ロード・トゥ・クラウン 3

 各竜、力強く地面を蹴って飛び立った。クラウンレース出場を狙う猛者たちだけあって、その勢いと迫力は並のレースを圧倒する。


 ジュピターも地を蹴った。が、やはり、以前の瞬発力はない。抜け出せず、竜の群れに留まる。グレンは地を諦め、早々に、漆黒の竜を空へ飛び立たせた。


 予選レースに出場できるということは、四歳の中でも成績上位に位置している竜であり、これまでのように蹴散らせるほど甘くはない。年が明け、体が著しく成長する竜もいる。


 ヴォーダンやエテルネルグランツだけを見つめていたが、他の陣営も虎視眈々と覇権を狙っているのだ。


 スタートから五百メートルを過ぎ、陸地が途絶えた。各竜は順調に海上へと滑り出す。


 ハクアーナ・レース場は海風の厳しい海上コースではあるが、晩冬の現在、風は穏やかな方だ。特に今日は曇天ながら無風に近い状況で、神経質になって風除けを探す必要がない。各竜の位置取りは極端に団子状態になることなく、先頭から最後方まで距離がある縦長の形でレースは進む。ジュピターとエテルネルグランツは、共に、列の中央付近にいた。


 五キロメートル地点を通過する。それぞれ、動きに変化はない。ジュピターは辛そうに口元を歪めながらも、遅れず飛行している。レースタイムは平均だろうか。速すぎれば今のジュピターがついていくには厳しいから、助かったと思うべきだろう。


 レースは大事なく進み、十キロメートルを通過した。本来ならば、まだ保つが、今の痩せ細ったジュピターには限界間近な距離だ。


 身構えるグレンを背に、漆黒の竜は大きく息を吐いた。並んで飛行していたエテルネルグランツから遅れ、徐々に失速していく。レースは中盤を過ぎ、早めに先頭を捕まえようと動いた竜にも抜かれていった。


 十二キロメートル地点を通過し、残りは八キロメートル。とうとう、ジュピターは最後方まで下がり、他の竜から置き去りにされた。竜の群れが遠ざかっていく。グレンは手綱を握り締め、前方を睨みつける。


「まだなのか、ジュピター」


 グレンは搾り出すように、悔しさが滲む言葉を吐いた。漆黒の竜は息も絶え絶えに飛ぶだけで、問いに応えはしない。


 レースは十四キロメートルを過ぎた。一人と一頭の前方にいる竜たちは豆粒ほどの大きさで、辛うじて視認できるくらいだ。


 おそらく、各竜はラストスパートのタイミングを窺っている。早すぎても最後に抜かれ、遅すぎても先頭に届かない。他に抜かれず先頭を追い抜かす、絶妙のタイミングを狙っている。例え、ジュピターが今から飛行速度を上げたとて、他の竜も速くなるのだ。逆転するには難しい展開だ。


 グレンは待っていた。ひたすらに、待っていた。相棒が信じろというなら、ただ待つのが信頼の証だ。


 漆黒の竜は、飛行体勢を崩す。墜ちていきそうな体躯たいくを、懸命に持ち直している。グレンの思考で、絶念を勧める言葉ばかりが浮かんでは消えていく。


 この状態で勝てとは言えない。優勝を見るのは愚かだ。


 けれど、グレンは相棒を信じているのだ。


「なぁ、ジュピター。俺はさ、おまえに会ったとき嬉しかったんだ。こんな滅茶苦茶なヤツいたのか、って。楽しくて、しょうがなかった。ああ、白状するよ。俺は、おまえの相棒になりたかったんだ」


 グレンは語りかける。漆黒の竜は苦悶の表情を浮かべるだけで、応えやしない。聞いているかも分からないが、どうしても伝えたかった。


「あれから、たくさん喧嘩したよな。おまえは性格も底意地も悪くてさ、俺は遊ばれてばっかりで。悪戯して、言うことなんて聞きやしない。でも、そんな日々が、幸せだったんだよなぁ」


 グレンは、視界がぼやけているのを自覚した。シールド越しでは拭えない。手綱を握り締めて、身体からだの奥からせり上がってくる感情を堪える。


「正直、ゴルト以上の竜なんて、いないと思ってた。おまえのことも、ゴルトの弟、って見てた。違うんだよな、おまえは、おまえだ。今、俺の相棒は、おまえだけだ。性格も底意地も悪くて、悪戯が好きで、俺の言うことなんて全然聞かない、おまえが相棒なんだ」


 両目からあふれた涙が、頬を滑る。ヘルメットの内側で溜まったそれを追い出すのに、グレンはシールドを上げ頭を振った。隙間から零れた雫が、漆黒の肌へ落ち熱く濡らす。


 無事に、とは言わない。思いきり、やればいい。任せろ。どんなときも信じ抜くのが相棒だ。


 グレンの喉奥から、灼熱がほとばしった。感情が勝手に溢れ出し、口を動かす。


「おまえは、こんなところで終わるヤツじゃないだろ! 飛べよ! もっと、飛んでくれよ! おまえが、俺にとって最高の相棒なんだから!」


 グレンは絶叫した。涙声で、力の限り叫んだ。


 好敵手たちへの対抗心も、尊敬する人へ引導を渡すのも、大切で守りたい者への想いも、本当は、どうだっていい。勝ちたい。ただ、勝ちたい。


 グレンは漆黒の竜と共に、どこまでも勝ちたかった。


 静かな空を、一人と一頭がぽつんと残されて飛んでいる。突如として、風の音が鳴った。グレンの身体へ巻き付くように起こったそれは、背をゆっくりと、確かに押す。


 ありえない。グレンたちは前へ飛んでいるのだ。前からの風は感じても、後ろの風など感知しようがないのに。


 ジュピターが暮らす屋舎にて、身体を吹き飛ばした衝撃を思い出す。脳裏に閃いた直感を手繰り寄せる。


 それは竜に乗る人間なら、誰しも感じ得るもの。ライダーであれば、身に受けるだけで気づけるもの。大地を吹く風とも、天空を舞う風とも違う。


 あのとき、屋舎で吹いたのは、竜の魔力によって生み出される風だった。


 漆黒の竜が咆吼ほうこうする。痩せ細った体躯のどこから出るのか、猛々しく勇烈なえ声が、波打って周囲へ広がる。


 ジュピターの眼に、青い光が灯った。それは比喩でなく、実際に青く輝いていた。


 竜の中には、興奮したとき眼球が光り輝く体質のものがいる。魔力が溢れているゆえ、発光するのだという。


 青く輝く瞳は、絶大なる魔力が流れている証明。漆黒の内側に、魔力の奔流があるという確信。


「ジュピター……!」


 グレンの涙は、乾いていた。シールドを下げ、姿勢を整え、手綱を握り締める。


 漆黒の竜は、今、反撃の青い狼煙を打ち上げたのだ。


「行くぞ!」


 グレンはジュピターへ、飛行速度を上げる指示を出す。翼が大きく広げられた。漆黒の竜は羽ばたくことなく、凄まじい推進力で驀進ばくしんを始める。


 曇天に、一筋の青い流星がきらめいた。

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