メイク・ワンズ・デビュー 2

 早朝から始めた調教場での穴埋め作業は、昼頃には完了した。作業服や用具を管理人へ返却し、グレンたちは一息吐く。


 作業服を返却したとはいえグレンもジュナも、ジャージにウインドブレーカーというトレーニングウェア満載の出で立ちだ。元より、竜乗りをする人間の正装みたいなものなので仕方ない。


 ジュナが着ているジャージは彼女本来のサイズより大きいようで、緩い感じが可愛く見える。このあたりは女性らしい服装への気遣いだろう。面倒だから、と同じデザインの服を買い続けるグレンを見たら、卒倒するかもしれない。


 調教場へ戻ってみれば、何頭かの竜が上空を飛んでいた。通常、昼頃までには大体の竜が調教を終えるので、今、飛んでいるのが最終組だろう。


 デビューを控えた年若い竜が、最終組になることが多い。あの、どれかがジュピターのライバルかもしれない。グレンは陽光を手でさえぎりながら、空を舞う竜たちを眺めた。


「クリンガー先輩じゃないすか」


 空を仰ぐグレンの背後から嫌な響きがあった。振り返りたくない。このまま、気づかないフリでやり過ごせないものか。


「無視しないでくださいよ。掃除で忙しいんですかぁ?」


 反応するまで話し続けるタイプかな。グレンは諦めて声の方へ振り向いた。


 緑色の竜に乗った若い男がいる。ちょうど調教帰りなのだろう、フルフェイスヘルメットを被っていたが、シールドは上げられ下卑げびた笑みを貼り付けている。


 着用しているウインドブレーカーには有名なスポーツブランドのロゴが入っており、一目で高価なものだと分かる。彼自身それを自慢したいのか、不自然に胸を張る姿勢が珍妙だった。


 グレンは首を傾げる。見覚えのない男だ。


「誰だ?」


 竜に乗った男は、驚きで仰け反った。彼は負けじと体勢を直す。


「昨日! 掃除してる先輩と会ったでしょうが!」


「昨日……」


 グレンは記憶を掘り起こしてみた。昨日といえば神竜賞しんりゅうしょうがあった日。様々な出来事があったように思う。同期に会ったし、ジュナとも再会したし、ジュピターにも出会えた。その中に、あんな無礼な若者、いただろうか。


 無礼。そういえば、はらわたが煮えくり返るような記憶があった。思い至ったグレンは手を叩いた。


「ダストボックスを蹴ったヤツだ。ん、二人一組じゃなかったか?」


「芸人みたいに覚えるな!」


 新人ライダーは憤慨ふんがいした。その大げさなリアクションが芸人ぽいのは、追及しないでおこう。面倒だし。


「ボレトさん!」


 離れた位置から呼ぶ声があった。どこかの竜舎りゅうしゃスタッフが駆け寄って来る。新人ライダーが乗る緑色の竜を担当しているスタッフだろう。


「調教、ありがとうございました!」


 頭を下げる竜舎スタッフを制して、ボレトは軽薄に笑う。


「うん、やっぱり、血統が良いのは乗っていて楽しいね。僕の父も期待している竜だし、デビューが待ちきれないな」


 彼は、こちらをチラチラと見た。明らかに挑発している。


 竜は、優秀な血を次代へ繋げるべく、考え抜かれて生み出される生き物だ。優秀な遺伝子を残すためレースで活躍した竜を選ぶ傾向があるし、多くの強者を生み出した血筋は、やはり尊重される。こうやって積み重なっていくのが竜の血統である。


 レースで活躍した竜が強い竜を生むかと問われれば、必ずしもそうではない。全く飛ばなかったメス竜が、良き母として名竜めいりゅうを送り出すことは多々ある。ゴルトの母親が、そうだった。


 竜の生産に正解はない。その奥深さが、人々を虜にするのだろう。


 とはいえ、血統の良し悪しはグレンにとって関係なく、親しくもない他のライダーがどれに乗ろうが興味はない。ボレトの挑発は空振りである。


「いやホントに、オーナーのお父様には良くしていただいて……調教師の先生も、それはそれはもう、感謝しております」


 竜舎スタッフは、テレビで観たことのある郷土品のように、ぺこぺこと何度も頭を下げた。竜を預けてくれるオーナーは竜舎にとって、お客様だ。機嫌を損ねては死活問題にもなる。


「うふ、父には、よろしく言っておくよ。血統の良い竜をガンガン買って、たくさん預けるようにってね」


 ボレトは薄気味悪い笑顔を形作った。


 竜の血統は関係ない。よく知らないライダーが何に乗るかも興味がない。しかし、彼と竜舎スタッフのやり取りは、とても醜悪に感じられ目を逸らしたくなった。


 竜をよく知りもしないオーナーが無闇に買い、実力を全て引き出せるかも分からない調教師やライダーに任せる。権力を誇示したいがために、人がこびを売りたいばかりに、犠牲になるのは竜である。


 竜を預けるのもライダーへ依頼するのも、決め手は実力と信頼だ。それを度外視して、金に物を言わせ人を従わせるやり口が、グレンは嫌いだった。それを見せつけられる方が挑発よりも確実に、精神への有効打だ。


 不意に、隣から怒りの気配が漂ってきた。身を震わせる雰囲気にビクついて視線を滑らせれば、ジュナの頬が引きつっている。


 しまった、媚の嫌いな人間が他にもいたことを忘れていた。


 それに、ボレトはグレンを侮辱するつもりで血統の話を持ち出したようだが、血統的に平凡であるジュピターを酷評する結果になってしまっている。大切な竜を馬鹿にされて、彼女が黙っているはずがなかった。


「なによ、血統、血統って」


 ジュナは前へ進み出て、ボレトを睨みつける。自分が意図するのとは別の人物が挑発に引っかかった驚きか、鬼の剣幕に触れてしまった後悔か、ボレトの表情に畏怖が混じる。


「あの、ジュナさん、落ち着いて……」


「血統なんて関係ないの! 親が有名じゃなくても良い竜は生まれるの! その子をどれだけ理解して、最大限に能力を発揮させてやれるかが調教師の仕事! 血統だけで判断なんて素人のすることよ!」


 グレンの制止は意味を成さず、ジュナは食ってかかった。同調したジュピターも低く唸って威嚇する。体が大きい分、ジュピターが凄むと迫力があった。


 竜舎スタッフは後ずさり、ボレトは、ひぃ、と情けない声を発する。


「で、でも、そこの黒い竜を見てみろよ! デカいだけじゃないか! 僕のプリマクラッセの足元にも及ばないね!」


 青ざめて顔色は冴えないながらもボレトは言い返す。ジュナは、ぐぅ、と言葉を呑み込んだ。


 ボレトの竜は、確かに、均整の取れた体つきで雰囲気も悪くなかった。ジュピターの威嚇にも動じていない。緑色の竜の根幹を支えているのは良い血統のみでなく、誇るだけの実力も備わっていたのだ。


 それを見抜いてしまったのだろう、ジュナは悔しそうに押し黙る。


 形勢逆転と見たのか、ボレトの顔色が良くなった。彼は愉快そうに口元を歪める。


「血統の悪い竜には落ちぶれたライダーがお似合いだね! ああ、僕たちの邪魔はしないでくれよ! まっ、デカいから飛んでるだけで邪魔かぁ!」


 ボレトは浅ましく笑った。ジュナの握り締めた拳が震えている。ジュピターも愚弄ぐろうされたことを理解しているのだろう、牙をき出して低く唸り続けていた。


 グレンは静観するつもりだった。五年間、こういう手合いからの嫌がらせは日常茶飯事だったし、窮地を脱するため、我が身を守るため耐えるという選択肢しかないのを分かっていた。そういう状況を仕方ないものだと受け入れていた。それはゴルトを死なせ、ザムやジュナたちを傷つけてしまったとがなのだから。


 だが、それは今日で終わりだ。自分には戦うべき理由も、守りたいものもできた。


「おい、新人」


 グレンは腹の底から低い声を出していた。身体からだの奥から熱いものが込み上がってくるのを知覚していた。


「その竜のデビュー戦、いつだ」


 ボレトへ鋭い視線を向ける。彼の口から、また悲鳴が漏れ出た。


「来月、六月の第三週にある新竜戦しんりゅうせんだけど……」


「なら俺たちも、そのレースに出る」


 一同が驚愕の眼差しでグレンを見た。


「な、なんで、僕に負けるとわかってて……」


「俺は後輩指導なんて興味ないが、急にやりたくなってな。礼儀も、技術も、教えてやらなかったのを後悔してるんだ。レースを一勝もできずに引退なんて可哀想だからなぁ」


 グレンは不敵に笑んだ。ボレトは怒りで顔を真っ赤にする。ライダーとして初勝利をあげられていないのを気にしているらしい。


「言ったな! 言いやがったな! 負かして恥をかかせてやる! グレン・クリンガーは、もう天才じゃないってね!」


 ボレトは怒りに任せて吐き捨て、プリマクラッセの頭を竜舎の方へ向け、引き上げていった。竜舎スタッフが慌てて後を追う。


 騒がしいのが去り、調教場に残されたのはグレンたちのみ。絡まれている間に、他の竜は調教を終え戻っていったようだ。


 グレンは言いたいだけ口を開き、清々しい心持ちだった。こんな感覚、どれくらいぶりだろう。


 ふと、隣を見ればジュナが放心して佇んでいた。グレンは気づく。もしや、周りをかえりみず暴走してしまったのか。


「ごめん、勝手に決めて」


「え? あ、ああ……」


 ジュナはグレンの方へ目を向け、気の抜けた表情を浮かべていたことを自覚したのか、はっと息を呑んだ。彼女はすぐ表情を和らげ、ゆっくり首を振る。


「あなたが、あそこまで言ったのが珍しくて驚いただけ。人に対しては、感情を見せないイメージがあったから……」


「俺も、そう思ってた。あんなに怒ること、あるんだな」


 グレンが肩をすくませると、ジュナは楽しげに笑いを零す。彼女の笑顔は安堵をくれる。


「挑発してきたのは、あっちなんだし。返り討ちにしてやりましょ」


「もちろんだ。どんな顔してパパに泣きつくのか楽しみだな」


 グレンはジュナと片手同士で拳を合わせる。こつん、と軽く触れ合うだけで気力をもらった気がした。


 やるべきことは決まっている。グレンはライダーだ、レースで誰よりも上手く乗って勝つだけ。そのためにはジュピターに相棒として認められなければ。


「ジュピター、おまえも……」


 漆黒の竜へ振り向いたとき、グレンの言葉が詰まった。


 ジュピターは竜舎の方角を見つめていた。威嚇するのでない、ただ睨んでいるのでもない。悔しさに佇むでもない、怒りに身を支配されるでもない。倒すべき敵を理解し、静かな闘志を燃やして時を待つ熟練の戦士みたいな雰囲気だった。


 グレンは、この空気を知っている。精悍せいかんな顔つきに見覚えがある。


「ジュナ、竜の装具を持ってきてくれないか」


「今?」


「そう、早く、頼む」


 訝しむジュナを走らせて、グレンは漆黒の竜の正面に立った。ジュピターの視線が向く。青い瞳がグレンの双眸そうぼうを捉えている。


 初めから違和感はあった。ジュピターはグレンの言動に笑い、怒り、悪戯や無視など多彩な反応を見せてきた。人の言葉をよく理解しているということだが、それは竜にとって普遍的なものだろうか。


 竜の知能は人間でいう三歳児相当で、大まかに分類すれば犬と変わらないぐらいだ。簡単な言葉であれば理解できるだろう。しかし、言葉の内容や文脈まで把握し、感情豊かな反応まではできないはずだ。


 そもそも、悪戯ができるのは知能が高い証拠だ。相手の状況を踏まえ手段を考えて実行に移すことは、高度な思考能力によって生まれるものだから。


「俺は、勝つために全てを懸ける。だから、おまえも力を貸してほしい」


 グレンは対等な仲間へ言うように言葉を選んだ。ジュピターは、じっと見据みすえてくる。彼に拒絶は見られない。頷いてくれている気配があった。


「グレン!」


 ジュナが装具を抱え走ってくる。それを受け取り、ジュピターに手早く装着した。


 漆黒の竜は暴れず、大人しくしている。グレンは、さっと飛び乗った。ジュピターに嫌がる素振りはない。ジュナが驚きで口を開けるのが見えた。


「どういうこと?」


 問いかけてくる彼女に、グレンは満足げに笑む。考えが正しかったという安心より、これで戦えるという興奮に包まれていた。


「こいつは、とんでもなく頭が良いんだ。自分の置かれている環境を知り、学べるほどに。竜牧場から竜舎に来たばかりだから、今までは遊んでる気分だったんだろ。それが、倒すべき敵を見つけた。本気にならなくては勝てないと学んだ。さっき、ジュピターの戦うためのスイッチが入ったんだ」


 そしてグレンたちは力を合わせ、立ち向かっていくことを決めた。全ては勝つために。


 説明に納得した様子でジュナが頷く。


「頭の良い子だとは感じていたけれど、目的意識まであるなんて」


「こんな竜は初めてだよ。ゴルトも自分でレースを組み立てられるくらい頭の良いヤツだったが、ジュピターはそれ以上かもな。人の言葉をわかってるし、そのうち喋りだすんじゃないか」


 らしくもない冗談が飛び出した。それくらい、一つの壁を乗り越えた安堵は大きい。穏やかな空気が流れる。冗談も弾むというもの。


「古代の竜みたいね」


 ジュナも表情が柔らかい。


 古代の竜とは、実際に存在する竜でなく伝説上の生き物のことだ。人に知恵を与えるほど知能が高く、環境を変化させるほどの魔力を持ち、大地を裂く強靱きょうじん体躯たいくを有していたとされる。


 それらは伝説の中にある話だが、ドラゴンレースでは魔力の高いものが突発的に生まれることがあり、何代かに一度、古代の血が色濃く出るのではという説もある。案外、本当の話が伝説として残っているのかもしれない。


「古代、か」


 グレンは、その言葉に引っかかりを覚えた。知能が高い。魔力。強靱な体躯。


 胸中がざわつく。何かが閃きそうだ。あと、もう一つ、何か材料が欲しい。


 辺りを見回すグレンの視界に、調教場の地面が映り込んできた。一点だけ土の色が違うそこを凝視する。ジュピターに初めて乗ったときの衝撃を思い出す。


 そのとき、グレンは思考を平手で叩かれるような刺激を味わった。


 グレンはジュピターから飛び降りるとジュナの正面に立ち、細い両肩を掴む。


「なぁ、馬鹿な話かもしれないが聞いてほしい」


「な、なに?」


 ジュナは顔を紅くして問いかける。


「勝てるかもしれない」


 グレンは自信と興奮に満ちた顔で告げた。

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