ナイトメア・ダウト 4
極道ふうの風貌で不機嫌そうな顔をされるのは、なかなかに迫力があって恐い。
ドルドの睨みに、セルナンは頬を引きつらせた。
「す、すみません、オーナーを前にすると緊張で……」
セルナンは恐縮しきりだ。ドルドは気分を切り替えるためか溜め息を吐き、再び、竜の方へ
「まあ、いい。おまえの仕事ぶりは、ワシも評価している。こいつも順調のようだしな」
ドルドはブレイヴアイズの頭を、そっと
彼の表情は仏頂面であったが、厳しさはなく、大らかな包容力が感じられた。人に対する印象とは、まるで違う。別人と表現しても過言ではない。
この男が竜について何を語るのか、聞いてみたかった。グレンは純粋な興味から、ドルドの近くへ寄る。
「竜、好きなんですね」
「当たり前だ。好きでなければ、こんな金ばかり食う生き物のオーナーなど、やってられんさ」
グアァ、と、灰青色の竜が、喉元も撫でてくれと言わんばかりに首を伸ばす。ドルドは要望通りに撫でた。ブレイヴアイズは気持ち良さげに、だらしなく口を開ける。
「クリンガー、おまえも竜が好きだろう」
「はい」
「そうだろうな。レースを観ていれば、わかる。竜と会話するように乗り、力を信じて戦えるのは、おまえぐらいだ」
ドルドの口調は、
思い返してみれば、ドルドと和やかに会話をしたのは初めてだった。彼は他人に心を許す雰囲気がなく、威厳の塊のような男だ。他人に興味を持つ印象もなかったから、世間話すら遠慮していたのである。
もっと早くに話していればよかった。グレンは、自身の勇気の無さを残念に思う。
ドルドは、ブレイヴアイズから手を離した。竜が名残惜しそうに鳴く。
大柄な
「エテルネルグランツに乗る気はないか」
彼の表情は、真剣そのものだった。懇願するような必死さすら、あった。
予想しきれなかった提案に、グレンは声を詰まらせる。言うべき言葉があるのに、伝えるのに迷う。
「ワシのエテルネルグランツは、歴史に名を残す竜になる。おまえが乗ってくれるなら、それ以上に心強いものはない」
ドルドは言葉を重ねていく。それはライダーにとって、至高の殺し文句であろう。
しかしグレンは、首を縦には、けして振らなかった。
「俺にはジュピターがいます。ドラゴンレースへ引き戻してくれた、かけがえのない相棒です。他を選ぶことは考えられません」
引き下がらない意志を瞳に浮かべ、グレンはドルドを見上げる。二人の間に一触即発の気配が漂った。
セルナンが困り果て、その場で右往左往する。
「ジュピターでは、ヴォーダンに勝てんぞ。それでも、か?」
「それでも、です」
ドルドが不愉快そうに、眉間へシワを寄せた。グレンを睨む姿は、彼の風貌と相まって脅迫に近い。
「もう一度、はっきり言ってやろう。ジュピターは勝てない。おまえは、なにも手に入れられない。無残に散った敗者という事実が、突き付けられるだけだ。観衆は笑うだろう。ああ、やはり、と。呆れる者もいるだろう。なぜ、と。それでも、構わないのか」
ドルドの低く地を這う声が、さほど音量はなくとも腹の底まで響いて浸透する。
それは、裁判官が審問するかのようだ。グレンは、覚悟を問う審判を受けていた。答えを間違えば地獄へ落とされるような畏怖が、足元から忍び寄ってくる。
実際、彼はドラゴンレース界の重鎮だ。グレンを蹴落とすくらい、どうってことはない権力を持っている。行く末を決める裁判官という例えは、しっくりとする。
だが、それが、どうしたというのだ。
「それでも、構いません。俺たちは戦いたいんです」
グレンは強く言い切った。ドルドの
戦えないまま、
挑めるというのは、どれほどの幸福だろう。
ドルドは目を見張った。威厳も冷酷さも薄れた瞳で、じっと、グレンを見つめた。
「……そうか。ならば、いい」
ぼそりと呟いて、彼は何事もなかったかのようにブレイヴアイズへ手を伸ばした。甘える灰青色の竜を、そっと優しく撫でる。
竜と向き合う彼は、もう、裁判官ではなかった。
場の緊張感が、ほどける。セルナンが安堵の息を吐いた。
このまま収束させるのが良いだろう。事を荒立てないのが賢明だろう。
しかし、グレンには、沸々と煮えたぎる思いがあった。
「どうして、俺なんですか。オルニエスさんが、いるでしょう」
グレンは怒りを
ドラゴンレースへ導いてくれた憧れを、汚された気がしていた。勝てなくなったから、切り捨てると言われた気がした。
ドルドの非情さに腹が立ったのだ。
「ワシはオーナーだ。勝てる方を選んで、なにが悪い」
「けど、オルニエスさんは、ずっと、あなたの竜を勝たせて……!」
「だから、ワシが、あいつを楽にしてやらねばならん」
ドルドの平静な声音に、悲痛が混じった。グレンは口を開けたが、反論を口に出せなかった。
「ドラゴンライダーという生き物はな、栄光を掴めば掴むほど、自分だけでは終われんのだ。周囲の期待、仲間たちからの尊敬、竜が好きで離れたくないという欲望。クリンガーよ、おまえにも、わかるだろう。一度は、グレード・ワン勝利の美酒を味わっているのだからな」
ブレイヴアイズを撫でる手は大きく、穏やかだ。男は無表情のまま、切実な声音で呟く。
「オルニエスを頂点まで押し上げたのは、ワシだ。あいつが栄光を手放せんのは、ワシに責任がある。身体の衰えは待ってくれない、手遅れになる前に、ワシが引導を渡してやらねばならんのだ」
ドルドの声に熱が籠もった。今まで人らしい感情を滅多に見せてなかった男が、珍しく露わにした情だった。
自分だけでは、終われない。
ドラゴンライダーを、そうやって形容したのに、グレンは妙に納得してしまった。グレン自身、引退を考えるべき岐路に立たされたとき、果たして、別の道を行く決心ができるのだろうか。
できないのだろうな、と、思ってしまったのだ。
「オルニエスさんは、それほど、切羽詰まった状態なんですか」
グレンが静かに問いかければ、ドルドは竜を撫でる手を止めた。ゆっくりと、彼の顔が向く。
「過酷な減量が、オルニエスのライダー生命を削りきってしまった。数年前から騙し騙しで来たものが、そろそろ限界を迎えるだろう。だから、ワシがオルニエスよりクリンガーを選び、伝説の
ドルドは
バルカイトは、グレンの憧れだった。彼がいなければ、グレンは竜に乗ることもせず、どこかで平凡な人生を送っていたことだろう。それは、たぶん、退屈なものだ。
バルカイトを尊敬している。辛い減量に挫けず頂点を守り続けるのは、途方もない努力によるものだ。他の誰にできるのだろう。
多大な感謝を込めて、バルカイトを無事に見送りたい。ドラゴンライダーが、自分だけで終われないのなら。
「俺とジュピターが、引導を渡します。
グレンは胸を張って言い放った。ドルドが息を呑む気配が伝わってくる。
「ぐ、グレンさんっ、そんな、宣戦布告みたいなっ」
見るに見かねたのか、セルナンがグレンの腕を掴んで揺すった。
「謝りましょう? あの、すぐ謝りましょう? オーナーは許してくれると思いますからあ」
彼は泣きそうに表情を歪めている。
セルナンの慌てようが不思議で、グレンは首を傾げるしかない。
「なんで。謝る理由、ないだろ」
「そんなあぁあぁ」
セルナンが泣きついた。グレンは訳を理解できないままだが、放っておくのも可哀想で、慰めるのに彼の背を軽く叩いてやった。
「ふっふ……ふ、はっはっはっは」
突然、低く唸るような笑い声が響いた。聞き慣れない声にグレンとセルナンが驚いて視線をやれば、ドルドが腹を抱えて笑っている。
「ワシに、宣戦布告だと? 若造が? はっはっは」
ドルドは目尻に涙を溜めている。嘲笑でもなく、
「今年のクラウンレースは、ヴォーダンの一人勝ちで面白くないと思っていたが、ふふ、楽しみができたな」
ドルドは目尻の涙を拭いながら、上機嫌な声を出す。
ひとしきり笑って満足したのか、彼は深呼吸を繰り返した。落ち着きを取り戻したグレーの瞳が、獰猛に光ってグレンを捉える。
「ふむ、いいだろう。やってみるがいい。ワシの竜は強いぞ」
宣戦布告を受けて立つ。彼の言葉は、そういう真意があるように聞こえた。
この男を越えねば、アウルたちとの再戦はない。緊張と興奮が、グレンの体内を駆け巡る。
越えるべき山が、目の前に存在している。これに挑まねば後悔する。これを見過ごしては、生きた心地がしない。アルピニストが、眼前でそびえ立つ、険しい山脈を相手にするとき、こんな感情だろうか。
「俺とジュピターは、もっと強くなります。楽しみにしていてください」
グレンは不敵に笑ってみせた。ドルドの口元が愉快そうに曲がる。
ドルドは灰青色の竜をひと撫でしてから、怯えるセルナンへ歩み寄ると首根っこを引っ掴んだ。
「調教師は、どこだ。案内しろ。ブレイヴアイズの次戦も、考えねばならんからな」
「あっ、お、オーナー! 案内します! 放してください、案内しますからあ!」
ドルドは泣き顔のセルナンに構わず、
そのまま去るのかと思いきや、唐突に、彼は振り返った。
「シーラッドのばあさんに伝えておけ。あのボロ家では寒さが身に沁みるだろう、造り直したいのなら相談に乗るぞ、とな」
グレンは大きく頷き、了承の意を伝える。
ドルドは片手を挙げると、前へ向き、ずんずんと歩んだ。彼の後ろ姿は若々しく、楽しげに満ちているようだった。
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