込み、黙り込んだ。
「今はレースが終わったばかりだからな、気が立っているのだろう。こんなときに話を切り出して申し訳なかった」
優しい口調で、大きく温かな掌で、強張った手を襟元から引き剥がしていく。ドルドの瞳を覗いたバルカイトが、ひっ、と小さな悲鳴を上げた。
彼が何を見たのか、ドルドは知らない。それが、何であろうと構わないと思っていた。
先に深淵を覗いたのは、どちらか。そんなものは
「下がっていい、ゆっくり休め。この件は保留だ。後日、落ち着いて話そう」
ドルドは口元に微笑を浮かべた。それを避けるように、逃げるように、バルカイトはぎこちなく一礼をして部屋を出て行く。
扉の閉まる音。高級なスーツで飾られた巨躯が、再び、ソファーへ沈み込んだ。グレーの瞳が天井を仰いで、ドルドは背もたれに身体を預ける。
「どうにかせねば、ならんか」
ひっそりと零した囁きは、誰が聴くのだろう。
ソファーへ身を委ねた権力者の顔に、もう、微笑は浮かんでいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます