スタート・アフレッシュ 2

 竜運搬車りゅううんぱんしゃを頼み、三人でジュピターを迎えに行く。


 頭の良い彼のことだから、負けたのを理解したのだろう、昨日は元気がなかった。グレンで遊ぶこともなかったのだから、相当、落ち込んでいる。彼にも休養が必要だ。


 ジュピターが滞在する屋舎へ近づいて、人々の声が騒がしかった。人の囲いができているようで、なにやら慌てた様子だ。


 三人が歩んでくるのに気づいた一人が急いで駆けてきて、グレンの腕を引っ掴む。


「あれ、なんとかしてくれよ! ほら、早く!」


 訳も分からずグレンは引っ張られた。されるがまま連行されて、人の囲いの中心へ押し出される。無理矢理の行動に、グレンは不機嫌で顔を歪めた。


「なんだ、いったい……」


 途中まで口から出た文句は、目の前の光景を認識して引っ込んだ。


 漆黒の竜が四肢を地につき、鬼の形相で見下ろしている。一歩も引かず、それどころか気にすらしていないかのように涼しい表情で、純白の竜はそっぽを向いていた。


 闘志をき出しにするジュピターと、我関せずと相手にしないヴォーダン。二頭の力関係ゆえの構図か。


 ジュピターの雰囲気は、並ならぬ迫力があった。プリマクラッセと対峙したときにも闘志をたぎらせていたが、その比でない。


 いつ暴れてもおかしくない形相に周りの男たちが止めようと近づくも、巨躯きょくに宿る猛烈な敵意に怯み、手をつけられないでいる。ヴォーダンの手綱を握る竜舎りゅうしゃスタッフも、混乱と恐怖で身体からだを縮ませていた。


「ジュピター……」


 グレンは声をかけ、近寄った。漆黒の竜はグレンへ視線をやることもなく、ただ純白の竜をにらんでいる。


「ダメよ、ジュピター!」


 騒ぎの真相を知ったジュナが走ってきて、漆黒の竜を鎮めるため首に抱きつき、そっとでる。ジュピターの顔が、ふっと柔らかくなった。


 それを見届けてか、ヴォーダンが歩き出す。手綱を引いていた竜舎りゅうしゃスタッフは、逆に竜に連れられる格好でついていった。囲んでいた人々も、騒ぎが収束したと判断して散り散りになっていく。


 その中の一人を夫人が呼び止めた。作業着姿の彼は、ケイシュレド・レース場の係員だろう。


「これは、どういうことなの?」


「自分も詳しくは知らないんですが、ハティアへ帰るのに竜運搬車りゅううんぱんしゃへ乗ろうとヴォーダンが通りかかったとき、突然、ジュピターが屋舎を壊して飛び出してきたらしいんです」


 グレンたちは屋舎へ目を向ける。無残に破壊された木製の扉が落ちていた。


「あとは、見た通りです。二頭が動かなくなって、どうしようか迷っていたところ、ちょうど、あなたたちが」


「そうなのねぇ。教えてくれて、ありがとう。修理費用はアタシに請求してちょうだいね」


 夫人がにこやかに伝え、礼をして去っていく係員を見送る。


「気は荒くても、他の竜に危害を加えようとはしない子なのに……。どうしたの、ジュピター」


 ジュナは心配そうに漆黒の竜を撫でた。ジュピターは変わらず、ヴォーダンの去った方向を睨みつけている。


 果たして、危害を加えようとしていたのだろうか。グレンが事態を知ったとき、ジュピターはヴォーダンを睨みつけていたが、微動だにしなかった。ジュピターの瞳に挑戦的な光こそあれ、そこに邪悪なものは宿っていなかったように思う。


 ふと、ルーキーイヤーステークスで響き渡った、渾身の咆吼ほうこうを思い出した。


 レースで初めて負け、味わった悔しさ。打ち砕かれた自信。思い知らされた無力さ。己に怒りを覚えたし、憤ったりもしただろう。


 だが時間が経つにつれ、それらは薄れていく。代わりに顔を出すのは、なんとも単純な欲望だ。


 もう一度、戦いたい。あいつに、勝ちたい。


 グワアアアア、と、ジュピターがえた。驚いたジュナが離れる。


 彼は怒りをにじませ両目をつり上げたまま大口を開けると、グレンの腕をかぷりと噛んだ。


 グレンは顔をしかめ、痛みを訴えようと口を開いて。しかし、思ったほどの痛さがないことに気づき、目を丸くして漆黒の竜を見つめる。


 ジュピターは、そのまま首を曲げ、グレンを背の方へ引っ張った。漆黒の竜は鼻息荒く姿勢を低くする。それは、ライダーが乗るときの動作だ。


「乗れ、って?」


 ふん。漆黒の竜は鼻息で応える。さっさとしろとばかりに睨んでくる。


 グレンは笑った。ジュナと夫人が、事情を把握しかねたように首を傾げる。


「こいつは、やる気だ。早く飛びたくて仕方ないらしい」


 グレンは不思議がる二人へ説明して、竜の背を軽く叩き、なだめた。ジュピターは体力がある方だが、レースの疲労が抜けきるまでは飛ばせられない。


 ジュピターが不服そうに呻る。グレンは、ひたすらに撫で、落ち着かせる。


 ジュピターは、初めて、自分を完膚かんぷ無きまでに叩きのめす強敵と出会った。生涯をかけて戦うべき相手を見つけたのだ。今はまだ、好敵手になれないほど実力差があり、相手にされなかったが。


 先ほどのは、ジュピターなりの宣戦布告だったのだろう。次こそ勝つ。そう伝えたに違いない。


 クラウンレースは、過酷な戦場となる。勝機は見えない。無謀だと、誰もが笑い非難するだろう。


 人のエゴだけなら躊躇ためらった。竜のためを考えるなら、退くべきだった。しかし、竜自身が望んでいるなら迷いはない。


「出よう、クラウンレース」


 グレンの言葉に、皆が頷いた。それぞれの瞳に決意を込めて。


 相手は現代に蘇った伝説で、その背に乗るのは至上のライダーだ。生半可な覚悟では勝てやしない。いや、覚悟があるだけでは、勝てない相手だ。


 それでもいい。自分たちは、戦いたいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る