パシーブ・ディバイン・ドラゴン 5
前を飛ぶ竜と接近しても、ブレイヴアイズから闘志が伝わってくる。グレンは
初めて乗った日、ブレイヴアイズの臆病という性格についてグレンは疑問を抱いた。矛盾だらけであったのだ。
まず、ブレイヴアイズの臆病は歳を重ねると共に酷くなっていったこと。竜の性格は人と同じで、何か大きな出来事でもない限り変わらない。担当の
調教後、ブレイヴアイズと向き合った状態で頭に手を置いたとき。グレンは気を遣い手をゆっくり持ち上げ置いたつもりが、彼は予想外の行動であったような反応で、とても驚いていた。グレンが視界に入る位置にいて、向き合い、静かに動いたにも関わらず。
ブレイヴアイズの周りを歩いてみて、グレンは気づいた。本当に臆病な竜であるならば、不可解な行動を始めたグレンを注視し警戒するだろう。ところが、ブレイヴアイズの目は正面を向いたまま、グレンを追うことはなかった。それどころか、よくよく見つめれば目が合うことがなかったのだ。
思い至ったのは、ブレイヴアイズは目が見えていないのでは、ということ。
竜は視覚に頼らない生き物だ。目より鼻が利き、鼻よりも耳が優れている。視覚を失ったところで、嗅覚と聴覚で補えば生きていくのに困らない。経験の浅い
しかし、ドラゴンレースでは話が別だ。闘争心を持った竜が近づく気配は、頼らないとはいえ視覚がないハンデを背負っていては、さぞ怖かっただろう。それに加えて、聴覚保護のマスクを被せられ、音を頼りにすることもできなくなった。飛べなくなるほどの恐怖に襲われたのは想像に難くない。
竜たちの前を飛び続ける戦法も、ブレイヴアイズには苦痛だった。見えない視界、背後から迫り来る闘争心。それらを感じながら飛行するのは、精神的に削られ、体力を蝕んでいくものだったろう。本来、その戦法は、闘争心に溢れ他より前へ出たがる竜が取るものだ。ブレイヴアイズ自体、闘争心を剥き出す勝ち気な性格ではないから、元から合っている策といえない。
では、ブレイヴアイズを勝たせる戦法とは何か。
他の竜の横を飛行するのはどうか。それはやはり、カーブで他より多く距離を飛ぶことになりコースロスとなってしまう。では、上下。それも違うだろう。大抵の生物は頭が弱点であり、頭上の存在は恐怖に繋がる。柔らかい腹も弱点といえるから、真下の存在も嫌がるだろう。
グレンが考え抜いた正解は、群れのすぐ後ろを飛行することだった。竜たちの闘争心は前を向いているのだから後ろのブレイヴアイズに迫る感じはないし、追われて飛ぶのと前方に目標を置いて飛ぶのとでは精神的な楽さに違いがある。
グレンは手綱さばきにも気を遣った。スタートから無理に押すようなことはせず、ブレイヴアイズの様子を見ながら、気分良く飛行できる位置を探った。
強引なことは何一つしない。少しでも嫌がる素振りをすれば止め、ブレイヴアイズが前へ集中するよう仕向けた。
そうして安心させ信頼関係を築いた結果が、彼が久しく思い出せなかった闘志となって手綱を伝い、グレンを奮い立たせている。
レースは終盤。カーブを曲がりきれば最後の直線となる。スピード自慢の猛者たちがラストスパートを仕掛けるだろう。
「ブレイヴアイズ、おまえは強い。自信を持て、きっと勝てる」
グレンの声に応え、
ブレイヴアイズ。勇敢な目という意味で名付けられた彼の瞳には、何も映っていない。ただ暗い世界が広がるばかり。理解されず、勝てなくなった彼は臆病という不名誉なレッテルを貼られた。勇敢が含まれた名は、皮肉なものになってしまった。
けれど、今、その瞳には勇気が光り輝いている。ブレイヴアイズ、勇敢な目。暗闇という恐怖に
取り戻そう。その名はきっと、灰青色の竜にとって誇りとなるものだから。
「行くぞ!」
グレンは手綱を引く力を緩めた。抑えのなくなったブレイヴアイズは、ぐっと首を沈め加速する。灰青色の竜は、恐怖も構わず集団の下へ潜り込んだ。グレンは彼の行く気に任せ、他の竜と衝突しないようにだけ心がける。
一頭、また一頭と追い抜かしていく。短距離とはいえ通常よりペースが速かった分、スタミナ切れで失速する竜が多い。後方待機が決まりやすい展開の助けもあって、残り五百メートルを切る頃にはブレイヴアイズが先頭の竜へ並びかけていた。
先頭の竜に乗るライダーが灰青色の竜に気づき、手綱を横へ引く。竜同士の距離が縮まっていく。相手ライダーは敵をよく研究するタイプなのだろう、ブレイヴアイズが臆病な竜と知っていて、弱点を突こうと、体を併せ競り合おうと判断したのだ。
それは正しい。本当に臆病な竜を相手にするなら、だが。
ブレイヴアイズは、接近してきた竜を睨みつけた。見えない眼に、勇敢な光を映して。
相手の竜は表情を引きつらせ、首を折り畳むようにして丸め、怯んだ。飛行姿勢を崩し、そのまま失速していく。灰青色の竜が堂々と先頭へ抜け出した。
たぶん、ブレイヴアイズと他では力が違いすぎた。元々、ブレイヴアイズの能力はグレード・スリーで収まるレベルでなかった。クラウンレースでも二着になった事実が示すように、順調ならグレード・ワンへも手が届くくらいであったのだ。
観客席から歓声が巻き起こる。グレンは音の影響を心配したが、灰青色の竜は気にする素振りなく飛んでいる。自信を取り戻した今のブレイヴアイズにとって、歓声は勝利への後押しだ。
そのまま、他の竜を突き放してブレイヴアイズはゴールインした。デビュー戦を想起させる、復活の圧勝だった。
手綱を引き速度を落とすよう指示を出して、グレンは竜の首を
旋回しながら降下し、担当の
「ブレイヴ! あっ……」
彼は大声を止めるためか、両手で口を塞いだ。ブレイヴアイズが耳を頼るのに、負担をかけまいと配慮したのだろう。
彼の手の甲を涙が伝っていく。声は我慢できても涙は止まらないようだ。
「ごめんよぉ、おまえの目が見えないって、気づけなくて。これからは、ちゃんと、ちゃんと世話するからぁ」
グレンはヘルメットを脱ぐと、それを脇に抱え、泣きじゃくる彼へ
「確かに、あんたの経験が足りなかったのもあるが、ブレイヴアイズがあんたを気遣って心配させないようにしていたのかもしれない。こいつには、飛ばないっていう選択肢だってあった」
穏やかに言葉を紡げば、彼は、はっとした表情になって灰青色の竜と向き合う。
極力、普段通りに生活し、音や気配に怯えながらも飛び続けた。たぶん、ブレイヴアイズは理解していたのだ。自分が、どれだけ期待されているのか。
ブレイヴアイズは長い舌を出して、
しばらく竜を撫でていた彼だったが、落ち着いた頃、竜から離れ今度はグレンの手を握り深く頭を下げた。
「クリンガーさん、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
涙声で、何度も礼を言われる。全く親しくない他人にそうされたのは久しくなかったことで、グレンは気恥ずかしさで居心地が悪くなる。グレンでいい、と小さな声で返す。
すると彼は、またもや急に気づいたような様子で、さっと顔を上げた。
「あっ、そういえば、名乗ってませんでした。僕、セルナン・ロムマっていいます。これから長い付き合いになりそうですし、よろしくお願いします、グレンさん」
セルナンは、屈託ない笑顔を見せた。涙に濡れたままでも、それは清々しいものだった。
ただの、ライダー。ただの、名も知らない
「ああ、よろしく」
グレンは彼の手を握り返し、笑った。縁の結び方を思い出し、温かな気持ちに包まれていた。
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