イマーキュレイト・ホワイトネス 2

 十二月上旬。グレンたちはハティアを発ち、ルーキーイヤーステークス出場のためケイシュレドへ遠征した。


 ケイシュレドはハティアの南、大陸の南端にある。海に面する都市で、ハティアより気候が温暖だ。行楽地として有名で、穏やかな海と輝かしい景色を目当てに海外からの観光客も多い。


 ケイシュレド・レース場は海沿いに客席を設け、海上を飛ぶコースを使用する。穏やかな気候で、冬でも寒さは控えめだ。眺めの良いホテルであれば客室で観戦することも可能で、プライベート空間で楽しめるのが人気のリゾートレース場である。


 海上コースとしては風が強くないので、自然に翻弄される心配がない。しかし、それは不可抗力によるまぐれがないということであり、ライダーの技量よりも竜の実力通りに決着することが多い。


 今回、ジュピターにとっての課題は、海上コースをどのように乗り切るかだ。


 さすがに海の上は走れない。レースは十四キロメートルの短距離でジュピターが得意とするものだが、漆黒の雷たる爆発力を支える立派な体躯たいくが、海上を飛行する場合は重荷でしかないのだ。


「鍵はスタートダッシュね」


 ケイシュレド・レース場に隣接された、遠征滞在用の臨時竜舎りんじりゅうしゃにて。


 ルーキーイヤーステークスを数日後に控え、グレンたちは作戦会議を行っていた。グレン、ジュナの他に、オーナーであるシーラッド夫人も同席している。


 ジュナはホワイトボードに、図を描き込みながら説明する。


「ケイシュレドの海上コースは、スタート付近の五百メートルほどが陸地なの。スピードが充分じゅうぶんに出ないまま海へ出ると落下の危険性があるから、それを防ぐための構図ね」


 ホワイトボードに、五百メートルほどの陸地とゴールの海上までが描かれた。ジュナはペンで指しながら一同へ視線を移す。


「竜は体が重く、加速するのは苦手。だから、スタート直後はスピードに乗れず遅いわ。けれどジュピターなら、地を蹴る爆発力で一気にトップスピードまで持っていける。それを利用して、スタート直後に地を蹴って飛び出し、他の竜を突き放すの。あとは、セーフティーリードを保ちつつ、そのままゴールまで飛ばすだけ。レースは短距離だもの、体が重いジュピターでも押し切れる計算よ」


 ジュナが自信たっぷりで言うのに、グレンは納得して頷く。


 ウォーディ竜牧場から帰ってきたジュピターは、体が一回り大きくなっていた。更なる瞬発力と爆発力を得るために、筋肉を増強するハードトレーニングを行ってきたのだ。


 長く飛ぶ持久力より、凄まじい瞬発力で押し切れる短距離である。元々、ジュピターの体は、スプリンターの体型として理想にある。短距離であれば負ける気がしないほどに。


 グレンは手応えを感じていた。


「これまでジュピターは、最初に体力を温存して、レース終盤で一気にかわす作戦で勝ってきた。今回、スタートダッシュで突き放そうなんて、予想するヤツはいないだろ。他のライダーは慌てるだろうな」


 グレンの思考には、幾つものレース展開が組まれている。そのどれもが、勝利のイメージに辿り着く。グレンは楽しさで口角が上がるのを止められない。


 これは、二度と来ないかもしれない機会だ。ジュピターにグレード・ワンを勝たせたいのなら、ここに全力で立ち向かうべきだ。


「この作戦は、相手の虚を突くのも大事ねぇ。知られて対策を練られてしまったら、いくらジュピターちゃんでも逃げ切れるか心配だものねぇ」


 夫人は作戦会議であろうと、のんびりだ。


 彼女の着る白いセーターは、中に何枚も重ねているせいで着ぶくれしていた。歳を取ると寒さに弱いわねぇ、と呟く夫人はロングパンツの中にも着込んでいるらしい。冬への完全防備のせいで身体からだが丸く見え、穏やかさに鈍重どんじゅうさが加わった印象だ。


 しかし、その指摘は鋭い。知られてしまえば、楽に逃げさせまいと無理にでも競ってくる竜がいるかもしれないし、速いペースを予想されれば、前半は体力を温存して最後に追い抜かそうと計算する者だって現れる。


 最初から先頭を奪う逃げの戦法は、虚を突けば一撃必殺だが、知られると対策をたてられやすい諸刃の剣だった。


 ジュナが夫人へ頷いて肯定した。それは博識である彼女にだって承知の事柄だろう。


「なので、誰にも知られないよう、ウォーディ竜牧場で調教を行うことにしました。グレンにも、マリーさんにも秘密にしていて、すみません」


 頭を下げようとするジュナを、夫人が止める。


「いいのよぉ。ジュピターちゃんのことは、全部、お任せしているのだしねぇ」


 夫人は軽い調子で言って、鮮やかにウインクしてみせた。やはり余計な口出しをしない。


 ジュナが安堵して息を吐く。彼女も夫人については理解しているだろうが、オーナーと調教師の関係には気を遣うのだろう。


「対策、か。勘の良いライダーは、ちょっとのことで気づくからなぁ」


 グレンは机上にあったドラゴンウォッチャーをめくる。ルーキーイヤーステークスの特集があり、出場する竜やライダーの情報が載っていた。ドラゴンレース情報誌としてトップの座についているだけあって、情報量は群を抜いている。


 勘の良いライダー。例えば、バルカイト。彼のようなベテランは経験豊富な分、冷静に物事を捉え勘も働きやすい。


 ライダーの欄へ目を落としたグレンは、慎重に彼の名を探す。運の良いことに見つからなかった。今回、彼の出場はないようだ。


 だが、よく見知った名が記されている。グレンの血が沸き立った。


「アウル……」


 グレンは呟く。今や次代を担うスターとして活躍する、同期の名を。


 アウルがグレンをライバル視しているように、グレンにとってもアウルは倒すべき相手だ。親友や同期という枠組みを越え、技を競い、火花を散らす。ライダースクール時代から変わらぬ、ドラゴンレースでしか語り合えないものが彼との間にはあった。


 ようやく、胸を張って戦える。ジュピターという新たな相棒と共に。これが、どれほどの幸福か、他の誰にも理解できないだろう。いや、理解できなくて、いい。


 アウルは、どんな竜に乗るのだろう。グレンは詳細を目で追う。


「ヴォーダン」


 誌面の文字を、ゆっくりと口に出した。ジュナと夫人の目が向く。


「アウルさんの乗る竜ね。ヴォーダンとは、風を操る神様の名前かしら。神様が由来なのは、ジュピターと同じね」


「どんな竜なんだ?」


「うーん、平凡、かな。レース映像を観たけど、二着の竜とは僅差だったし、ギリギリで二勝してきた感じ。純白の肌色が珍しいくらい」


 ジュナは不安げに眉根を寄せる。彼女はヴォーダンに対して、嫌な雰囲気を感じているようだ。


 無理もない、と、グレンも心中で同意する。


 アウルが人気だけでなく、実力も伴ったライダーということは関係者の誰もが知っている。彼がグレード・ワンに出場するときは、常に強い竜と共にあった。実力を認められ強い竜を持つオーナーから依頼されるということであるし、同じレースで幾つも依頼されるから選択肢が多く、より強い竜を選べるという好循環もある。


 ルーキーイヤーステークスには、グレンとジュピターが出場する。コクの言っていた通り、アウルにとって念願の対戦となるだろう。そんな彼が、平凡な竜を選ぶはずがないのだ。


 何か、重大な見落としがあるのでは。グレンは、誌面を隅々まで読む。些細ささいな違和感でもいい。何か。


「竜のオーナーは……マジュロー・マインス。聞いたことないな」


 レースの依頼が増え、グレンの人脈は広がった。名だたるオーナーは知っているつもりだったが、マジュローは聞き覚えが全くない。


 助言を求め夫人へ視線を向ければ、老女は申し訳なさそうな顔をして首を横に振る。


「アタシも知らないわぁ。たぶん、若いオーナーさんじゃないかしら。あとで知り合いに聞いてみるわね」


 夫人が言うのに、グレンとジュナは頷いた。


 ヴォーダン。ジュピターと同じであろう、神話から与えられた名前。珍しい、純白の竜。


 アウルは、この竜を選んだ。グレンと戦うために。


「気にしていても始まらない。会えばわかるさ」


 グレンは雑誌を閉じた。ジュナと夫人へ、強気に笑ってみせる。


 ルーキーイヤーステークスは数日後だ。当日までに、ジュナが相棒を最高の仕上がりに調整してくれる。ライダーであるグレンにできることは、やはりレースで勝たせるだけしかない。


 身体を震わせようとするのは、手応えゆえの武者震いか、言い知れぬ怖さで迫るライバルへの予感か。それもこれも、全ては当日、明らかになることだった。


「グレンちゃん、ジュナちゃん、せっかくケイシュレドまで来たのだもの、観光をしていらっしゃいな」


 作戦会議が終わる雰囲気を感じ取ってか、夫人が、にこやかに提案した。


 グレンとジュナは顔を見合わせる。呆けた表情が、互いに見つめている。


「デート、楽しいわよぉ」


 夫人が付け加えた言葉に、見合っていた顔が頬を紅く染めた。二人は素早く視線を逸らす。


「あ、あの、マリーさん。デートとか、意味がわからないんですけど……」


「あら? 二人でお出かけするとき、今は、そう言わないのかしらぁ?」


 夫人は不思議そうにグレンたちを見た。


 推察するに、彼女は二人で出かけることを『デート』と言ったようだ。男女の、あれや、これやではない。


 グレンは冷静さを思い出し、ほうと息を吐く。


「でも、今は出かけるどころじゃ」


「いいの、いいの。気を抜く時間も必要なのよぉ」


 夫人は着ぶくれした身体で、しかし、機敏な動きでグレンたちを立たせた。彼女は二人にダウンジャケットを持たせ、よいしょ、よいしょ、と押して事務所から外へ出す。


 夫人は穏やかな笑顔のまま、事務所の扉を閉めた。惑う二人を置いて。


「……夫人て、なんか強いよな」


「まあ、ルクソール先生が言うこと聞いちゃうくらいだから、ね」


 思うまま呟き、グレンとジュナは互いへ顔を向けた。諦めたような、従うしかない情けなさのような、拍子抜けした表情が二人ともに浮かんでいる。それが、なぜだか面白くて、笑いを誘う。


「夫人は、肩の力を抜けって言いたいんだ。気を遣ってくれたのかもな」


「きっと、そう。マリーさんは優しい人だもの」


 二人は笑いながら、ダウンジャケットの袖へ腕を通した。


 温暖な気候とはいえ、冬の風は冷たい。ここに留まっては凍えるし、事務所の扉は閉ざされているから戻れもしない。


「じゃあ、デート……行く?」


 ジュナが気恥ずかしそうに見上げてきた。その言葉は、胸の奥底まで聞こえるような響きを持っていた。とても、むずがゆくて、逃げ出したい恥ずかしさがあるのに、どうしてか心地良い。


「行こう」


 迷うことなく、するりと答えが出ていた。ジュナが嬉しそうに頷くのを見て、答えに間違いはなかったとグレンは思う。


 二人は、揃って足を踏み出した。聡明な老女に与えられた、ひとときの休息へ。

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