ロード・トゥ・クラウン 4

 レースは十八キロメートル地点を過ぎ、残り二キロメートルほど。前方に竜の影なく、追いつくのは難しい。ましてや勝ちなど、誰が願おうか。


 並の竜であれば、グレンは諦めていた。


 驀進ばくしんするジュピターは、あっという間に竜の群れへ追いつき、次々と追い抜かしていった。すれ違うライダーたちの視線が、ヘルメット越しに突き刺さる。彼らは驚き、困惑しただろう。漆黒の竜は、一切、羽ばたいていないのだから。


 ジュピターは古代の力を持って生まれた。そして、竜の魔術使いウィザードもまた、古代の力と言われている。よくよく考えてみれば不自然なことではない。ジュピターにも、竜の魔術使いウィザードとしての素質があったのだ。


 ただ、何もしなければ竜の魔術使いウィザードの力は発現しないものだった。もう一つの古代の力である、強靱きょうじんな肉体で補えていたからだろう。だから、ジュピターは己の肉体を削った。削りに削って、追い込んで、命を危機にさらして。漆黒の内で眠る魔力というエンジンを、強制的に起動させたのだ。


 グレンとジュナは、彼が挑まんとしているものに気づいた。本当に危険な状態になれば即、止めさせることを決めて、彼を信じて待った。その結果、ジュピターは竜の魔術使いウィザードとして覚醒したのである。


 同世代の猛者たちを、漆黒の竜が抜き去っていく。追いすがるもついて行けず、竜とライダーたちは恨めしそうに見送る。


 レースは、残り一キロメートル。先頭を快速に任せて飛行する、紅紫色の竜を視界に捉えた。ラストスパート時、竜の飛行速度は時速百キロメートルにも及ぶ。エテルネルグランツがゴールするまで、四十秒足らずの猶予しか与えられない。


 漆黒の竜が瞳に青い光をたぎらせて、更に加速した。紅紫色の竜を猛追する。気配を察知したのか、バルカイトが振り返った。彼の身体からだが、びくりと跳ねる。ベテランライダーは、急いで前を向いた。


 レースは、残り五百メートル。ついに、グレンとジュピターは、バルカイトとエテルネルグランツの背に目前まで迫った。飛行速度はジュピターが上回っている。しかし、抜かすために進路を変えれば、ゴールまでに間に合わない。


 その瞬間、グレンの脳裏で、ルーキーイヤーステークスの映像が再生された。世界がスローモーションで動く。アウルの手元が映し出され、それを、なぞるように、グレンの腕は手綱を引っ張っていた。


 漆黒の竜が肢体を捻った。横へ回転し、鋭く槍が射貫くような螺旋を描いて、グレンの視界は上下反転する。ジュピターとエテルネルグランツが、一瞬だけ背中合わせになった。


 バルカイトが上を、グレンの姿を見ている。シールド越しに垣間見たヘーゼルの瞳は、恐れと、驚愕に塗れていた。


 バレルロールでかわした漆黒の竜は、紅紫色の竜より体一つ分、前へ出た。そのまま決勝線を飛び抜ける。


 ジュピターは、最後の最後でエテルネルグランツを追い抜き、見事、優勝をもぎ取った。


「やったぞ!」


 グレンは歓喜の声を上げながら、喜びが満ちるまま相棒の首筋を叩いた。


 ジュピターが満足そうに、勝利の咆吼ほうこうを響かせる。竜の瞳から放たれていた青い光が、少しずつ消えていく。あれだけ苦しんでいたのが嘘のように、漆黒の竜は力強く羽ばたいて滑空した。


 観客席へ近づく。人々は皆、何が起こったのか理解できないような顔をしている。無理もない。同世代に二頭の竜の魔術使いウィザードがいたなんて、史上初の出来事なのだから。


「ジュピター!」


 唐突とうとつに、観客の一人が叫んだ。それを皮切りに、まばらに拍手が起こり、やがて大雨のような拍手の鳴りがレース場を包む。


「ジュピター! ジュピター!」


 幾人も叫んでいる。新たに生まれた傷だらけの英雄へ、賛辞を贈るように。


「おまえ、すっかり人気者だな」


 グレンは誇らしい心持ちで、相棒の首筋を撫でた。ジュピターは上機嫌で、グァグァと鳴いている。


 グレンは手綱を引き、コース出入り口付近へ進路を取る。芝生の絨毯じゅうたんが敷かれたそこには、待ってくれている人がいる。


 漆黒の竜は人々の称える声援を受けながら、地に降り立った。グレンは相棒の背から退き、ヘルメットとグローブを外して解放感を味わう。


「ジュピター!」


 黒いスーツ姿のジュナが、竜の首に抱きついた。彼女の頬には、涙で濡れた跡が幾筋も残っている。


「頑張ったね! すごい! すごいよ! やったね、ジュピター!」


 子どものように、はしゃぐジュナはジュピターの頭を抱き締めた。褒められて嬉しいのか柔らかな感触が好きなのか、ジュピターは目を細め口元を曲げ、人間が大笑いするのに似た表情を浮かべた。


 漆黒の竜は、ちらりとグレンを見やる。彼の口元が、より一層、見せつけるように曲がる。


 グレンは勘づいてしまった。ジュナに抱き締められて、いいだろう。憎らしい竜め、相棒であるグレンの密かな想いを知っていて、自慢しているのだ。ぐぬぬ、と、嘆きにすらなれないうめきが口から漏れる。


 まあ、今回の勝利は、ジュピターの努力によるものだから。大人しく譲ってやるのが、出来た相棒というもの。グレンは情けなく揺れ動く心を支えつつ、気にしない素振りで視線を他へやる。


 ジュピターに敗れた竜たちが、続々と飛来していた。ヘルメットを外すライダーたちの顔は、一様にして暗い。ルーキーイヤーステークスで、グレンも味わった思いだ。同情してはならない。それは、懸命に戦った彼らを愚弄するものだ。


 紅紫色の竜が飛来してくるのが見えた。着地し、背から降りたバルカイトは竜を預け、一人で歩み出す。ヘルメットを被ったままで、彼の表情は分からない。


 話したいことが、あった。バルカイトの身体を気遣いたかったし、自分に夢を与えてくれた礼も言いたかった。だが、敗者である彼に、勝者となった自分が何を言えるのだろう。トップライダーの尊厳を守る術は、今のグレンになかった。


 バルカイトが無言で、グレンを通り過ぎる。グレンは振り返り、彼の寂しげな背中を見つめる。心の中で語りかける。


 あなたは、憧れだ。いつまでも。どんなことが、あったって。


「グレン」


 ジュナに呼びかけられ、グレンは身体の向きを変えた。見れば、そっくりな優しい青い瞳が、見守るかのように存在している。


 グレンは笑い返して、仲間たちの元へ一歩近づいた。


「俺たちはヴォーダンに勝ちにいく。竜の魔術使いウィザードを倒すのは、竜の魔術使いウィザードだ」


 グレンは拳を二つ、それぞれへ突き出した。ジュナの小さな拳と、ジュピターの硬い額が、グレンのと合わさる。


 挑む権利は手に入れた。漆黒と純白の再戦は、海を制する戦いだ。

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