メイク・ワンズ・デビュー 3

 ウォーディ竜舎りゅうしゃは区画端の方にあった。屋舎は新造らしく、サビも老朽化もない。ジュピターは新しいのが気に入っているらしく、竜舎に戻るなり、さっさと自分の寝床へ入ってゴロンと転がった。


 竜が暮らす屋舎に隣接して、調教師の事務所も建てられていた。真新しい扉を開け、ジュナと二人で足を踏み入れる。


 ワンルームほどの広さに、事務机と簡素なパイプ椅子。真っ白なホワイトボード。装具や、竜乗り用のヘルメットなど用具一式が収納されている木製の棚。それから。


「…………寝袋?」


 グレンは丁寧に折り畳まれ、事務所の隅に置かれている寝袋を手に持った。一人用の大きさだ。近くのパイプ椅子には毛布や枕が、こちらも几帳面に整理され乗せられている。よく見れば他にも生活必需品の類いは一通り揃っていた。


 確実に、誰かが住んでいる。


「そういえば、他のスタッフは?」


 グレンは、棚に用具を片付けているジュナへ問いかける。


「私、一人よ。管理しているのはジュピターだけだし、当面の資金を考えるとね」


 ジュナは心の苦さを含ませたような笑みを浮かべた。


 レースに勝てば、オーナーだけでなく竜舎にも賞金が入る。管理する竜を増やせば、管理費としてオーナーから支給される額も多くなる。そういった好循環を生み出すまでが、新人調教師にとって最初の壁だろう。ライダーだけでなく、調教師にも世知辛い世界だ。


 待てよ、と、グレンは思考を巡らせる。一人しかいない竜舎。金を節約したいジュナ。事務所にある寝袋や、生活必需品。グレンは謎を解いてしまった。


「ジュナは、ここに住んでいる……?」


「そうよ」


 ジュナはことげに答えた。口を開けて驚愕するグレンを不思議そうに見つめながら。


「は? ここに? なんで?」


「ウチは始めたばかりで貧乏なの。それに、ここって便利なのよ。ジュピターのそばにいてあげられるし、近くにコインランドリーあるし、温泉もあるし、食事は先生のところ使わせてもらってるし……」


 ジュナは利便性を列挙している。グレンは首を横に振った。


「いや、違う、危ない! 危ないだろ! 治安は悪くないが良くもない。レース場で大敗した酔っ払いもいるし、竜舎スタッフにだって手癖の悪いのがいるかもしれないし…………とにかく危ない!」


 グレンの頭には悪い想像しか浮かばない。必死の思いでジュナに詰め寄る。


 ウォーディ竜牧場の一人娘を危険にさらしたとあっては、ご両親にも、ゴルトにも顔向けできない。せめて自分が守ってやらねば。


「で、でも、先月からいるけど平気よ?」


 ジュナは両掌を胸の高さまで持ち上げ、グレンの勢いを止めようと押す動作をする。しかし、グレンは立ち止まらない。


「今までは大丈夫でも、これからも安全とは言えない」


「そ、そうかもだけど……」


「心配なんだよ。なぁ、ここじゃない所、考えないか?」


 やがて、グレンが懇願こんがんする事態となった。


 ジュナが困って呻る。グレンの必死さに負けて真剣に思案しているようだ。もう一押しと見た。


「部屋を安く貸してくれるところなら知ってる。今夜からでも泊まれると思う。一緒に行こう、俺が頼んでみるから」


 グレンの思考に、優しい老婆の顔が思い浮かぶ。きっと、夫人なら話を聞いてくれるだろう。


 ジュナは呻ったまま、熟考しているようだった。その間、グレンは懸命さを滲ませた視線を送り続ける。彼女の迷う瞳がグレンを見た。真面目な表情で見つめ返す。


 グレンの顔が面白かったのか、ジュナは小さく吹き出した。


「……わかった。準備するから待ってて」


 彼女は仕方なさそうに微笑んで頷く。グレンは歓喜に沸き、心の中で拳を天へ突き上げた。


「あなたって、お父さんみたいね」


 柔らかい表情でぽつりと零された感想に、グレンは目を丸くする。


「俺は、まだ二十代だ。兄さんにしてくれ」


 不服で眉根を寄せると、ジュナは面白そうに笑い声を零した。


 笑う彼女に、グレンの頬が緩む。これは罪滅ぼしで自己満足だ。それでも彼女が笑ってくれるなら、それ以上のことはない。


「準備ができたら、レース場の駐車場で待っててくれ。少し寄るところがある」


「うん、わかった」


 グレンは伝え、出入り口へ歩んだ。扉を開けたところで、しかし、引き返す。


「これを忘れてた」


 グレンはライダー用ヘルメットを手にした。首を傾げるジュナに背を向け、今度こそ事務所を出て行った。

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