ロード・トゥ・クラウン 5

 ドルドは、ハクアーナ・レース場に設けられた特別室で、夢見月賞ゆめみつきしょうの結果を見届けた。グレーの瞳に、非情な色を滲ませて。


「オルニエスを呼べ」


 部屋の扉付近で待機していた秘書に、厳しい声色で命じる。秘書は迫力に怯えたように頬を引きつらせ、上擦って返答し、慌てて退室した。


 黒く、上質な革張りのソファーへ深く腰かけ、身を沈める。思考に浮かべたのは、グレンが胸を張って言い放った宣言だ。


『俺とジュピターが、引導を渡します。夢見月賞ゆめみつきしょうで、オルニエスさんとエテルネルグランツに勝ちます』


 負けるつもりはなかった。エテルネルグランツは神竜しんりゅうを見抜く男が、その眼力を以て見出した逸材だった。それを、彼らは打ち負かしたのだ。


 ドルドは微笑を浮かべる。


 竜の魔術使いウィザードが、もう一頭、だと。そんな面白い話があるのか。まさか、漆黒の竜に竜の魔術使いウィザードの素質があろうとは。それを見抜けないとは、この瞳も耄碌もうろくしたものよ。


 特別室の扉がノックされた。ドルドは笑っていた口元を引き締め、入室を促す。扉を開閉したバルカイトは、レーシングスーツで身を包み、暗く沈んだ顔をしていた。


「なぜ、呼ばれたのか、わかっているな」


 ドルドはソファーへ身を沈めたまま、低い声音を投げつける。バルカイトは扉の前でたたずみ、じっとして聞いていた。


「最後の一キロメートル、おまえは竜の首を押して追わなかった。まだ何者も来ないと侮ったのか? 勝てると慢心したか? 相手が竜の魔術使いウィザードと気づいて、諦めたのか?」


 ドルドの審問が、トップライダーの首をキリキリと絞め上げた。バルカイトの額に汗が滲み、苦く笑った拍子に輪郭を流れる。


「し、仕方ないですよ。竜の魔術使いウィザードなんて、倒せるはずがないんです。エテルネルグランツは良い竜ですよ? でも、相手が悪かった。竜の魔術使いウィザードじゃあ、とても」


「馬鹿者が!」


 ドルドの怒声が、バルカイトの恥辱を真っ二つに割った。


「おまえが負けたのは、侮りでも、慢心でも、諦観ていかんでもない。おまえは最後の一キロメートルで、疲労により腕が痺れて動かせなかった。おまえは、身体からだの衰えによって負けたのだ」


 バルカイトの表情が色を失う。歴戦を勝ち抜いてきた彼なら、理解していただろうに。


 勝ったジュピターと、エテルネルグランツの差は体一つ分。最後の一キロメートルで懸命に追いさえすれば、漆黒の竜は届かず、海竜賞かいりゅうしょうへ挑む権利を与えられたのは紅紫色の竜だった。


 バルカイトが唇を噛む。震える身体が、悔しさを、屈辱を噛み締めている。


「これで、わかったろう。オルニエス、おまえは、引導を渡されたのだ。ここが引き際だ」


 ドルドは立ち上がり、震える肩へ片手を置いた。


「おまえは、よくやった。栄光はそのままに、民衆は称えるだろう。バルカイト・オルニエスは、国民に愛されたトップライダー」


「いい加減にしてください!」


 激昂したバルカイトが、ドルドの手を打ち払った。


「勝てなくなったからって俺を切り捨てるんですか! あなたのために勝てなくなったから見捨てるんですか! 次は、あのグレン・クリンガーを使えばいいと思っている! 野望のために!」


 自分より背の高いドルドの襟元を、バルカイトは怒りをぶちまけながら掴む。ドルドは、冷めた瞳で彼を見下ろした。


「誤解だ。見捨てられんから、こうして引退を勧めている。悪いようにはしない。望むなら、ワシの会社で重役を用意しよう」


「嘘だ! あなたには権力がある! どんな汚い手を使っても逃れられるほどの権力が! 六年前だって……!」


「オルニエス!」


 バルカイトの怒りを掻き消すほどの雄々しい叫びが、ドルドの巨躯きょくから発せられた。グレーの瞳には、凄然せいぜんなる闇が映し出されている。


 バルカイトは言葉を呑み込み、黙り込んだ。


「今はレースが終わったばかりだからな、気が立っているのだろう。こんなときに話を切り出して申し訳なかった」


 優しい口調で、大きく温かな掌で、強張った手を襟元から引き剥がしていく。ドルドの瞳を覗いたバルカイトが、ひっ、と小さな悲鳴を上げた。


 彼が何を見たのか、ドルドは知らない。それが、何であろうと構わないと思っていた。


 先に深淵を覗いたのは、どちらか。そんなものは些末さまつなのだから。


「下がっていい、ゆっくり休め。この件は保留だ。後日、落ち着いて話そう」


 ドルドは口元に微笑を浮かべた。それを避けるように、逃げるように、バルカイトはぎこちなく一礼をして部屋を出て行く。


 扉の閉まる音。高級なスーツで飾られた巨躯が、再び、ソファーへ沈み込んだ。グレーの瞳が天井を仰いで、ドルドは背もたれに身体を預ける。


「どうにかせねば、ならんか」


 ひっそりと零した囁きは、誰が聴くのだろう。


 ソファーへ身を委ねた権力者の顔に、もう、微笑は浮かんでいなかった。

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