パシーブ・ディバイン・ドラゴン 3
翌日の早朝。グレンはドルドの言う
竜乗りの準備を済ませ、調教場で待つ。失敗できないという状況や、依頼すると聞いてバルカイトが驚いたのが心に引っかかっていたものの、グレンの胸中を満たしていたのは不安や緊張より興味であった。
グレンにとっては、竜に乗れることが何よりも喜びなのだ。
「クリンガーさん」
呼びかけられ振り向くと、
マスクを被った
「こいつが、今度乗ってもらうブレイヴアイズです。臆病な性格なんで、他の竜に驚かないよう聴覚保護のマスクつけてます」
竜も人と同じように性格は様々で、ゴルトのように人懐っこいのもいれば、ジュピターのように気難しいのもいる。ブレイヴアイズは、物音にも敏感になってしまうくらい臆病なのだろう。
竜に耳らしいものはない。目の後ろにある笠のようなものに、集音機能があるとされている。聴覚保護のマスクはそれを覆い、音を聞こえにくくすることで不安感を和らげ、レースに集中させる効果がある。
グレンは竜を驚かせないよう、足音に注意して静かに近づいた。
「ブレイヴアイズ、よろしくな」
言って、竜の前に掌を差し出す。ブレイヴアイズは顔を空へ向け、宙でひくひくと鼻を動かした。徐々に顔を下げていきグレンの掌へ到達すると、ふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
これはグレンにとっての挨拶だ。初めて竜に乗ったときから変わらない、仲良くなるための儀式だった。
竜は鼻が利く生き物で、人を見分け判断するのに匂いも頼りにする。だから初対面では匂いを覚えてもらい、レースで乗るときに不安を与えないよう心がける。全て、竜乗りの師であるジェルトから教わった知識だ。
匂いを嗅いで、ブレイヴアイズは挨拶を返すかのように、グワァと鳴いた。
グレンが竜の喉元を手でさすってやると、彼は気持ち良さそうに口を開ける。マスク越しでも、だらしのない表情をしているのだと分かった。グレンは口元を
「すごい。あまり人に懐かない竜なのに」
「あのオルニエスさんが乗ってもグレードレースで勝てなかったのに、オーナーが別のライダーにするって言って不安だったんですけど…………やっぱりすごい人なんですね、クリンガーさん」
ジュピターの勝ち方が鮮烈だったとはいえ、グレンの評価が急に上がることはない。むしろ、ジュピターが鮮烈であるほど、竜の実力で勝たせてもらったという印象がついてしまう。目の前の彼のように、グレンの復帰について懐疑的なドラゴンレース関係者がほとんどのはずだ。もちろん、ドルドも同じなのだろう。
彼らにグレンの復帰を強く認識してもらうには、やはり勝利しかない。ジュピターのような鮮烈さはなく、負けが続いている竜であるならば、より効果的だ。
しかし、これは難題だ。トップライダーであるバルカイトが乗っても勝てない竜を、勝たせろとは。ライダーの評判を上げるには、これ以上ない竜ではあるが、どんな乗り方をしても勝てないから負け続けている訳で。
悩んでも仕方ない。グレンには、乗る他に選択肢はないのだ。
「調教は、これからだったな?」
「はい。レース前なんで、軽く飛んでやってください。ああ、他の竜とは離れてくださいね、気配だけでも怖くて驚いちゃうんで」
「わかった」
グレンは
乗って瞬時に、背中の感触の良さが伝わってきた。姿勢も均整が取れている。さすが、ドルドが素質を見込んだ竜だ。グレードレースを勝つ実力はあるように思う。
グレンは竜の腹を軽く蹴って、手綱を引いた。竜の首が上を向き、軽やかに飛び上がる。体の動きも、指示への順応も悪くない。
これでも勝てないというのは、やはり。
調教場の上空を飛行していると、他の竜が近くを通り過ぎていった。その途端、ブレイヴアイズは怯え、首は曲がり、惚れ惚れする姿勢は一気に崩れ、じたばたと空中を泳いだ。飛行速度は目に見えて落ち、他の竜が邪魔そうに追い抜かしていく。
半径五メートルが限度だろうか、臆病すぎて他の竜が近づくだけで戦意を喪失してしまう。調教で怯えてしまうのだから、激しいぶつかり合いもあるレースでは恐怖しかないだろう。他とは格が違うグレードレースでは、尚更だ。いくら素質があっても、他の竜と競えないのでは勝負にならない。
ドルドは、この竜で勝てというのか。バルカイトが驚いた意味を、グレンはようやく知った。臆病なせいで、名手でさえ勝てないと思ったのだ。
グレンは怯えるブレイヴアイズをなだめて、なんとか
「こいつ、臆病ですよね。歳を重ねて、臆病な性格も酷くなっていっちゃって。他の竜を恐がるから、最初から前を飛んで逃げ続ける戦法しかできなくなって、結局、最後はスタミナ切れで抜かされちゃって……」
臆病なブレイヴアイズが実行できる戦法は、第一に他の竜から離れることが重要になる。
左右へ離れて進むのは、コーナーでの曲がり幅が大きくなりコースロスに繋がるからできない。上や下へ離れるのもコースロスだ。群れの後ろを飛んで、いざ追い抜かそうとしても、近づくことさえできないのだから群れを突破するのは難しい。追い抜かすのに大回りしても、それもコースロスだ。
スタートと同時に飛び抜け、後続を大きく離して最短距離を進み、そのまま逃げ切る。勝つ可能性は、それにしかない。
だが、それは実力差のある強者の戦い方だ。一般のレースならともかく、実力伯仲のグレードレースでは自爆ものだろう。
「きっと、こいつは強いんです。デビューの
調教師が
大切な家族を預かるのだ。勝てる、勝てないの問題でない。日々、世話をする
グレンは
「こいつの強さを俺も信じる。できる限りのことをする」
力強く言えば、
グレンはブレイヴアイズとも向き合い、頭に手を置く。竜は驚いてビクリと体を跳ねさせたが、鼻をひくひくさせて匂いを探るなり安心して頬を擦り寄せてきた。匂いを覚えさせておいてよかった。
いや、匂い。グレンの眉が
灰青色の竜と、初めて挨拶したときの様子を思い浮かべる。彼はすぐにグレンの掌へ鼻を近づけるでなく、まず空へ鼻を向けていた。思い返してみれば、それに違和感があった。
グレンは考え込みながら、ブレイヴアイズの周りを歩く。体の至る所を観察していく。四肢、腹、尻尾、翼、背中、首、頭、顔。何かを掴みかけている気がして、グレンは竜の目の前をゆっくりと往復した。
ブレイヴアイズはグレンを見ない。真っ直ぐ、前方だけを見据えている。
「おまえ、もしかして」
グレンは閃き、思わず手を叩きそうになった。しかし、竜を怯えさせてしまうので我慢し、隠せない驚愕は天を仰いでごまかす。
「なあ、こいつのデビュー戦は圧勝だったんだよな? どんな戦い方だった?」
「え? 確か、三番手くらいで折り合って、残り一キロメートルでスパートして突き放した感じですかね」
「臆病な性格が酷くなったのは、いつ頃からだ?」
「元々、ボーッとして大人しい子だったんですけど、酷くなったのは四歳の終わりくらいからです。僕にもビックリするようになっちゃって苦労したんですよ」
当時を思い出したのだろう、
「原因に心当たりは? 大きな怪我とか」
「ないです! 僕は竜舎スタッフとしての経験は浅いですけど、大切に育ててますからね。レースでも大事に乗ってもらってますし」
「そうか」
彼の両肩を、グレンはがしりと掴んだ。勢いに引き気味の視線が見返してくる。
「次のレース、楽しみにしててくれ」
グレンは余裕の顔で、口の片端をつり上げた。
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