第五話 クラッシュ・オブ・サンダー
クラッシュ・オブ・サンダー 1
青のただ中で、竜の背に乗っていた。
見上げた視界に映る、境界線のない澄みきった景色。常なら雲が浮かんでいるだろうそれに、この日は太陽だけが輝いていた。
五年前から、繰り返し見る風景。何度も再生される、綺麗な映像の悪夢。
身体に風が当たる感覚も同じ。台詞も同じ。首を曲げて、こちらを見る黄金色の竜も、あの頃のままだ。
けれど、その相棒はもうここにいないのだと、心の隅の隅で、うっすらと知覚していた。
美しい、黄金色の竜。最高の相棒。怖いものは、ないはずだった。
相棒を失うのが、こんなに辛いなんて知らなかったのだ。
視界に様々な色が飛来してきた。赤、茶、緑、銀……その、どれもが挑戦的な視線を投げつけて通り過ぎていく。これはたぶん、
「ゴルト、行こう」
竜の口元から伸びる手綱を握り締め、自分は相棒に声をかける。黄金色の竜は、ふん、と大きく鼻を鳴らして、気合い充分に翼を空へ打ちつけた。
どこへ行くのだろう。この先に待っているのは希望でない。長く、暗く、苦しい未来だけだ。手を伸ばそうとして、実体がなくて、自分たちが空へ飛翔するのを見送る。
待ってほしい。おまえを死なせたくない。ゴルト。心の底から叫んだ。
そこで、グレンの意識は覚めた。
心臓が強く脈打っている。吐き気で胃がひっくり返りそうだ。天井を見つめたまま、大きく呼吸する。
今日は、いつもより鮮明な夢だった。最近、日が経つほどに鮮やかになっている気がする。無理もない。今日、ゴルトの弟に乗るのだから。
六月の第三週、ハティア・レース場で開催される三レース目。ジュピターがデビューする
支度をしてグレンが階下へ降りると、既に起床していたジュナがリビングのソファーに座っていた。
彼女は真剣な面持ちで雑誌に目を落としている。グレンの存在に気づいていないらしく、近づいても反応しない。
「おはよう。なんだ、それ?」
ソファーの背もたれ越しに声をかけた。彼女は驚いて
「おはよう、グレン。これはね、ドラゴンレース情報誌よ」
ジュナは雑誌を閉じて、表紙を見せてきた。
ドラゴンレース情報誌、ドラゴンウォッチャー。プシティア国を代表する企業ユニバーサルアーティクル社、その出版部門が発刊している超有名雑誌だ。記事は初心者向けの軽いものから、マニア向けの難しいものまで扱う幅広さがある。ドラゴンレース関係者にもファンは多い。
「今日はジュピターのデビューじゃない? レースの予想もあるから、何か書かれてないかなー、なんて」
言いながらジュナの声音が沈んでいく。たぶん、良いことは書かれていないのだろうとグレンは勘づいた。
「メディアに期待なんて無駄だろ。俺たちの、なにがわかるんだ」
グレンは眉をひそめ、吐き捨てた。
五年前、彼らが面白可笑しく書いた記事、発信した情報によってグレンたちは傷つけられた。今更、何が信用できるだろう。
「で、でもね、このカラ・ポピーって人は違うの。ちゃんと中立っていうか、公正っていうかね。ほら、ジュピターに『侮れない』って書いてくれてるし」
ジュナは雑誌を広げ、一箇所を示す。確かに、この人物だけがジュピターについて言及していた。
「この人の記事、好きなんだ。誠意が溢れてるの」
「誠意、ね」
グレンは冷めた目で誌面を眺める。ジュナは楽しそうに話すが、やはり嫌な記憶ばかりが脳裏を過ぎって好きになれそうにない。
しばらく誌面を目で追って、グレンは見知った名前を発見した。
「お、プリマクラッセ」
題目には『今週デビューの注目すべき竜』とある。さすが
プリマクラッセの血統背景や、調教のレポート、ライダーのボレトやオーナーの父親のことまで書かれている。
オーナー。そういえば大切なことを聞いていなかったとグレンは思い出した。
「ところで、ジュピターのオーナーって誰なんだ?」
皆に酷評された竜を買い、実績のない新人調教師に預け、清掃員として働いていた問題ライダーを乗せる。改めて考えてみると異常すぎて、狂っていると表現するのが適切かもしれない。
ジュナは大きく咳払いした。彼女は雑誌を閉じると急に立ち上がる。
「そろそろ準備しなきゃ」
ジュナの視線は泳いでいた。明らかに、ごまかしている。紹介したくないほど、クレイジーな野郎なのか。
「おい」
「まあまあ、楽しみにしてて。勝ったら会えるでしょ?」
ジュナはそう言って二階へ上がっていった。部屋に立ち入ると殴られるため、グレンの追撃は虚しく散る。
ドラゴンレースは、レースの格式に関わらず、勝った後に表彰式がある。調教師やライダーだけでなく、そこでオーナーも表彰されるのだ。竜にとって生涯一度のデビュー戦なのだし、オーナーが姿を現してくれるかもしれない。
「勝たないと始まらない、か」
グレンは呟いた。ここから全てが始まる。そう、期待している自分がいた。
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