エイブル・リポーター 4
ジュナの顔色が変わる。
「かかかかかかか、カラ・ポピーさん! 初めまして!」
ジュナは片言で喋り、
無理もない。彼女はジュナにとって憧れの人である。
「ジュピターのデビューから応援していました。二勝目、おめでとうございます。どうしても知り合いたくて、ヴァリ先生にお願いしたんです」
「ドラゴンウォッチャーの記者なら付き合って損はない。仲良くしときな」
ジュナは、ひたすらに頷いている。彼女が首を痛めやしないか、グレンは少し心配になった。
カラの視線がホワイトボードに気づく。彼女の眼光が、輝きを増した。
「次は、やはり、ルーキーイヤーステークスですか」
カラは柔らかな表情ながらも、声には敏腕記者らしい
彼女が情報を引き出そうとしている気配に、グレンは勘づく。油断ならない。ジュナが浮かれている以上、自分が守らなくては。
「はい! ジュピターなら勝負になると思ってます!」
「なるほど。そのあたり、取材してもよろしいですか?」
カラが小ぶりのショルダーバッグから、手帳とペンと取り出した。ジュナが頷きかけているのを察してグレンが前へ出る。
「すまない、それは今度にしてくれ」
「ちょっと、グレン!」
背中に、ジュナの抗議する視線が刺さるのを感じた。後で殴られてもいい覚悟で、それを抑え込む。
ジュナについて書いてほしくなかった。五年前、ウォーディ竜牧場を批判し、苦しめたメディアになど。
ジュナにとって、どんなに憧れの人であろうが、カラは記者だ。メディアに与するものは信用できない。グレンは疑心の目でカラを睨む。
「さすがに教えていただけませんね。では、またの機会に」
カラは優しげな表情を変えず、納得して頷いた。彼女自身、成功率は低いと予想していたのだろう。大人しく引き下がってくれた。
あまりに潔い態度に、睨んでいたグレンは毒気を抜かれる。名も知らない三流ゴシップ誌の記者なら、断ってもしつこく食い下がっただろう。実際、その洗礼を浴びせられたグレンには分かる。
ところが、カラには浅ましい空気が少しもない。相手を尊重し、嫌がることはしないという心意気まで伝わってくる。これが一流の記者たる振る舞いか。
他のメディア関係者には見当たらない誇りを感じ、グレンはカラの印象を良い方へと書き換えた。
「用は済んだね。私は帰るよ」
話が落ち着いたと見るや、ルクソールは扉へ向かって歩き出した。
「あっ、ルーちゃん、久しぶりだから、お茶しましょ」
夫人が後を追いかける。ルクソールは振り返り、仕方ないというような顔をして、連れだって出て行った。鬼のルクソールを丸め込むだなんて。やはり、夫人が最強なのか。
しかし、カラだけは事務所を出ず、その場に留まっている。彼女の表情に、先ほどは
「ウォーディ先生、クリンガーさん。取材とは別で、お話できませんか」
優しげな雰囲気が消え、強張った真剣さが覆う。緊張感が滲むカラの顔は、敏腕記者の余裕ある態度から程遠い。
答えかねてグレンがジュナへ視線を向けると、ちょうど彼女も目を合わせてきた。どうすべきか、青い瞳が迷っている。
楽しい話題でないのは、確かだろう。けれど、放っておくのも嫌な気がする。
考えた末、グレンはジュナに頷いてみせた。聞いてみようと促して。ジュナも同意を含ませて頷き返した。
カラに着席を勧め、彼女と事務机を挟んで向き合う形で、グレンとジュナもパイプ椅子に落ち着く。
「で、何の話だ?」
グレンが問いかけると、カラはゆっくり深呼吸した。やがて、覚悟を決めたような強い瞳が、待ち構える二人を捉えた。
「先日、ユニバーサルアーティクル社を訪れた者がいました。記者は儲からない、と言い残して退職した同期の記者です。私は偶然、彼が廊下で上司と言い争う声を聞きました。五年前の記事を書いてやったんだ、金をもっとよこせ……そう、言っていました」
五年前の記事。グレンの心臓が跳ねる。胃が収縮する。
「当時、私もドラゴンウォッチャーの記者でしたが、ずっと違和感を抱いていました。竜の接触事故は珍しくない、よくあること。国民的人気の竜が死んだから、ドラゴンレースの祭典である
グレンの心音が、カラの声を聞き取りづらくするほどの大音量で鳴っていた。吐き気を、眉をひそめることで我慢する。
「同期の記者は、書いてやった、と言いました。調べてみると、確かに彼は五年前、クリンガーさんを痛烈に批判する記事を書いていました。記者として、あってはならないことですが……」
カラの言葉が途切れる。彼女はグレンを見て、ジュナを見て、自身に問いかけるみたいに目を瞑った。
少しの沈黙。ややあって、彼女は
「誰かが同期の記者に金銭を渡し、批判する記事を書くよう依頼したのだと思います。おそらくは、クリンガーさんを陥れるために」
グレンは後頭部を殴られたような目眩に襲われた。心臓が跳ねすぎて胸が痛い。いや、本当に痛いのは心なのかもしれない。
「確証のある話ではありません。ですが、言い争っていた上司は慌てて周りを確認し、彼を室内へ案内しました。全くの見当違いでもないでしょう」
カラは、一旦、深く呼吸した。
すると突然、彼女は頭を下げる。事務机に両手を添え、まるで土下座をしているみたいだった。
「一連の報道について、私に調べさせてもらえないでしょうか」
カラは頭を下げたまま、叫ぶように言う。
彼女に何か応えなくてはならない。グレンは胸が痛むのを堪え、口を開いた。
「どうして、あんたが?」
グレンが問いかけても、カラは顔を上げない。それは、まるで謝罪のようだった。
「同期と言い争っていた上司は、無関係ではないでしょう。もしかしたら、社の上層部も関わっているかもしれません。私はユニバーサルアーティクル社の記者です。ドラゴンウォッチャーに憧れて入社し、先輩方から誇りを受け継いだつもりです。金で記事を書くなんて、ありえない。我が社の責任は、我々が負うべきです……!」
熱が
グレンがライダーに憧れたように、カラにとっての夢はドラゴンウォッチャーの記者だった。記者という仕事に誇りを持っていることは、彼女の態度からひしひしと伝わってくる。
もし、それが誰かの密謀で汚されたとしたら。おそらく、居ても立っても居られない心持ちだったのでは。
カラの情熱を知って尚、グレンは答えに迷う。苦しんだ五年間の記憶が脳裏を過ぎった。
事故で負った怪我を治し、リハビリを乗り越え、ライダーとして復帰するまで二年かかった。また竜に乗ることだけを考えていた。鍛練を積み、竜乗りの腕を上げ、もう相棒を死なせない。自分にできることは、それしかないと思っていた。
ところが、ドラゴンレースにグレンの居場所はなくなっていた。顔見知りであったオーナーも調教師も
竜の接触により怪我を負い休養するのは、ライダーにとって珍しくない。大事故による長期休養だった場合でも、いきなり依頼がなくなるような事態にはならない。
今になって思案すれば、不自然なことは多かった。何者かの意図が働いていたかもしれない可能性は、完全に捨てきれないのだ。
それでも。
「調査を、よろしくお願いします」
迷うグレンの隣からやってきた、ジュナの冷たい声音が耳を打った。
カラが驚いた顔を上げる。冷然さが含まれたそれは普段になく、グレンも目を見開いて顔を向けた。
「過熱する報道のせいで、ウォーディ竜牧場は経営難に陥りました。そのときの借金で、両親は蒸発しました。もし、誰かの策略があったのなら許せません。父も、母も、竜が好きで、一生懸命に働いていたのに」
ジュナの青い瞳から幾粒もの雫が流れ出る。
再会してから今まで、ジュナは両親についての話をしなかった。彼女が元気でいるのだから、彼女の両親もきっと元気でやっていると期待して、しかし、グレンは
怖かったのだ、無事か、どうかを知るのが。謝って済む話でないから。どのように償えばいいのか判らないから。
グレンの手が
彼女に触れられるものか。何を言えるのだ。全ての発端である自分が。
「今日は話してくれて、ありがとうございました。すみません、ちょっと顔を洗ってきます」
彼女は涙を流したまま笑い、明るく早口で言って走り出す。乱雑に扉が開閉する音が響いた。
グレンは静止していた手を拳にして、自身の膝へ打ちつける。彼女の痛々しい泣き顔が、まだ視界に留まっている。それをどうにかしてやりたいのに、何もできず、自分が腹立たしい。
「クリンガーさんは、どう思いますか」
カラが、ひっそりと問いかけてきた。彼女は沈痛な面持ちを浮かべている。
「俺に決定権はないよ。ジュナが望んでるなら、調査してほしい」
「わかりました」
カラは頷いた。
彼女は天井を見て、肩が上下するほど大きく呼吸する。それから再度、グレンに顔を向けたとき、彼女の表情から沈痛さは消え、強さと自信が舞い戻っていた。
それは、真実を追究する敏腕記者の顔だった。
「では何か進展があれば、その都度、ご報告します」
カラは立ち上がり、一礼する。そのまま退室するのかと思いきや、彼女はグレンの顔を見て迷いを滲ませた。
「……何か?」
「あの、
グレンの胸が、また、ずきりと痛む。過去に引きずり込まれそうになるのを堪え、首を横に振った。
「まだ、思い出せない。思い出したくないのかもな」
グレンは肩を
外傷によるものか、心理的なものなのか、事故当時の記憶は失われたままだった。
覚えているのは、繰り返し見る夢の中の光景だけ。いいや、覚えているというのは正確でない。あれは
それを聞いてカラが考え込む。
「あの、これこそ確証がない勘なのですが。ゴルトは、本当に暴れたんでしょうか」
カラの指摘に、グレンの身体が硬直した。それは、
「……その勘の根拠は?」
カラは思い出を手繰り寄せるように遠くを見る。
「私の新人記者時代、指導してくれたのは
彼女の言葉を聞きながら、グレンの心にも情景が浮かんでいた。
美しい黄金色の竜。リンゴが大好きで、甘ったれで、心優しかった相棒。
呼べば、すぐに屋舎から顔を出してくれた。
本当に、良い竜だった。
「あのゴルトが暴れたなんて信じられないんです。私が感じた彼は、けして、そういうことをする竜ではありませんでした。私は、あの事故こそ、仕組まれたものだったと考えています」
カラの表情には、なんら曇りがなかった。確証がないにせよ、己の感覚に従うなら確信はあるという感じであった。
思い出に押し潰されそうになりながら、グレンはゆっくり首を横に振る。
「あの
グレンの言葉にカラは頷き、消沈する。
「そうですよね……すみません、辛いことを思い出させてしまって」
「いや、いい。ゴルトの話ができたのは嬉しかった」
気落ちするカラに、グレンは微笑んだ。
ザム・ボルテシアは調教師を引退し、
今度こそ、カラは扉へ向かった。グレンは見送るため立ち上がる。
「調査をしてくれるのはいいが、大丈夫なのか? 責任や正義感で、腹は
扉を開けるカラの背に問いかける。すると彼女は振り返り、強気な表情を向けてきた。
「あなたたちは逆境の中、戦っていました。周囲の雑音に負けず、不利な状況を覆した。あなたたちのレースは私の心を打ち振るわすものでした。あなたたちのレースをもっと観たい。知りたい。素直に、そう思いました。本当は、責任や正義感なんて関係ないのかもしれません。例え身を滅ぼすとしても、私には、そういった記者としての探求心が何よりも大切ですから。それに……」
「それに?」
「真実が明らかになったとき、多くの人が更なる事実を知りたがります。そのとき私だけが、いち早く詳細に書けるのです。これで、腹も
カラは茶目っ気たっぷりに微笑んだ。その
「本物の記者だよ、あんたは」
カラは嬉しそうに笑み、一礼して事務所を出ていった。後ろ姿でグレンは気づく。
彼女の靴はローヒールだった。歩くことを重視したそれに、
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