メイク・ワンズ・デビュー 4
ハティア・レース場の地下駐車場へ行くと、大きなリュックと寝袋を抱えたジュナがオートバイの脇に立っていた。家出少女の雰囲気がある。全く犯罪でないのに後ろめたさがあるのは、なぜだろう。
グレンは急いで走り寄る。
「ごめん、待たせたな」
「ううん、さっき、着いたところだから」
ジュナが首を横に振って言うのに、グレンは安堵する。
オートバイのホルダーから手早くヘルメットを外し、ジュナに渡した。自分はライダー用のを被る。同じフルフェイスだ、耐久性に優れているし問題ないだろう。
ジュナは慣れた手つきでヘルメットを被った。自分で微調整もしている。彼女は竜乗りでライダー用のを使っているから、難しいことはなさそうだ。
「レース場に用事があったの?」
準備を終えたジュナが問いかけてくる。
「ああ、清掃員、辞めてきた」
グレンはオートバイをチェックしながら答えた。二人乗りでも問題なさそうだ。
「えっ、本当に?」
突然、ジュナがグレンの服を掴む。シールドを上げたヘルメットの奥から、青い瞳が心配そうな視線を向けてきた。
グレンは微笑み彼女のヘルメットに手を置いて、ぽんぽんと軽く叩く。
「ジュピターに約束したからな、全てを懸けるって。不安にならなくていい、貯金はまだある」
グレンは彼女のヘルメットに手をかけ、シールドを下げて曇る表情を隠した。もう、と不満げな声を聞きながらオートバイに跨がる。キーを差し込んでエンジンを始動させ、彼女を呼んで後ろを指し示した。
慎重にジュナが乗る。リュックは彼女が背負い、寝袋は二人の間に置いて挟んだ。
「しっかり掴まってろ」
グレンがヘルメットのシールドを下げた。ジュナは頷き、腰あたりの服を掴む。
「……ありがとう」
彼女は小さく呟いた。オートバイのエンジン音に掻き消される前、それはグレンの耳に届く。
それは、こちらの台詞だ。そう返したかったのだが、彼女の細い指が服を掴む感触が想像以上に気恥ずかしくて、思わず無言になってしまった。
グレンのオートバイは、ゆるゆると発進した。
ハティア・レース場を後にして、町の中心地へ向かう。郊外の閑散とした風景から洗練された都会の景色へ、そして歴史と伝統の詰まった町並みへ。朝、一人で下った道を、今は二人で上っている。
一人より操作が重く、より安全に気を配っているためかオートバイの疾走感は落ちていた。けれど、その違いがグレンを新鮮な気持ちにさせた。誰かを背にして走るのは、何年ぶりだろうか。
グレンのオートバイは順調に進み、シーラッド夫人宅へ到着した。家の前でジュナを降ろして、オートバイとヘルメットを車庫へしまう。再び家の前へ戻ったとき、ジュナは呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。
「どうした?」
「ね、ねぇ、ここって、マリーさんの家よね?」
ジュナは、ふるふると震えながら家を指す。
マリーとは、確かシーラッド夫人のファーストネームだ。それを知っているという事実が示すことは。
「なんだ、知り合いか。これは話が早い」
グレンは成功を確信した。全く知らない他人であれば温厚な夫人も不安だろうが、知り合いならば了承しやすいだろう。グレンは納得して頷き、ジュナの手を掴んで家の扉へ歩んでいく。
「ちょっと! グレン!」
ジュナが慌てた声音で呼んだ。知り合いだからこそ、頼むのは気が引けるのだろうか。
大丈夫、きっと夫人なら問題ない。グレンは構わず扉を開ける。
「ただいまー」
廊下の奥へ声をかける。夫人は、すぐ玄関へ顔を出した。
「グレンちゃん、おかえりなさいね……あらー?」
夫人はグレンの後ろにいるジュナに気づき、驚いて片手を口に当てた。それも束の間、心底、喜びに満ちた顔をする。
「マリーさん、その、お邪魔します」
「よく来たわねぇ、嬉しいわぁ。今夜は、ご馳走にしようかしらねぇ」
身を小さくして一礼したジュナを、今度は夫人が手を繋いで中へ連れて行った。グレンは、その仲睦まじい状況を見て満足する。これは勝利しかない。
リビングへ案内されたジュナは、荷物を降ろすよう勧められた。落ち着いた頃合いと見て、グレンは口を開く。
「夫人、ジュナもここで住まわせてやってくれないかな。
夫人は、まあ、と言って目を丸くした。竜舎で女性一人が暮らしていたのだから、それはそれは心配で驚いたろう。
「ジュナちゃん、ここでいいの? 大丈夫なの?」
夫人はジュナの手を取り、何度も念を押して訊く。
グレンは首を捻る。なんだか、引っかかる言い方だった。住むか、住まないかでなく、この場所の是非を問うているような。
「その、大丈夫じゃ、ないんですけど……竜舎で暮らすのも、確かに危ないですし……」
ジュナは、グレンをちらりと見た。
どきり、とする。彼女は、大丈夫じゃない、と言ってグレンを見た。もしや、大丈夫じゃない、の正体は自分では。グレンの背中に焦りの汗が流れる。
今のグレンに人脈はない。夫人宅以外で、安く暮らしやすい優良物件など知らないのだ。ここに決めてもらわねば、また竜舎で暮らすと言い出しかねない。
「じ、ジュナ、俺がいたら嫌か? 嫌なのか?」
グレンは、ジュナに縋りついた。彼女の瞳に戸惑いの色が見え隠れする。
「嫌じゃ、嫌じゃないけど……あの……」
「俺、何もしない。勝手に部屋へ入らないし、着替えも気をつけるし、風呂もあぶっ」
グレンの訴えは、寝袋の奇襲が顔面へ命中したために遮られた。
その場に崩れ落ちる。鼻骨を折っても仕方ない威力だった。
痛みを堪え、見上げる。耳まで紅く染まったジュナが仁王立ちしていた。
「当たり前よ、そんなの! やったら殴るからね!」
彼女は荷物を引っ掴み、二階へ走っていった。
バタン。豪快な音で扉が開閉する。
グレンの思考は混乱の最中にあった。自分は、なぜ、寝袋で殴られたのだろう。まだ何もしちゃいないのに。
「あのね、グレンちゃん。女子の
鼻を押さえ屈んだままのグレンへ、夫人が溜め息混じりに言った。
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