ナイトメア・ダウト 3

 年が明け、一月。


 ハティア・レース場の竜舎りゅうしゃ区画を訪れたグレンへ、年若い竜舎りゅうしゃスタッフが声をかけてきた。


「グレンさん、明けましておめでとうございます。今年も、よろしくです」


 セルナン・ロムマは、膝下までの長さがある黒い防寒コートを着込み、彼らしい人懐っこい笑顔で挨拶した。


 青いキャップの端から、鮮やかな緑色の髪が首筋まで伸びている。そういえば、彼と会うのは久しぶりだ。


「明けまして、おめでとう。今年もよろしく」


 グレンが挨拶を返せば、セルナンは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「もしかして、ブレイヴに会いに来てくれたんですか?」


「ああ。休養から帰ってきたって聞いたからな」


「僕も今から行くところなんです。一緒に行きましょう」


 セルナンは喜び勇み、グレンの先を歩みだした。時々、振り返ると、大きく手を振って急かす。


 まるで子犬が走り回っているような様子に、グレンは口元を緩めた。いつの間にか懐かれたものである。


 グレンは彼に遅れないよう、早足になって追いつく。二人、連れだって竜舎りゅうしゃ区画を進んだ。


「ブレイヴ、今年は大きいところ狙えそうだって、竜舎りゅうしゃのみんなで張り切ってるんですよ」


「それは楽しみだな」


「あ、もちろん、グレンさんに乗ってもらいますから。オーナーも賛成してくれると思います!」


「そうか」


 歩きながら、セルナンと他愛ない話をする。最近は、こうして、他人と話をする機会が増えた。


 グレンは今も、変わらず人付き合いが苦手である。けれど、あの事故以前より今の方が、ずっと人脈は広がっていた。


 ジュナの苦悩を知って、変わりたいと思った。ジュピターの相棒として、変わらなければと思った。


 付き合いのある竜舎りゅうしゃには積極的に顔を出すようになったし、億劫がらず、オーナーたちとも会話している。その結果としてグレンの人脈は広がり、仕事が順調なのだから、他人と交流するのも悪くない。


 グレンたちが歩いていると、正面から、二人の竜舎りゅうしゃスタッフが歩んできていた。知らない顔である。


「そういや、聞いたか? バルカイト・オルニエスの噂」


「ああ、聞いた。今年、まだ一勝もできてないんだってな。もう、四十四歳になるだろ? さすがに引退じゃないか?」


 見知らぬ竜舎りゅうしゃスタッフの会話が、すれ違い様、グレンの足を止めた。それほどの衝撃だった。


 トップライダーとして頂点に君臨し続けた、あの、バルカイト・オルニエスが。グレンにドラゴンライダーという夢を与えた、憧れの人が。引退だなんて。


「グレンさん?」


 足を止めたのに気づいたセルナンが、急いで戻ってきた。


「どうしたんです?」


「オルニエスさんが引退って……」


 驚きで呆然とするグレンに、何事かを把握したセルナンは頷いた。


「グレンさんは、そういう噂、気にしないから知らなかったんですね。オルニエスさんの引退説は、珍しい話じゃないんですけど……。最近は全然、勝ててないですから、そろそろ引退だって、みんな言ってます。年齢が年齢だけに、仕方ないのかもしれません」


 セルナンは説明しながら、視線で歩みを促す。グレンは動揺する心持ちを落ち着けながら、ゆっくりと踏み出した。


 ドラゴンライダーは、長く続けられる職業でない。多くのライダーが三十代で引退を考え、四十歳を境に新たな道へと進んでいく。上空で戦うライダーは、体力の衰えが死に直結するからだ。


 それはバルカイトも例外でなく、グレンにだって、いつかは必ず訪れる転機だ。


 永遠なんてものは、ないのだから。


「オルニエスさん本人は、引退しないって断言してるらしいですけど」


「あの人は、まだ、やれる。バルカイト・オルニエスが引退なんて信じられるか」


 グレンは身振り、手振りで熱弁した。バルカイトが噂に負けぬよう、少しでも弁護したい気持ちがあった。


「グレンさんって、オルニエスさんのこと尊敬してるんですね」


「そりゃあ、な。俺がライダーを目指した原点みたいな人なんだ」


「すごいなあ。天才が尊敬する人って、なんかカッコイイ響きですよね」


 セルナンは話を聞きながら、素直に頷き、気持ちの良い反応をしてくれる。ボレトのような悪意ある後輩でなく、セルナンが後輩であったら楽しいだろうに、と、グレンは思わずにいられない。


「オルニエスさんの噂を知らなかったんなら、じゃあ、ピシティアーノさんがグレンさんを気に入ってるっていうのも知らないんですか?」


 セルナンが首を傾げながら問いかけてきた。グレンは目を見開いて、首を横に振る。


「なんだ、それ」


「ええーーっ! 次期協会長と言われる大オーナーですよお! それも気にしないなんて、やっぱ、グレンさんは大物だなあ!」


 答えが望み通りのものだったのか、セルナンは驚くも瞳を輝かせて興奮した。


 やや大げさだが、大物と言われて悪い気はしない。グレンは、ふふん、と表情をふやけさせた。


「グレンさんは、ピシティアーノさんの竜でよく勝ってますからねえ。オルニエスさんの不振もあって、次の主戦ライダーはグレンさんじゃないかって噂なんですよ。エテルネルグランツも、本当はグレンさんに乗ってもらいたかったんじゃないかって」


 機嫌良く聞いていたグレンだが、終いには驚きで口をぽかんと開けた。初耳である。


 いくらなんでも、それは噂の域を出ない代物だろう。


「俺には、ジュピターがいる。今年の四歳では、あいつが最優先だ」


 そう、他を選ぶことは絶対にない。例え、名竜めいりゅうと呼ばれるかもしれない逸材でも。


 セルナンが納得した様子で、何度も頷く。


「ですよねえ。あ、ウチのブレイヴアイズも、よろしくお願いしますよ」


「ああ、もちろん」


 グレンが自信たっぷりに笑むと、セルナンは感激したように喜んだ。


 そうこう話しているうち、目的の屋舎へ到着した。仕切りの扉、その上から、灰青色の竜が顔を出している。


 その前、竜の首筋を丁寧にでている男が一人いた。大柄で、アッシュブロンドをボウズに近いくらい短く刈り揃え、高そうなワインレッドのスーツ、黒のピーコートを着こなす人物。


「お、オーナー! お疲れさまです!」


 セルナンは急停止し、直立不動になって、半ば悲鳴に近いくらいの音量で叫んだ。


 ブレイヴアイズが声に驚き、体をビクつかせる。


「馬鹿者か、竜が驚くだろう。ロムマ、おまえは、落ち着きを持て」


 ドルドは苛立ちゆえか、片眉をつり上げた。

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