バディ・フォーフェイト 3
あの
漆黒の竜は呆けた顔のグレンを見つめる。記憶を辿れば辿るほど、
「こいつの、名前は?」
グレンは無意識に問いかけていた。漆黒と黄金の姿が重なる。ゴルトの名を
「ジュピターよ。雷を操る神様の名前」
黒いスーツの女はグレンの隣に並び、竜の頭に手を添えた。漆黒の竜は嬉しそうに目を細め、細い指に甘えた。
初めてゴルトに出会ったときの記憶が思い浮かんだ。甘え方も、そっくりだった。グレンの頬が緩む。
黄金色の竜を思考に描けば、胸に去来するのは痛みだけだと思っていた。穏やかな感情の中で相棒を思い出すことは、今後、ないのだろうと諦めていた。けれど、実際、グレンは温かな空気に触れていた。それが意外で嬉しかった。
ジュピター。ゴルトの弟。雷を操る神の名を与えられた、漆黒の竜。
「神様の名前とは、大変なのをもらったな」
グレンが茶化し気味に言えば、黒いスーツの女は
「大変なのでも、いいの。この子が生まれる前から決めてたんだから」
彼女は漆黒の竜に同意を求め、柔らかい表情で竜を
グレンの中に興味が生じた。珍しいことに、人に対するものだ。
「名前、まだ聞いてなかったな」
「え? 言ったじゃない、ジュピターだって」
「違う、あんたの名前」
彼女は目を見開き、顔を赤らめた。その反応は予想外で、もしや秘密のままでいたかったのかとグレンは考える。訊かない方が良かっただろうか。
黒いスーツの女は大きく咳払いした。まだ頬は紅く、視線は右に左にと忙しそうだ。彼女は、再度、咳払いして気を取り直す。
「ジュナ・ウォーディ。調教師よ」
青い瞳が、しっかりと見据えてくる。芯の強そうな声音が耳を打つ。彼女が手を差し出すのに応じて握手すれば、照れたような微笑みが向けられた。やはり、彼女は笑顔が似合うと思う。
ウォーディ。彼女の名を思考に浮かべた瞬間、グレンの記憶が物凄い勢いで押し寄せてきた。あ、と大声を発しそうになったが堪える。見覚えがあって当然だ。
「そうか、ゴルトの生産者だ。確か、ウォーディ竜牧場。
「そう。ゴルトを生産したのは両親ね」
ジュナが頷くのに、グレンは胸の奥にあった痛みが
世間に見放された両者が、転落するのは避けられなかった。事故を起こしたグレンはドラゴンレース関係者から干され、ウォーディ竜牧場は融資を凍結され経営が成り立たず潰れてしまったと聞く。
ウォーディ竜牧場の倒産はグレンの巻き添えだった。ゆえに、責任を感じている。謝って許されるものでない。何をして償えばいいのか、わからない。
「俺は、あんたに……」
「ジュピターに乗って」
ジュナが強い声音で言う。グレンの心情を把握したように、背後まで忍び寄っていた過去を追い払うように。
「あなたには、この子に乗る義務がある。活躍できない、諦めろって言われた、この子を勝たせる責任がある。私も、それを望んでる」
相棒の中に見た、空をそのまま流し込んだような瞳が、真っ直ぐグレンの姿を捉えていた。
グレンは奥歯を噛み締める。心の奥で、思考の片隅で、許されることを許しはしないと叫ぶ自分がいた。ゴルトを思い出さないようにしていたのと同じで、そんな機会は訪れやしないと諦めてもいた。一生、罪悪感を抱えて生きるものと決めていた。
それが、どうしたことか、
グレンは顔をしかめる。自分は、泣きそうな表情をしているのだと思った。
「わかった」
グレンは短く答えてジュピターと向き合う。涙は必死になって堪えた。
「今日から、俺が、おまえの相棒だ」
漆黒の鼻に掌を置く。ふんふん、と匂いを嗅ぐ仕草はゴルトと同じだ。懐かしさで、堪えていた涙腺が緩む。
また、こうして相棒となる竜に出会えるとは思わなかった。ゴルトの弟だから、きっと良いヤツだ。漆黒の竜に乗って飛ぶ世界は、どんなに素晴らしいのだろう。期待が膨らむ。
「あっ、それは」
ぱくり。グレンの手は漆黒の竜に食われた。
「は? あ、いってぇ! おい、こら!」
手をくわえる
感傷とは違う意味の涙が出そうになる。早く脱出しなければ。
「その子、あまり人には懐かないって……もう! ジュピター!」
ジュナが叱りつけ、漆黒の竜はようやく口を開けた。急いで引き抜いた手の甲には立派な歯形が付いている。
恨みがましい視線を向ければ、なんと、ジュピターは愉快そうに口元を曲げた。人間が意地悪く笑むのと変わりない。こいつは確信犯だ。人をからかって遊んだのだ。なんて性格の悪さだろう。
本当にゴルトの弟なのか、こいつ。センチメンタルな気持ちを返してほしい。
「前言撤回だ! 誰が、おまえの相棒になってやるものか!」
グレンは反撃とばかりに、ジュピターの喉元に腕を巻いて絞め上げた。驚いた竜は一瞬だけ停止したが、すぐに目をつり上げて怒り、グアアアと鳴く。振り払おうと首をぶん回すが、意地になっているグレンは放さなかった。
「ちょっと! 喧嘩しないでよ!」
ジュナが声を荒げるが、いがみ合う一人と一頭には届かない。
「ねえ、ちょっと!」
グレンとジュピターは取っ組み合いを始めた。止めようとするジュナを、完全に置いてきぼりにして。
「いいかげんにしなさい!!!」
ジュナの口から激怒が響き渡った。今すぐ止めなければ、ぶん殴ってでも止める。そういう物騒な脅迫が、襲ってくるかのようだった。あまりの迫力にグレンとジュピターは取っ組み合ったまま、動きを静止させる。
「あの………」
遠慮がちな声がかけられた。ジュナが振り向くのに、グレンとジュピターも一旦、落ち着いて視線をやる。
茶色の作業服を着た老年の男だった。グレンも見覚えのある、
「あれ、直してもらえるんでしょうね?」
管理人は言って、ある一点を指す。
普通に、常識の範囲内で利用していれば、まず空かないだろう大穴が地面にあった。まるで激しい落雷が
グレンたちは、それぞれで顔を見合わせた。公共施設の利用は大事に。昔、聞いたことのある一節が脳裏を掠める。
「はい、すみません……」
三者は素直に、大人しく頭を下げた。
なんとも情けない、新たな船出だった。
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