スタート・アフレッシュ 4
それから幾つかの質疑応答をして、カラは取材道具を片付けた。
彼女は深く呼吸する。
「例の件ですが」
カラの落ち着いた声音が、ゆたりと波打って室内に広がる。空気が張る雰囲気を察し、グレンたちにも緊張が走った。
「あれから、事故について批判する記事を洗い出し、それぞれの関係者を調べてみました。その何人かは、五年前に突然、羽振りが良くなっているようです。金の流れがあるのは間違いないでしょう」
グレンとジュナは黙って、カラの言葉を受けた。
カラの話を初めて聞いたときから、メディアに不穏な動きがあったことは事実かもしれないと覚悟していた。カラは信用できる記者だ。その彼女が、わざわざ、訪ねてきたのだから、記事が買われていたのは信ぴょう性のある話だと。
疑惑で済むことなく、それは確かな現実となってしまった。裏付けられてしまった。
グレンは、細く長い息を吐いた。かすかな音をたてることすら遠慮する、張り詰めた緊張感が漂っていた。けれど、胸に溜まる
脳の奥で、血管が暴れている感覚がある。心の奥で、悲鳴をあげている自覚がある。耳の奥で、やめておけと諭す声が聞こえた。
でも、一つ、グレンには確認すべきことがあった。
「あんたは夏に、ドラゴンウォッチャーの金で動かされた記事は、俺を批判するものだと言っていたな。もしかして、金で動いた他の記事も俺を批判するものだったんじゃないか?」
グレンの指摘を聞いたカラは、驚いた様子で目を瞬かせる。
「はい、その通りです。疑惑の記事は、どれもクリンガーさんを批判するものでした」
「そうか」
グレンは
心臓の脈動が心許なかった。意識を、精一杯、保とうとしていた。
「グレン、どうして、わかったの?」
ジュナの戸惑う声に顔を上げる。青い瞳が動揺で揺れていた。
グレンは眉根を寄せる。話さなければ。例え、彼女に
「何者かの意図が働いているとして、理由を考えてみたんだ。いくら考えても、家族経営の小さなウォーディ竜牧場を潰す理由が見当たらないんだ。ゴルトの
「じゃあ……」
「ウォーディ竜牧場は、本来の目的になかった。俺の巻き添えだったんだ」
ジュナの表情が凍りつくのが分かった。グレンは目を逸らす。
全くの無名だったウォーディ竜牧場に目的はない。ならば、あとは消去法だ。ウォーディ竜牧場に理由がないなら、標的はグレンでしかない。
グレンは世間の関心を集めるライダーだった。知名度は、それなりにあった。心当たりはないが、何かの恨みや妬みを買う可能性は否定できない。
「クリンガーさんの指摘に、私も同意します。クリンガーさんの記事は大手メディアで扱っていましたが、ウォーディ竜牧場についての記事は、いわゆるゴシップ誌のみが載せていました。調べてみましたが、金銭のやり取りはなかったようです。売り上げを伸ばすために、他と違うネタが欲しかったのでしょう」
重い空気が垂れ込む室内に、カラの静かな声音だけが響いた。
グレンは五年前から、ずっと、ウォーディ竜牧場への批判は自分のせいだと思ってきた。巻き添えだろう、と。ゴルトのような素晴らしい竜を生産した竜牧場が、批判されるのは捏造でしかありえないと考えていたからだ。
今、メディア側の不穏な動きが発覚したとて、その事実は変わらなかった。むしろ、推測でしかなかったものが確定されてしまった。
ジュナの苦しみの全ては、グレンが原因だ。グレンへ振り下ろされた刃のせいで、彼女の家族は離散という悲劇を迎えてしまったのだ。
「やっぱり、俺のせいなんだな」
グレンは自嘲気味に呟いた。思考で己への責め苦ばかりが回る。膝の上で握り締めた拳が震えている。
彼女を大切に想う資格がない。
笑顔を見たいと望むことも、健やかであれと願うことも、幸せでいてほしいと祈ることだって……。
ふと、柔らかいものがグレンの拳を覆った。
「あなたのせいじゃ、ない」
グレンの拳より震え、弱々しく、だが優しさの込められた言葉が差し出される。
視線を向ければ、泣きそうな顔をしたジュナがいた。彼女は青い瞳に涙を浮かべ、唇を引き結んで悲しみを堪えながら、ただ真っ直ぐにグレンを見つめている。
「批判する記事を書くよう指示した人が、全部、悪いじゃない。あなただって、被害者じゃない。なのに、こんなに苦しんで、そんなの、おかしいよ」
言いながら、彼女の柔らかい掌がグレンの拳を包み込んでいた。強張っていた
しかし、と、グレンは首を横へ振った。
「事故は俺のせいだ。
何度でも、結局は、そこへ帰結してしまう。
グレンは、他の竜と接触し暴れたゴルトを制御できなかった。洞窟の壁に激突し、墜落して、ゴルトはグレンを守って死んだ。多くの夢を背負っていた黄金色の竜を、唯一無二の相棒を、グレンは己の失敗によって失った。
その事実が根底にある限り、グレンの罪は存在し続ける。
「クリンガーさん。もう一つ、私は伝えなければなりません」
カラの強い声音が、二人の耳を打った。グレンとジュナは同時に振り向く。
「記事に関する金の流れを追ううち、記者以外にも金銭の授受があったことを掴みました。ボルテシア
カラの言葉を受け、グレンは把握しかねて表情を歪める。
「それは、つまり……」
「
グレンは目を見開いた。後頭部を鈍器で強打されたみたいに、思考が真っ白になった。
「あの、
何者かに仕組まれたものだった。グレンが背負ってきた罪の全てが、策略によるものだった。
「そんな」
ジュナが何かを言おうとして、声を詰まらせる。彼女の指が、脱力したグレンの手を強く掴んだ。
「五年前の
カラは席を立つと、言葉を失う二人へ一礼した。
「あなたたちに落ち度はなかった。それを証明してみせます」
ヴァイオレットの瞳が強く
いつの間にか陽が沈みかけていて、室内を橙色に染めていた。物音一つしない、静寂が統べるそこに、グレンとジュナは行動の気配なく椅子に腰かけたまま存在していた。
真実は、どこにあるのか。自分たちは、何をすべきか。暗闇の中を、当てもなく手探りで
「五年前の
ひっそりとグレンは呟いた。生気のない眼で、目の前に横たわる現実を眺めているだけだった。
グレンの手に、また一つ、柔らかいものが重ねられる。その温もりが、消え入りそうなグレンの存在を繋ぎ止めてくれていた。
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