リターン・マイホーム 4

 食事は進み、夜も更け、皆が寝る支度を始めた。グレンは酔い潰れて寝てしまったコクを部屋へ運んで、メッシオから借りたジャージを着て外へ出る。


 外出先だろうと鍛錬は欠かせない。ジャージが大きすぎて動きづらいのは、試練だと思って耐えよう。


 グレンが鍛錬を終えて戻ると、家の中は暗くなっていた。皆が寝静まっていると気遣い、忍び足で進む。


 リビングを通り過ぎようとしたところで人の気配を見つけ、グレンは立ち止まってしまった。


 小さな影が、膝を抱いてソファーに座っている。カーテンの隙間から差し込む月光で、寂しげな後ろ姿がおぼろに浮き上がった。


「ジュナ、寝ないのか?」


 近寄って、後ろ姿へ問いかける。彼女は振り返るでもなく、んー、と気の抜けた返答をした。


「あんまり眠くなくて。久しぶりに帰ったから、楽しくて気分上がってるのかも」


 ジュナはそう言うが、雰囲気はけして明るいものでない。


 彼女を放っておくことができず、グレンは隣に座った。視線を向けるのが、はばかられて、ただ座りカーテンを眺めているだけだが。


 何を言ってやればいいのか判らない。もしや独りになりたいのかもしれない。けれど、やっぱり彼女を置いていけない。思考は、それを繰り返す。


 ふと、視線を感じて隣を見れば、彼女と目が合った。


「グレン、困った顔してる」


 僅か、ジュナは微笑んだ。それは、優しく、慈悲のある表情だった。


 見とれてしまう。胸の奥で何かが、ことりと動く。


 グレンは顔に苦さを含ませた。なにやってんだ、と、頭を掻く。気を取り直して、ジュナの方へ身体からだを向けた。


「元気、ないな。大丈夫か」


 ジュナの優しい表情が陰った。彼女は視線を逡巡しゅんじゅんさせ、何事かを迷った。


 見守るグレンの前で、彼女は小さく吐息を漏らした。


「……少し、家族のこと、考えてた」


 ぽつり、ぽつりとジュナは言葉を零す。


神竜賞しんりゅうしょうの後も、お父さんと、お母さんね、頑張ったんだ。調教師になりたいって先生の家で住み込んでた私に心配させないで、色んな人に頭を下げて、お願いして。それでやっと、ジュピターが生まれたの。でも、ジュピターの体格って立派すぎるでしょ? 難産になって、母竜ははりゅうのレアーが死んじゃって。レアーの他に子どもを産める竜がいなくて、生産できない竜牧場はお金を返せないから、って借金の取り立てが厳しくなって。結局、二人して娘を巻き込みたくないって、メモに残して出てったんだ。借金の返済は、全て、こちらでやるからって」


 静かな彼女の声を、グレンは黙って聞いた。自分の罪と思いながら。


「しばらくは私がジュピターを育ててたんだけど、それでも借金の取り立てが来ちゃって。竜牧場がなくなるってときに、叔母さんたちが助けてくれたんだ。叔母さんは私を先生のところへ戻して、一人で竜牧場を整備して、ジュピターの面倒を見てくれた。叔父さんはね、お金が稼げるからって長距離トラックの運転手になって、ほとんど離れて暮らしてる。叔母さんのこと、大好きなのに。全部、全部、私のわがままなのに」


 ジュナは顔を伏せ、自身の膝に額を乗せた。震えた声で話す姿が痛々しい。


「産まれたジュピターを見たとき、お父さんは育てられないって言ったの。育てても、誰も買ってくれないって。竜牧場の負担になるだけだから、安楽死させた方がいいって。でも、ジュピターはレアーが命を託して産んだ子だから、私、死なせないでって頼んで。だから、お父さんとお母さん、竜牧場を残すために借金を引き受けて出てったの。叔母さんと叔父さんだって、そう。私のわがままに付き合ってくれてる。私のせい」


「ジュナ」


 グレンはジュナの肩を掴み、身体を向き合わせた。涙に濡れた頬、暗がりで輝きを失ってしまった青い瞳が見つめてくる。


 彼女は、自分を責め続けていたのだ。両親の蒸発が、叔母夫婦の献身が己のための犠牲と思って。長い間、悔いていた。


 史上最年少で調教師となった才女。竜に関しては冷静で、勝ち気で、剛胆で。一人でも、やっていけるだろう強さがあって。


 いいや、何を見ていたのだろう。彼女は強くならなければ、耐えられなかっただけだ。本来の彼女は、人にこびを売れないほど生真面目で、相手の方が悪くても気遣ってしまうほど優しくて、実は涙もろい、二十歳の若者だ。


「全部、俺が悪いんだ。ジュナのせいじゃない、いいか、俺のせいだ。自分を責めるな、俺を責めてくれ。俺にできることなら、なんでもするから」


 グレンの方が泣きそうな顔をしていたかもしれない。胸が締めつけられて呼吸ができない。苦しい。


 たぶん、ジュナは、もっと苦しかった。彼女は本心を、誰に告げられたろう。誰にも言えなかったのではないか。


 頼るべき家族は離れ、迷惑をかけている自覚のある叔母夫婦に甘えられず、師や他の大人に弱みを見せるでもなく。抱え込むしかなかったのだ、一人きりで。


 彼女は、くしゃりと顔を歪める。整った輪郭りんかくを涙が滑り、震えるあごを伝って落ちた。


「じゃあ、今日だけ子ども扱いして。思いきり甘やかして」


 グレンの胸に柔らかなものが飛び込んでくる。細い身体が震えを増す。


 彼女を丁寧に抱き締めた。グレンは慈しみを込めて頭を撫でる。涙が、早く止まるように。


 グレンはジュナの涙が止まるまで、ずっと抱き締めていた。


 やがて彼女が照れて笑って、部屋へ戻ると言い残して去って。まだ泣いている気がして呼び止めようとした声は、喉奥で引っかかって出ることはなかった。


 彼女に悲しい想いをさせた自分に、何ができるだろう。その問いがグレンの思考を埋め尽くしたまま、答えを見つけたのは朝になってからだった。

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