リターン・マイホーム 2

 グレンは山沿いの道を、愛用のオートバイで走っていた。コクが運転し、ジュナが助手席に座る竜運搬車りゅううんぱんしゃを視界に捉えながら。


 今朝の会話が脳裏に蘇る。


『ジュピターを移動させて、あとは私の仕事だからグレンは来なくてもいいのよ』


『そうだぜ。助手席は一つしかないしな。おまえを乗せるスペースがねーんだよ』


 要するに、お留守番の提案だ。


 確かに、ついていったとしてグレンの仕事は何一つない。せいぜい、ジュピターに遊ばれ彼のストレス発散に付き合うだけだ。まあ、それも大切かもしれないが。


 ジュナの傍にコクがいるのに自分だけがいないという状況が、なんとなく嫌だった。本当に、なんとなく。ほんの少しだけ。


 ジュナはコクが恋愛対象として好むタイプでないし、コクは軽薄そうに見えて真面目な男だが、万が一ということもある。万が一はできる限り排除せねば、彼女を預かる身として、ご両親に申し訳ないではないか。


 ウォーディ竜牧場は、ハティアからブルスタッド山脈を越えた先にある。うねる道のりを注意深く進む竜運搬車りゅううんぱんしゃの後を、グレンのオートバイが追う。


 一体、二人は何を話しているのだろう。聞こえるはずも、見えるはずだってないのにグレンの意識は竜運搬車りゅううんぱんしゃの前方箇所にあった。とても気になる。


 グレンのやきもきする気持ちを余所に、一行は順調に山越えを果たした。道が平坦になり、静かな森へ入り、ある程度走ったところで視界が開ける。


 『ウォーディ竜牧場』という小さくて手作り感満載の看板近くで、竜運搬車りゅううんぱんしゃは曲がった。グレンも進路を曲げる。


 見えてきたのは大きなログハウスと、竜が暮らすためだろう幾つかの屋舎。その脇で竜運搬車りゅううんぱんしゃは停車した。


 ジュナが助手席から降りて、後部の扉を開けた。中から顔を出したジュピターは、眠そうに欠伸する。


「着いたよ、ジュピター」


 ジュナの言葉に応じて、漆黒の竜は鼻を上向け、ふんふんと匂いを嗅いだ。たぶん、土の匂いを覚えているのだろう、彼は、はっと気づき急いで竜運搬車りゅううんぱんしゃを降りた。


「行っていいよ」


 ジュピターの体から装具が外される。途端、彼は喜び勇んだ様子で、竜牧場の上空へ舞い上がった。


 知能が高く、帰巣本能もある竜は放し飼いが多いと聞く。また、ほとんどの竜は、生まれ育った土地を覚えているらしい。


 けれど故郷へ帰れるのは活躍した竜のみで、多くは二度と帰ることはない。ゴルトも帰ることはなかった。それを思うとグレンは切ない気持ちになった。


 グレンはオートバイから降りて、ヘルメットを外す。不意に視線を感じて目を向ければ、ジュナがじっと、こちらを見つめていた。


「なんだ?」


「べ、べつに」


 ジュナは素っ気ない態度で顔を背ける。目を合わせようとしない。様子がおかしい。


 グレンは理由に思い当たった。竜運搬車りゅううんぱんしゃ後部の扉を閉めていたサル顔の男へ振り向く。


「コク! おまえ、ジュナに変なこと言っただろ!」


 口を尖らせ、不満を全面に押し出して抗議する。コクは笑い、聞こえないフリをした。


 ぬううと低くうなるグレンの服を、ジュナが掴んで止める。


「ちょ、グレン! コクさんは、何も」


「じゃあ、なに話してたんだよ」


 思わず強い口調になってしまった。グレンはすぐに後悔して、反射的に謝ろうと口を開いて。


 ジュナの顔面が紅く染まっていくのを目の当たりにして、言葉を詰まらせた。


「お願いだから、あんまり見ないで……」


 彼女は弱々しい声音で呟き、両手で顔を隠す。その反応について何も思い当たらないグレンは、困惑しか生み出せない。


「え、ジュナ、あの、おい」


「もういいでしょ。私、叔母さんに挨拶してくるから」


 追いすがろうとするグレンを突き飛ばして、ジュナはログハウスへ走っていった。グレンはよろめき、倒れそうになるのを堪え、地を足で踏みしめる。


 ジュナは耳まで真っ赤だった。なんだろう、あれは。


「おまえ、顔は良い方なのにモテないって、デリカシーがないせいだと思うんだよなぁ」


 コクが哀れんだ目でグレンを見た。


「え、俺が悪いのか?」


「悪い。すげぇ、悪い。ま、それが、おまえらしくもある」


 コクは勝手に納得して、励ますように片手をグレンの肩へ置いた。


 その達観な態度がグレンの感情を逆撫でする。自身の身体を揺すり、コクの手を肩から振り落とした。


「なんだよ、おまえばっかりジュナのこと、わかってるような感じで」


 疎外感が苛立ちとなってグレンを侵食していく。ウォーディ竜牧場への道中、抱えていた鬱憤うっぷんが噴出する。


 今、ジュナの一番近くにいるのは自分だし、一番彼女のことを考えているのも自分だ。彼女を理解してやりたいと望むのに、上手くできないのに腹が立っている。


 なのに、このサル顔は知ったふうな口振りだ。彼女と何を話したのだ。何を聞いたのだ。自分の知らないことを、知っているというのか。


「グレン、おまえ……」


 コクは目を見張る表情でグレンを見つめた。彼は何かを言いかけて、しかし、顔色を青くする。


「なんだよ」


「いや、おま、うしろ」


 コクが背後を指すのに首を捻りながら、グレンは振り返った。


 作業服。そう、たぶん竜牧場のものだろう、作業服の胸部分が見える。かなり体格が良い。服を着ている状態でも筋肉の盛り上がりが分かる。


 いや、胸?


 グレンは恐々と視線を上げた。大きく顎を上げて、ようやく顔が見える。


 口の周りと顎の先から耳まで、短く切り揃えられた髭が覆い、厳つい表情で射貫くような眼光の大男がこちらを見下ろしていた。


 自動販売機、いいや、それよりも背が高いだろうか。大男は無言のまま突っ立っている。その表情は怒っているようにも、冷静なようにも見受けられる。


 グレンの背中を汗が流れた。


「あの、なにか……」


 頬を引きつらせ、相手を刺激しないよう穏やかに問いかけるグレン。大男は、じっと見下ろして、山のように動かない。まばたきもしない。


 グレンは背中ばかりでなく、額からも汗が伝い落ちるのを感じた。どんなに楽観的に考えても大男は強そうで、もし、手を上げられたとしたら逃げられる気がしない。


「叔父さーん!」


 ログハウスの方からジュナの声が響いた。一同の視線が向く。


「叔父さん、久しぶり!」


 駆け寄ってきたジュナが大男に飛び付いた。彼は微動だにせず受け止める。


「おかえり、ジュナ」


 大男の口から、やっと、声が発せられた。巨体に似合う、低く雄々しい響きだった。


 大きな掌がぬっと出てきて、ジュナの頭をゆっくり撫でた。大男の表情は変わらないが、その手つきは優しい。ジュナは気恥ずかしそうにしながらも、口元を綻ばせる。


「ああ、あんた! こんなところに」


 ログハウスの方から走り寄って来た影があった。ダークブロンドの髪を結い上げ、青いオーバーオールに橙色の半袖シャツ、使い込まれたスニーカー、それからエプロンを身に付けた恰幅かっぷくの良い女性だ。


 彼女はグレンたちの目前で止まって、快活な笑顔を見せる。髪色もそうだが輪郭りんかくも、なんとなく、ジュナに似た面影があった。


「よく来たねぇ! あたしはジュナの叔母、レイセルダ・ラスクームだよ。そっちのデカいのが夫のメッシオ」


 レイセルダの言葉を受けて、メッシオが会釈した。グレンとコクも慌てて頭を下げる。


 とりあえず身に危険はなさそうで、ほうと息を吐いた。


「これから戻るにも遅いし、みんな、泊まってくだろ? 久しぶりにジュナが帰ってきたし、今夜は腕の見せどころだね! あんたも手伝っておくれ!」


 レイセルダは意気込んでログハウスへ戻っていく。呼ばれたメッシオは、ジュナの背中を軽く叩いて身体からだを離し、のっそりのっそり歩んでついていった。


「あ、オレも手伝います!」


 コクも後を追う。彼は、どうしてか、こちらにウインクを投げて寄越していった。その意図は計れない。


 だいぶ陽が傾いて、景色が橙色に染まってきた。今から出立しても暗い中で山道を走ることになるだろうから、レイセルダの言う通り泊まるのが安全だ。幸い、本日中に帰りたい理由もない。


 グレンは夕陽に照らされる牧地を眺める。辺りに他の民家はなく、木などの遮蔽物しゃへいぶつもなく、空がとても広く見える。竜を育てるには最良の環境だ。


 家族経営の小さな竜牧場といっても、敷地は充分に広大だ。人手が足りないだろうに、草は短く刈り揃えられ、柵などの設備も何一つ壊れたところがない。隅々まで管理されている証拠だろう。


「良い所でしょ?」


 ジュナが隣に並んで、同じように牧地を見つめた。彼女の横顔は誇らしげだ。


「ああ」


 グレンは頷く。


「ここに、ゴルトを帰してやりたかったな」


 唇が紡いだのは、言い様のない悲しさだった。


 上空で黄金色が見えた気がして、グレンは顔を向ける。そこには沈みゆく陽に照らされる、陰った空があるだけだ。


 漆黒の竜が飛んでいる。彼は楽しそうに遊んでいた。ゴルトも、いつかは飛んでいた空だ。黄金色の竜は、二度と、飛ぶことはないけれど。


「グレン……」


「俺たちも行こう。腹が減ってきた」


 ジュナが切なげな瞳を向けてくるのに、グレンは笑ってみせる。ジュナの背をそっと押し、二人でログハウスへ足を向けた。

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