パシーブ・ディバイン・ドラゴン 4

 七月の最終週。ハティア・レース場、その日のメインレースはブレイヴアイズが出場するグレード・スリー、イダテンはいだ。ドラゴンレースでは短距離に分類される、十二キロメートルのレースである。


 最近の出場レースで、ブレイヴアイズはスタート良く飛び出すも、最後までスタミナが保たず失速して負けが続いていた。だから距離を短くして、それが勝利へと繋がればと陣営が考え抜いた策だ。


 それでも、甘くないのがドラゴンレースだ。短距離にはスピード自慢が多く、ペースが速くなりやすい。中距離で出場していたブレイヴアイズでは、そもそも、短距離のスピードについていけないかもしれない。策は策でも、苦肉の策であった。


「ドルドさん」


 レース前、関係者が集まる控え室。備え付きの巨大スクリーンを見上げていたドルドを呼ぶ声があった。ライダー用レーシングスーツを着たバルカイトだ。


「珍しいな。おまえに、メインレースで依頼がないとは」


 相変わらずの厳めしさで話すドルドに、バルカイトは首をすくめてみせる。


「ブレイヴアイズに乗る予定でしたから。ドルドさんこそ、いつもの特別室で観ないなんて珍しいですね」


「こんな日もある。天才の帰還を肌で感じるには、こちらのが良いだろう」


 ドルドはわずかに片頬を上げた。バルカイトが眉根を寄せる。


「五年ものブランクを埋められるとは、思えないんですけどねぇ」


 トップライダーの呟きは、レース開始前の歓声に掻き消された。


 巨大スクリーンにスタート地点の映像が映し出される。表示されたカウント。数字が減るごとに熱気が増す。


 スタートの合図が鳴り響いた。各竜、凄まじい勢いで地面を蹴り上げ飛翔する。


 短距離はスタートで出遅れてしまうと命取りだ。スピード自慢の猛者たちが限界値に近い速度で飛行するため、遅れを取り返せないうちにレースが終わってしまう。一瞬の遅れが命取りだ。有利な位置を取るため、ひいては勝利のためスタートから必死に先頭を奪い合う。


 しかし、一頭、先頭争いに加わらない竜がいた。灰青色はいあおいろの竜だ。


「ブレイヴアイズ、出遅れたんじゃないですかね」


 バルカイトが呟くのに、ドルドは低く呻った。


 臆病なブレイヴアイズが取れる戦法は、スタートで飛び出し、他の竜を寄せ付けないまま逃げ切るもの。短距離かどうか以前に、逃げなければ話にならない。


「五年のブランクは、やっぱり埋まらないですよ。ライダーにレース勘がないからスタートを決められない」


 バルカイトは吐き捨てるように言った。


 先手を奪えなかった灰青色の竜は最後方だ。前にいる竜たちは牙をき首を上げ下げし、先頭を奪い合う。乗るライダーたちも激しく手を動かしている。


 ブレイヴアイズだけが静止していた。グレンも微動だにせず、前を飛ぶ竜たちを真っ直ぐ見据みすえている。


 そのうち、先頭争いに決着がついて、順番の入れ替わりが落ち着いた。レースは前半の六キロメートルを過ぎ、大きなカーブへ差し掛かる。カーブを曲がりきれば、ゴールまでは直線だ。


 最後の直線を抜け出しやすい位置で迎えるため、各ライダーの手が動き始める。グレンの手も動き、ブレイヴアイズは前方の竜たちとの距離を詰めた。その間隔は五メートルもない。


「なにやってるんだ。あれじゃあ、臆病なブレイヴアイズは飛ぶ気をなくしてしまう」


 バルカイトは首を横に振り、溜め息混じりに呟いた。もう諦めた方がいい、と暗に含ませている。


 ドルドは、じっとスクリーンを見つめていた。


「……面白い」


 厳めしい面が、ひっそり呟く。


「まだ、勝負はわからないぞ」


 ドルドがあごで指し示すのに、バルカイトの視線がスクリーンへ向いた。そして、口を開けて目を丸くする。


 ブレイヴアイズと、その前の竜とは既に一メートルほどの距離しかない。ところが、ブレイヴアイズの姿勢は乱れず、綺麗なフォームのまま飛行している。怯える様子もない。


「なにが起こってるんだ……?」


 バルカイトは目をしばたたかせながら、幻でも見えたかのような顔色だ。


「さぁ、ワシにもさっぱりだが……」


 ドルドは言いながら首を巡らせた。見知った竜舎りゅうしゃスタッフが拳を握り締め、食い入るようにスクリーンを見上げているのを発見し近づく。


「おまえはブレイヴアイズの担当だったな?」


 余程、真剣に見入っていたのだろう。ドルドに話しかけられ驚いた竜舎りゅうしゃスタッフは、ひゃあ、と悲鳴をあげた。


 周囲の目が向く。ドルドが片眉を上げ、ばつが悪いような表情をすると、竜舎りゅうしゃスタッフは佇まいを直して深く一礼した。


「お、オーナー! お世話になっております!」


「そんな挨拶は、どうでもいい。あれは、どうなっている?」


 ドルドがスクリーンを示すのに、竜舎りゅうしゃスタッフは合点がいって頷いた。彼は自慢げに笑むと、握り締めていた手をドルドへ差し出す。


「これです」


 竜舎りゅうしゃスタッフの掌にあったものは、ブレイヴアイズが被っていた聴覚保護のマスクだった。


 ドルドは目を見開き、スクリーンへ視線を戻す。確かに、灰青色の竜は顔を全て露出している。


 益々、訳の分からない状況だった。


「大丈夫なのか?」


 困惑を滲ませたドルドが目を向け問えば、竜舎りゅうしゃスタッフは自信たっぷりに頷く。


「はい! やっぱり、すごいですよ、クリンガーさんは。あの人は天才です」


 竜舎りゅうしゃスタッフはスクリーンを期待の眼差しで見つめた。彼の目に不安はなく、信頼が満ち溢れていた。


 ドルドも、再び視線を向ける。天才と呼ばれる理由、その答えを探すように。


 レースは、ちょうど最後の直線へ向くところだった。

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