クラッシュ・オブ・サンダー 3

「おい、地面と衝突するぞ!」


 竜舎りゅうしゃスタッフが待機し、大型スクリーンでレースを見守る控え室にて。焦燥しょうそうの叫びが響いた。


 レースは終盤、残り一キロメートルを通過したところ。ボレトの狂乱により進路を塞ぐという反則が行われ、グレンとジュピターの身に危険が迫っていた。


 ジュナは腕を組み、じっとスクリーンを見つめている。レースの実況が叫んでいた。冷静に構えていようと努力するも、知らず握り締めていたスーツにシワが刻まれている。緊張で身体中を汗が流れていた。


 大丈夫。自身に言い聞かせる。彼らなら、きっと、やってくれる。


「あんたんとこの竜だろ! いいのかよ!」


 レースを観ていた他の竜舎スタッフたちが、ジュナに押し寄せてきた。彼らは青ざめた顔をしている。


「まだ、レースの途中よ」


 ジュナは彼らを意に介さず、不動のままスクリーンを見つめ続ける。


「もう終わりだろ、地面にぶつかっちまう!」


「よく見て」


 ジュナはスクリーンを指した。ボレトが大きく手綱を引っ張り、グレンたちと地面が衝突する寸前だった。限界と感じられた位置でグレンが竜の首を押し、ジュピターの前足が地面に触れた。


 控え室で悲鳴があがる。目を逸らす者もいた。言葉を紡ぐのが仕事なはずの、レースの実況者も絶句していた。


 しかし、スクリーンに映し出されたのは大事故の光景でなく、前へ急加速した漆黒の竜が、緑の竜の下降をかわして置き去りにする映像だった。


 ジュピターは加速し続ける。その加速力は、拳銃から黒い弾丸が発射される様に等しかった。完全に抜け出て、追随する者はいない。


「どうなった!?」


 控え室が、先ほどとは別の理由で騒がしくなる。皆の視線がジュナへ向いた。説明を求めているだろうことが察せられた。


「ジュピターは地面を蹴って、走っているだけよ」


 ジュナの言葉を受けて、皆の視線がもう一度スクリーンへ移動する。


 漆黒の足が地面へ突き刺さり、割り、後ろ足で蹴り上げて驀進していく。その躍動感はゴムボールが弾んでいるようだった。確かに、走っている。だが翼は広げたままで、飛んでいるようにも見える。


「正確にいえば、走りながら飛んでいる、ね。羽ばたいて飛ぶのでなく、地面を蹴ることで飛んでいる」


 レース関係者たちの頭上に、疑問符が浮かんだのがわかった。


 鳥は、なぜ羽ばたくのか。それは前進することにより揚力を得たいからだ。上へ、上へと意識して羽を動かすのでない。羽ばたくことで風切り羽が推進力を生み、前へ進むことで空気の流れを変え、揚力を得て浮き上がる。これが鳥の飛ぶ仕組みだ。


 実のところ、竜は鳥のように飛べない。翼の大きさに対して体が重く、風切り羽も持っていない。それでも飛行できるのは、足りないところを魔力が補っているからだ。極論、魔力さえあれば竜は羽ばたかなくても飛べるのだが、魔力は万能でなく補佐としての使用であり、推進力の大半は翼を動かして得ている。


 竜にとって羽ばたきとは、構造上、向いていない行動だ。魔力を使用し重い体を動かすので、多くの体力を必要とする。体が大きいジュピターは、特に。


「竜が得意なのは、ワシなどの大型鳥類のように滑空する飛び方よ。要するにグライダーね。今のジュピターは、地面を蹴る推進力でグライダーのように飛行しているの。強靱きょうじんで丈夫な体を持って生まれた、あの子にしかできない戦い方よ」


 ジュナは心が躍るのを感じていた。スクリーンを見つめながら記憶を辿る。


 初めてグレンを乗せた、あの日。空から降ってきて地面をえぐっても、ジュピターは平気な顔をしていた。そして、飛び上がったときの爆発力。それは凄まじいものだった。


 何代かに一度、古代の伝承に似た類い稀なる能力を持って生まれる竜がいる。きっと、ジュピターは、それだった。彼の巨躯きょくは高く飛ぶには不必要なのだろう。けれど、速く飛ぶためには必要だった。誰もが見捨てたものこそ、ジュピターの才能であり武器だったのだ。


 今回の新竜戦しんりゅうせんはドラゴンレースでは最短距離となる十キロメートルであったが、体が重いため長く飛べないジュピターが最後まで保つかどうかは未知数であった。あの地を走る飛び方は、グレンが様子を見ながら、最後の手段として発動すると決めていた。


 ボレトの卑劣な反則を避けるのに使ったのは計算外であったが、功を奏して良かったとジュナは思う。


「けど、あんな乗り方、無茶だ! 推進力が凄まじくて、すぐ浮いちまう! ずっと地面にいても、衝撃と振動でライダーが投げ出されるだろ! 今すぐ止めるんだ!」


 ジュナの肩を掴む調教師がいた。彼は額に汗を滲ませている。他の皆も同じ意見なのだという雰囲気が漂った。


 ジュナは不敵に笑った。


「それこそ心配ないわ。ジュピターに乗ってるのは、誰だと思ってるの?」


 ジュナはスクリーンへ視線を戻す。


 手綱を操って自身の体重移動を利用して、ジュピターの翼の向きを調整する。地面を蹴りやすいよう、竜の首を押して連動させ足の動きを助ける。投げ出されないのは、練習と、日々の鍛錬によるものだ。たぶん、竜に乗れない五年の間も、ずっと鍛えていたのだろう。


 才能に慢心せず努力し続けた姿を、ジュナはよく知っていた。


「乗っているのは、天才、グレン・クリンガーよ」


 ジュナは胸を張って言った。嬉しい心持ちなのに、気を抜けば泣いてしまいそうだった。


 控え室は静かになった。レースの実況が、どうにか言葉を羅列しているのだけが聞こえた。


 ジュピターは、二位以下に大差をつけていた。プリマクラッセは糸が切れたように失速し、後続に呑み込まれ見えなくなる。


 ゴールを示す決勝線のホログラムが、空中に浮かんでいた。その線を越えさえすれば決着だ。例え、地面を走って越えたとしても。


 漆黒の竜は、ぶっちぎりの先頭で決勝線を駆け抜けた。


 彼が突っ切った後には、深く抉られた幾つもの穴。天空からの怒りが降り注ぎ、暴れ回ったみたいだった。


「黒い、雷…………」


 誰かが、ひっそり呟いた。神の偉業を目にしたような、厳かな空気だった。


 その日、大平原を漆黒の竜が走り抜けた。彼はその名が示す通り、ドラゴンレース界に雷鳴のような挑戦状を叩きつけたのだった。

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