第七話 リターン・マイホーム

リターン・マイホーム 1

 次戦をルーキーイヤーステークスに設定したジュピターは、一旦、ウォーディ竜牧場へ帰ることになった。体調を万全にするための休養と、秘策の特訓を行うためだ。


 その秘策とやらを、グレンは、まだ聞いていない。レースが近づくまで、できるだけ秘密にしておきたい。それがジュナからの要望だった。


 信頼できる陣営の指揮官が言うならば、ライダーに異論はない。グレンは彼女の要望を受け入れた。


「ウォーディ竜牧場は、まだ、あるのか?」


 ハティア・レース場の竜舎りゅうしゃ区画をジュナと並び歩いていたグレンは、思ったままを言った後で後悔した。


 彼女にとって大切であろう場所を、あるのか、だなんて無神経だった。


 グレンの心配を余所よそに、ジュナは気にしていないように頷く。


「ええ、辛うじてね。借金で取られそうになったんだけど、叔母夫婦が協力してくれたのと、マリーさんがジュピターを買ってくれたから、その資金で残すことができたの。ちゃんと手入れもしてあるし、良い所よ」


 ジュナは明るく機嫌良く言う。それが無理をしているように見えて、グレンは眉をひそめそうになる。


 カラの話を聞いて以来、ジュナは努めて元気に振る舞っているようだった。


 笑っていても、ふとした瞬間に暗い影が差し込むのをグレンは見逃さない。かといって、かけてやれる言葉はなく、行動で気遣う方法も判らず日々を過ごしている。


 休養が必要なのは、たぶん、ジュピターよりジュナの方なのだ。だからウォーディ竜牧場へ帰るというのは、彼女にとっても意味のあることだろう。


「先生、竜運搬車りゅううんぱんしゃ、貸してくれるかな」


 ジュナが前方を見据えながら呟く。


 竜運搬車りゅううんぱんしゃとは、その名の通り、竜を運ぶための大型トラックである。


 基本、竜の飛行には国の許可が必要だ。レース場や調教場、観光地などでは団体ごとに申請済みとなっており、その団体に所属してさえすればいつでも飛行できる。しかし、それは、あくまでその場所限定のものであり、他の地域では別途申請が必要となる。


 竜は何万頭もいるので、それらが移動する度に申請したのでは間に合わず、よって竜運搬車りゅううんぱんしゃで陸路を移動するのが一般的だった。


「鬼のルクソールもジュナには甘いからな。貸してくれるだろ」


「鬼って……先生は、竜に真剣なだけよ」


「おまえ、本気で怒ったヴァリ先生を知らないな? いいか、頭にツノが見えるんだぞ」


「ふふ、なに、それ」


 二人で話しながら、時折、笑い声が混ざる。


 最近、グレンは冗談っぽいものを、よく言うようになった。これまで全く言わなかったでもないが、饒舌じょうぜつに言える器用さはない。もちろん、今でも苦手意識しかない。


 けれど、彼女が笑ってくれるなら。笑顔を見られるなら。格好つかなくても、時々は努力してみるべきだとグレンは思っていた。


 ヴァリ竜舎りゅうしゃは、ウォーディ竜舎りゅうしゃから遠くない。そもそも同じ区画であるので、話しているとあっという間に着く。


 隣にいたジュナが駆け出して、事務所の扉を叩いた。その後ろ姿を見つめながら、グレンは寂しいような心持ちになっていた。竜舎りゅうしゃ区画が、もっと広ければいいのに。


 ジュナの呼びかけにルクソールは、すぐに顔を出した。事情を聞いて頷いている。このまま難なく終えられると思いきや、ルクソールは急に渋い表情になった。


竜運搬車りゅううんぱんしゃは貸せるけど、今、運転手がいないんだよ」


 聞いて、ジュナは落胆する。


 竜運搬車りゅううんぱんしゃを運転するためには、そのためだけの特殊免許が要る。大型トラック操縦技術と、竜に関する知識が必須だからだ。免許取得が難しいゆえか運転手の数は少なく、運搬業者のみならず個人が複数の竜舎りゅうしゃと取引をするのも珍しくない。


 現在、ドラゴンレースは夏シーズンである。ビッグレースは春と秋冬に集中しており、夏は休養にてる竜が多い。つまり、竜の移動真っ盛りの季節なのだ。


 ルクソールが懇意こんいにしている運転手も多忙らしく、親交の深い竜舎りゅうしゃからのみ運搬を受注している状況のようだ。


「他に心当たりがあるにはあるが、今の時期、どこも厳しいんじゃないかい」


「うーん、どうしよう……」


 ジュナが困り顔で呻る。ここは手助けが必要な場面だ。グレンはジュナに近づくと、肩に手を置いた。


「俺にも心当たりがある。近くにいると思うから待っててくれ」


 できるだけ頼もしくなるよう、表情を引き締めて言う。


 気の抜けた顔をするジュナに頷いてみせて、グレンは携帯電話を取り出した。番号が変わってなければいいのだが。


 望み通り呼び出し音が鳴る。それと同時に、ほど近くから着信音が鳴り響いた。グレンは、ほくそ笑む。やはり近くにいた。


『なんだ、珍しいじゃねーか。どうした?』


 電話越しから、屋舎の陰から馴染みのある声がする。


「今、ヴァリ先生のところだ」


『奇遇だな、オレも行くところだ。先生には世話になってっからな、挨拶しとかねーと』


「早く来いよ」


 グレンは通話を切り、携帯電話をしまった。


 相手は、間もなく現れた。彼は派手な色彩の半袖シャツを着て、攻撃的なデザインでガラの悪いジャージを穿いている。スニーカーは、どぎつい紫だ。相変わらずの小悪党っぷりである。


「おいおい、一方的に電話を切んじゃねーよ。心配になるだろうが」


 コクは携帯電話を片手に文句を言う。小悪党ぽい服を好むくせに、言動は良い人を隠せない。


 グレンは満面の笑顔で彼の元へ歩み寄った。コクの頬が引きつる。


「会いたかったよ、コク」


「いやいやいや、おまえの、その顔! 嫌な思い出しかねーんだけど!?」


「まあまあ」


 グレンは逃げようとするコクをがしりと掴み、強引に、ジュナの元へと連行する。


「お待たせ、運転手だ」


 グレンは誇らしく親指を立ててみせた。ジュナは驚き、ルクソールは納得して頷き、コクは不安たっぷりに眉根を寄せる。


「ああ、そういや、おまえも特殊免許持ちだったかい」


「え、竜運搬車りゅううんぱんしゃのですか? 一応、まだ持ってますけど……」


 コクは一同の顔を順繰りに眺めた。


「これは、どういう状況で……?」


 不安がるコクに、グレンは問題ないと頷いてみせた。だから、その顔! と、コクの叫びが飛ぶ。


「ヴァリ先生、こいつ、暇ですよね?」


「ああ、暇だね、持っていきな」


 グレンとルクソールの間で合意が成立した。


 彼を掴んだまま、引きずるようにして連行していく。ジュナは師に礼を言って、後をついてきた。


「いや、先生! オレ、調教とか乗る予定なんすけど! ちょっと! 先生!」


 コクが助けを求めて呼びかける。


 ルクソールは諦めろと言わんばかりに首を横へ振り、そっと、無慈悲に、事務所の扉を閉めた。

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