スタート・アフレッシュ 3
ハティアへ帰ったグレンたちの前に、敏腕記者が現れたのは突然だった。
夫人と別れ、ジュピターを屋舎へ戻し、ウォーディ
「お久しぶりです。ルーキーイヤーステークスは残念でしたね」
カラ・ポピーは柔らかい雰囲気で、けれど、記者らしい視線の鋭さは変化なく挨拶した。会うのは夏のとき以来だが、元気でやっているようだ。
「完敗だ。相手が
グレンは応え、カラを椅子へと案内する。夏の日と同じく、グレンとジュナが隣同士で並び、カラは二人の正面へ座った。
横目で、ちらりとジュナの様子を窺う。彼女は憧れの人を前にした興奮ゆえか、頬を紅く色付かせている。夏に明かされた事実を、苦痛として引きずっていないか心配だったが、いつも通りの彼女だ。
ということは、ジュナは緊張で使い物にならない。状況を把握したグレンは、自分が会話を引き受けなくてはと決めた。
「ヴォーダンについて情報をくれると、ありがたいんだけどな」
「ご冗談を。敵陣営に情報を漏らすなんて記者失格ですよ。良い情報を引き出すには、信用第一ですから」
グレンの言葉を、カラは鋼鉄のような意志を織り交ぜた笑顔で避ける。
さすが、敏腕と周知される一流記者。グレンの話術では、百年経ったって何も引き出せそうにない。
「そうよ、なに言ってんのよ。もう!」
ジュナの平手がグレンの腕へ直撃する。強めの一発に、彼女が心底、苛立ったのを察する。痛い。
全く、慣れないことは、するものじゃない。
「格好良く言ってみましたが、実は、私たち記者もヴォーダンについて詳しくありません。オーナーが全ての取材を拒否しているようで、未だ、
カラは、冗談めかして肩を
ヴォーダンのオーナーといえば、マジュロー・マインスだ。グレンは会えなかったが、ジュナと夫人によれば冷たい印象のある男だったらしい。
ルーキーイヤーステークス優勝後のインタビュー映像なら、グレンの記憶にある。冷静に淡々と受け答えする彼は、夫人とは違う意味で、これまでのオーナーとは違った。
ドルドのような威厳でなく、夫人のような優しさもなく、しかし、佇まいは端整で。氷の彫像が
「マジュロー・マインスか。オーナーも謎だな」
「そうですか? 彼、誤解されやすいところもありますが、竜が好きなのは昔から変わらないですよ」
カラは穏やかな微笑みで言う。
昔から。まるで旧知の間柄のような口振りに、グレンとジュナは首を傾げた。
「マジュローは、大学の同期なんです。今でも大切な飲み仲間ですよ」
グレンたちの疑問を察してか、カラは穏やかな顔のまま補足する。
カラの同期で、飲み仲間。柔らかく優しげな雰囲気のカラと、氷の彫像がごとく冷淡なマジュローが並ぶ様は、なんと不均衡なことか。美女と野獣、姫と鬼、兎と竜などと同義ではないだろうか。
「そういう知り合いなら、紹介してくれと周りから言われるんじゃないか? いいのか、ここにいて?」
「ご心配なく。仕事とプライベートは関係ありませんし、私はウォーディ
驚くグレンに、カラは優雅に笑ってみせる。
「なので、ジュピターについて、お話を伺ってもよろしいですか?」
そして、流れるように取材交渉へ。彼女の手元には、いつの間にかボイスレコーダーやメモ帳などが用意されている。
グレンは笑うしかなかった。やはり、彼女は本物の記者なのだ。
ジュナの嬉々とした視線が、グレンへ向く。ぜひ応えたいと青い瞳が訴えている。
グレンは同意を示して頷いた。信頼できる記者ならば、突き放す理由はない。
「ウォーディ先生。ジュピターの次戦ですが、クラウンレースを
「ええ、もちろんです。私たちはクラウンレースに、そしてヴォーダンに挑みます」
ジュナは緊張した面持ちで答える。
どれだけ表情が
「相手が
カラは慣れた手つきで、メモ帳にペンを走らせる。その表情に嬉しそうで楽しげな感情が見えた。
彼女の言葉は、記者としてより、純粋に応援しているというように聞こえた。素直な考えかもしれないし、巧みな話術ゆえかもしれない。
それはグレンにとって励ましであったし、気分を良くさせるものだ。ジュナも嬉しかったようで、真剣さを保っているものの、表情を崩すまいと必死に堪えているのが分かる。
「クラウンレースへの出場を目指すとなると、次戦は予選レースでしょうか」
「そうなると思います。今のジュピターでは、予選レースへ出ないで協会から推薦されないでしょうから」
「なるほど」
カラは頷きながらメモを取る。
クラウンレースは、グレード・ワンの中でも格式高いレースだ。それに出場するには獲得賞金の多さだけでなく、ドラゴンレース協会の推薦を得ることが条件になる。
推薦を得るのに、道は二種類ある。
一つは、クラウンレースへ出場できる能力であると認められること。これは戦績に関係なく、協会内の会議だけで決まるものだ。
もう一つは、予選と定められたレースで優勝すること。これは単純で、予選レースの勝敗だけで推薦の有無が決まり、協会内の会議で決定されるようなことはない。
ルーキーイヤーステークスで敗戦したことにより、ジュピターの印象は、十二キロメートルまでの短距離でしか活躍できないスプリンターのままだ。クラウンレースへの出場は、ドラゴンレース協会も、世間も認めないだろう。
グレンたちに残された道は、予選レースで優勝すること。ただ、それだけなのだ。
「
「二月の
「そうですか」
不意に、カラの表情が曇った。彼女はペンを指に挟んだままメモ帳を
「
言いながら、カラの表情が険しくなっていく。
今まで、数々の
「エテルネルグランツは短距離のルーキーイヤーステークスを回避して、クラウンレースだけを目指したレース選びをしています。それほど素質を見込んでいるのでしょう。名手バルカイト・オルニエスが調教でも乗り、ゆっくり、じっくり成長させているようですね。強敵となるのは間違いないと思います」
カラの声色が沈む。ジュナも、表情に不安を
クラウンレース出場への道のりは易くない。ヴォーダンの他にも倒すべき相手がいる現実に、打ちのめされそうになる。
ああ、そんなことは、分かりきっている。道理だ。
それでも、と、自分たちは戦うことを選択したのだ。
「相手がなんでも、クラウンレースへ出場するのは俺たちだ」
グレンは口調に強固な志を含ませた。暗い表情でいるジュナの背を、ぱんと軽く叩く。
ジュナは、はっと気づいた顔をした。彼女は両手で自身の頬を一叩きし、きりと表情を引き締める。
「エテルネルグランツは関係ありません。私たちの目標はクラウンレースであり、
ジュナは強気に、口の片端をつり上げてみせた。調教師の彼女らしい、堂々とした顔つきだった。
グレンは頼もしさに安堵して、口元を緩める。
「通過点でしかない、と。ありがとうございます。良い記事が書けそうです」
敏腕記者は、すらすらとペンを走らせる。その所作に微塵も揺れなく、声音は鋭い。
張りぼての強がりに映っただろうか。勝算のない蛮勇と捉えただろうか。何を思ったのか、グレンに知る
カラの瞳は優しげに細められていた。何を思うとしても、彼女はグレンたちの味方で在り続けてくれるような気がした。
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