クラッシュ・オブ・サンダー 4
ゴールを駆け抜け、グレンはジュピターの頭を空へ向けた。加速していたのもあって、勢い良く浮いた
他の竜は、まだゴールしていない。ジュピターの圧勝だった。
「勝った……」
グレンはヘルメットのシールドを上げる。身体が震えていることに気づく。
「そうか、勝ったんだ……!」
何度も呟いて、実感する。久しぶりの疲労感と、勝利の達成感。身体の震えが止まらない。
突如として観客が沸いた。皆が空を見上げている。グレンへ、ジュピターへ歓声を送っている。
「見ろよ、ジュピター」
グレンは漆黒の竜の首筋を、労いを込めて
「さぁ、戻ろう。ジュナが待ってる」
グレンは手綱を引き、滑空を指示した。
下降の最中、他の竜が続々とゴールするのが見えた。プリマクラッセの姿もあったが、ボレトの未熟さが招いた結果だろう、最下位でのゴールだった。
ジュピターが、ふわりと地面へ降り立った。グレンは彼の背中から跳び、草原へ足を着地させる。ヘルメットを外せば、心地良い風が髪を揺らしていった。グローブも外してしまえば、解放感が身体を満たしていく。
「グレン!」
ジュナの声がした。視線を向ければ、少し離れた位置で、堪えるように唇を引き結ぶ彼女がいる。青い瞳には、薄く、光るものがあった。
「ただいま」
グレンは口元を綻ばせ、彼女を安心させるため、できるだけ優しく言った。ジュナの青い瞳に涙が溜まっていく。その様子を見てグレンは焦った。行動を間違えたかもしれない。
今度は両手を広げて彼女を待った。飛び込んで来いと頷く。安心させるにはハグが一番と見た記憶があるし、これで良いだろう。さぁさぁ、兄さんの胸で安心するといい。
「グレンンンンーーー!!!」
ジュナにしては低音の声が響いた。胸に飛び込んできた身体は、固く、ゴツゴツとしている。レーシングスーツの手触りに似ていた。オールバックで固められた髪が頬に当たる。これはジュナか。いや、絶対に違う。
「コク!!!」
グレンは、急に飛び入りしてきたサル顔を離した。
「おまえ、すごかったよぉ! なんだよ、あれぇ! うああああ!」
号泣しながらコクがしがみつく。グレンが引き離そうとするも、鍛えられたライダーの腕は易々と
「わかった、わかったから、離れろって」
「やっと、やっと、帰ってきたんだなぁ! うあああ、おかえり、グレンンンンン!」
コクの号泣は止まない。近づいてきたジュナが微笑んでいた。グレンは彼女に微笑み返して、仕方ないと諦めてコクをあやすように軽く叩いてやった。たぶん、ずっと気にしてくれていたのだろう、優しい親友の背中を。
一人、グレンたちの元へ歩む影があった。コクに引っ付かれたまま視線を滑らせて、よく見知った人物であるのに驚愕する。
「グレンちゃん、おめでとうね」
「ふ、夫人! どうして、ここに?」
驚くグレンを見て、シーラッド夫人は優しい表情に愉快さを含ませた。
彼女は輝かしい紫のドレスを身に
「あのね、驚かせようと思って秘密にしていたのだけれどね、アタシが、ジュピターちゃんのオーナーなの」
とても楽しそうに夫人は告げる。グレンは情けない表情で、大口を開けた。
惑ったままジュナに助けを求める。すると、彼女は頷いて肯定した。
「ごめんね。夫人に、秘密ね、って頼まれて……」
ジュナは夫人と目を合わせる。夫人が満足そうに微笑むのに、ジュナは申し訳なさそうに乾いた笑いを零した。
「いや、それよりも、オーナーって資格とかいるよな? 協会が認めた、超お金持ちしかなれないよな? え、夫人、そんなに?」
グレンの混乱は収まらない。
資産家とは聞いていたが、夫人の生活ぶりは質素だ。グレンのよく知るオーナーたちのように、豪華な食事を用意するでもない、家を飾るのでもない、オーダーメイドの高級な服を着るでもなかったのだ。
そのとき、引っ付いていたコクが、ずびりと鼻を
「お、お目にかかれて光栄です!」
涙声のままコクは言った。夫人は軽やかに笑い、いいのよ、なんて、のんきな声を発している。
グレンには訳が分からない。頭を下げ続けるコクの背をつつく。
「あの、コクさん、説明をお願いします」
丁寧に頼むと、コクはまた驚きで弾けて顔を上げた。
「伝説のライダー、ダンキスト・シーラッドを知らねーのかよ? その奥方様だぞ」
コクは、恐ろしい怪物と遭遇したように表情を歪める。非常識を見る目だ。
ダンキスト・シーラッド。五十年ほど昔のこと。その時代、ドラゴンレースの全ては彼のためにある、と言わしめたほど勝ちまくった伝説のライダーだ。その最期も壮絶で、レース中、ライダー仲間を助けるため己を犠牲にしたと聞く。
思い出してみれば、ライダースクールで習ったような。
「いいか、シーラッド夫人を怒らせんじゃねーぞ。ドラゴンレース協会長も頭が上がらねーって噂だからな」
コクは小声で教えてくれた。
国の資金集めにも運用されているドラゴンレース。その全てを管轄下に置く、ドラゴンレース協会。その協会長ともなれば、政府の要人と遜色ないと言われている。
グレンは、恐る恐る夫人を見た。彼女は普段と変わらない、穏やかで幸福そうな笑顔を浮かべている。脳裏に、夫人に対するこれまでの言動が蘇ってきた。失礼がなかったか不安になる。
これからは気をつけよう。グレンは心の中で頷き、固く誓った。
「勝利記念の写真、撮りまーす」
レース場係員の知らせが耳に入った。勝利した陣営に贈られる粋な計らいだ。表彰式のついでに撮影してくれる。
コクが嬉しそうに笑ってグレンの背を押し、離れていく。ジュナがジュピターを連れてきて、その隣にオーナーである夫人が立った。
「ライダーは竜に乗ってくださーい」
グレンは係員の指示に従って、漆黒の竜に乗ろうと近寄った。乗る前、ジュピターが鼻を寄せてくる。それは甘えている仕草みたいで、やっと相棒として認めてくれたのだと達成感を味わう。
胸に温かさが満ちていくのを感じながら、グレンは掌を差し出し、黒い鼻に置いた。ふんふん。ジュピターは匂いを嗅ぐ。
「あっ、それは」
ジュナが慌てた声を発するのに、嫌な記憶がフラッシュバックした。蘇った記憶そのままに、漆黒の竜はグレンの手をぱくりと食った。
「いってぇ! またかよ!」
涙目になるグレンへ、ジュピターは底意地の悪い笑みを向ける。やられた。甘えた顔をして噛んでくるなんて、どれだけ性格が悪いんだ。
「このやろう!」
グレンはジュピターを振り払い、飛びかかった。目をつりあげた漆黒の竜が応戦する。
「グレン! ジュピター! もう、やめてよ!」
ジュナの怒声が響き渡る。夫人はそれを、驚きつつも楽しげに眺めていた。
「あのー、写真は…………」
レース場係員が困り果てた声を出した。そんな彼の肩にコクが手を置く。
「いいから、撮っちまえよ。記念になるぜ」
コクの顔には呆れと諦めがあった。
レース場係員は仕方なしに頷く。レンズ越しに覗いた先で、子どものように取っ組み合って喧嘩する一人と一頭がいた。
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