リターン・マイホーム 3

 その夜は豪勢な食事が振る舞われた。


 レイセルダの料理はどれも美味しく、グレンたちの舌を満足させた。ジュナも料理上手であるし、血筋なのかもしれない。酒も用意されており、飲み過ぎたコクは真っ先に酔い潰れていた。


 メッシオは無表情で無言のまま飲み食いしていたが、レイセルダいわく楽しそうであるとのこと。家族しか分からない表情の変化があったのだろう。聞けば、喋るのは年に数回らしい。


 ジュナも嬉しそうに話していた。最近、無理をしていた分、実家へ帰って肩の力が抜けたのだと思う。


 普段、調教師として大人びた印象だが、レイセルダたちと笑う姿は彼女が二十歳の女性と思い出させるほど明るく騒がしく、年相応だった。


 ジュナの本当の笑顔を久しぶりに見た気がして、グレンは心地良い気分だ。彼女には幸せであってほしい。笑っていてほしい。


 嫁に行くのだけは、待ってほしいが。


「さあ、焼きたてだよー!」


 レイセルダがデザートとして用意したのはアップルパイだった。テーブルに置かれた瞬間、リンゴの甘さと、こんがり焼けたパイ生地の香ばしさと、シナモンの香りが辺りに広がる。


「お、やった」


 グレンは破顔はがんして呟いた。隣のジュナが意外そうな視線を送ってくる。


「アップルパイ好きなの? グレンって、甘いもの食べないイメージあったけど」


「アップルパイは別だ。思い出があるんだ」


 レイセルダの切り分ける動作を眺めながら、グレンは温かさが胸を満たしていくのを感じていた。大切にしまってある記憶を手繰り寄せる。


「五年前、怪我が癒えて、ライダーに復帰するためのリハビリを始めたんだが、やっぱり辛くてな。ゴルトはいないし、誰も俺の復帰を望んじゃいない。もう、やめてもいいんじゃないかって何度も思った。そのときに、差し入れでアップルパイをもらったんだ。俺のファンから、って」


 メディアからの批判は止まなかったし、ドラゴンレース関係者からの連絡はなかった。コクも、アウルも突き放してしまって、孤独の中にあった。身体の怪我は治っても、心ではゴルトの死をずっと引きずっていた。


 そんなときに、ファンから差し入れられたアップルパイは最高に美味しかった。味はもちろん、誰かが応援してくれているという事実が無性に嬉しかった。それが今日までグレンを支えたといっても過言ではない。


 自分を元気づけてくれたファンの正体を、グレンは知らなかった。アップルパイは病院でのリハビリ中に警備員が、本当は食べものの差し入れは禁止されているんですけどね、と笑いながら、親切で持ってきてくれたものだった。


「あのときのアップルパイの味は忘れられない。もう一度、食べたくて探したが、どの店の味も違った。店のじゃなくて手作りかもしれない」


 アップルパイの味は、恩人と呼べる優しいファンへと繋がる唯一の手がかりだ。


 そのファンに会いたかった。礼を言いたかった。ライダーとしてグレード・ワンへ挑む、今の姿を見てほしかった。


「ふふ、これが、あんたの思い出の味に近けりゃいいけどね」


 レイセルダがアップルパイを乗せた皿を置く。グレンはテーブル上に身を乗り出して、手づかみでアップルパイを取り、大口を開けた。


 歯が当たったときのサクリとした音と共に、香りが鼻腔びこうを抜け、リンゴの甘味が香ばしい生地と口の中で混ざり合う。酸味が利いていて甘ったるさを覆い、後味さっぱりでしつこくない。


 グレンは驚いた。レイセルダのアップルパイが、探していたものに一番似ていたからだ。


「あのときのアップルパイに似てる」


 むしゃり、むしゃりとかぶりついて、だがグレンは首を捻る。


「……けど……んー、なにか違う。リンゴの感じは、そっくりなんだけどなぁ」


 むしゃり、むしゃり。咀嚼そしゃくしながら、思い出の味と比較した。


 リンゴの風味は似ている。けれど、コンポートの味付けには違和感があった。生地の練り方だろうか、焼き方だろうか、他にも相違を感じる。似てはいるが、別物だろう。


「おや、そうなのかい? リンゴが似ているなら、そのファンも、この辺りのを使ってるかもしれないねぇ。近くに美味しいリンゴ農家さんがいてね、そこで買ってるから」


 レイセルダの話を聞きながらグレンは頷く。ハティアでいくら探しても見つからなかったのだ、その他の地域に可能性があるのは当然か。


「まあ、あたしのより姉さんのが何倍も美味しいから、そっちのが近いかもねぇ。案外、あんたに作ってやったの姉さんだったりしてね!」


 レイセルダは壮快に笑い飛ばす。


 姉さん、とはジュナの母親のことだろう。レイセルダのアップルパイも相当に美味しいが、それよりも美味しいとは興味がある。やはり、そういう血筋なのか。


 そこで、グレンは思いついた。血筋といえば、受け継いでいるかもしれない人物がいるではないか。


 期待を込めてジュナを見る。すると、彼女は不機嫌そうに顔を背けた。


「つ、作らないから」


 ジュナは強く言って、アップルパイをフォークでつつく。


「なぁ、ジュナさん」


「ダメ」


 全く、取り付く島もない。


 何とか交渉を成功させたいグレンだったが、ふと思い直した。グレンにとって思い出であるように、ジュナにとってもアップルパイが母親との思い出なのでは、と。


 だとすると、会えないのに母親を想起させてしまう。無理強いは彼女を傷つけるだけだ。


 グレンは諦めて、レイセルダのアップルパイを頬張った。

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