イン・ザ・パスト 6
曇天の空を竜が飛んでいた。
この日は荒天の予報もあり、海風の厳しいレースとなった。
各竜、体力を削られていく。グレンは他の竜を風除けに使い、ゴルトを群れの中に潜ませていた。海風に
先頭を飛ぶ竜は風除けに利用されやすく、誰も突出したがらない。竜たちの群れは団子のような状況だった。そのままレースは進み、終盤。一頭、群れから抜け出す青い竜の姿があった。仕掛けどころと判断したのだろう。
「俺たちも行くぞ!」
グレンはゴルトの手綱を引き、進路変更の指示を出した。先に抜け出した竜の後ろに引っ付いて行けば、風除けにもなるしゴール手前で抜かす体力も温存できる。
ところが、ゴルトは従わない。手綱に逆らって、ぐっと口を引き結び、微動だにしなかった。
ゴルトは従順な性格で、今まで指示を無視したことはなかった。前例のない事態、それがクラウンレースで発生している事実に
その間に青い竜が遠ざかる。今、動かねば間に合わない。
「おい、ゴルト! ゴルト!」
呼んでも動じない。応えない。
グレンは思い当たった。もしや、海風によって体力を削られ、スタミナを奪われてしまったのでは。
ゴルトはスタミナも化け物級だが、それは普通のレースでの話。クラウンレースには出場者を狂わせる重圧がある。人の感じるそれを、竜だって感じてしまうのだ。
ゴルトは人の言葉でも、簡単なものであれば理解できるほど頭が良い。グレンの心情を把握していても不思議ではない。
だとすれば、自分のせいだ。自分の未熟さがゴルトを非力にまで追いやった。グレンは手綱を動かすのを止めた。
ゴルトに勲章を取らせてやりたかった。グレード・ワンを勝てれば、それがクラウンレースであったら、ゴルトは歴史に名を刻むことになり引退後の暮らしも保障される。夢を見せてくれた、人々の夢を背負い懸命に飛んだ相棒に恩返しができる。その全てが消えてしまった。
最早、グレンにできることは、ゴルトを無事に帰すようゴールまで導くのみ。
そのとき、グレンの指に熱さがやって来た。実際に熱を感じたのでない。身を震わせる雰囲気が、手綱を通して伝わってきたのだ。
見れば、ゴルトが手綱の先、ハミ部分を強く噛んでいる。普段、優しく穏やかな形をしている青の瞳は鋭く尖り、表情は闘志を象ったような強面だった。
隣を飛行していた竜が恐れて距離を取る。群れの中心にあってゴルトの周りだけが空く。それを気にしない素振りで、ゴルトは真っ直ぐ前方を睨みつけていた。
これは、体力が底を突いた竜の顔だろうか。これが、重圧を受けて本調子でない竜の瞳だろうか。違う。けして、違う。ゴルトは勝つことを諦めていない。
『相棒を信じろ。そうすりゃ、結果はついてくる』
考えなければいけない。なぜ、ゴルトは指示を拒否したのか。それには明確な理由があるはずだ。冷静に考えろ。状況を整理しろ。
グレンとゴルトは群れの中心あたりに位置し、風の影響は少ない。たぶん、ゴルトの体力は充分にある。現在、レースは残り三キロメートルほどの終盤。同じく群れの中心で体力を温存していた青い竜が抜け出し、そのまま逃げ切ろうと先頭を飛んでいる。青い竜との距離は、約五十メートルだろうか。
「そんなに、離れてない?」
グレンは驚いて呟いた。およそ時速九十キロメートルで飛行する竜にとって五十メートルは二秒ほどの差であり、残り三キロメートルであることを考慮すれば安全な距離ではない。肉眼で捉えられないほどの位置まで逃げるのが理想だ。それは、クラウンレースに出場できるほど実力のあるライダーなら知っているはず。
なぜ、やらないのか。いや、できないのか。どうして。
目を凝らすグレンの視界で、青い竜が突如として飛行体勢を崩した。苦しげに翼を打ちつけている。背に乗るライダーが体勢を立て直そうと必死に手綱を動かした。あれは完全にスタミナ切れの状態だ。レースは残り二キロメートルを切ったが、ゴールまで保たないだろう。
しかし、理由がわからない。青い竜は体力を温存して、絶好のタイミングで抜け出した。他の竜はなく、邪魔はいない。通常なら、そのまま押し切れる展開のはずだが。
何か、通常にないものが、青い竜の体力を削りスタミナを底尽かせたのか。
「風か……!」
グレンは
海風は陸に比べて強く、しかも今日は荒天予報が出るほどだ。異常な強風である。だから、竜たちは風除けにすべく群れの中を取り合った。単独で前に出て、強風に
残り三キロメートルでのスパートは常道だろう。だが、今日に限っては愚策だ。ラストスパートが早すぎたのだ。強風に打ち勝ちながら残りを飛ぶのは、
ゴルトは待っていたのだ。グレンの仕掛けは早すぎると悟り、じっと仕掛けの時を待っていた。焦る相棒を押さえつけて。
「おまえは、すごいヤツだよ、本当に」
グレンから余計な力が抜けた。
ゴルトが、ちらりと後ろを見て表情を和らげる。相棒は、やれやれ、とでも言いたげで、反論しようにも迷惑をかけた申し訳なさで完敗と認めるしかない。グレンは笑いそうになるのを我慢した。まだ、レースは終わっていない。
ゴルトと呼吸を合わせる。相棒が、どこで仕掛けたいのかを考える。レースは、残り一キロメートル。前を、やっとの状態で飛んでいる青い竜は、他の竜たちが追撃して呑み込んだ。各竜、団子のまま先頭争いをする。
ゴルトがハミを噛んで引っ張った。ここだ。グレンはゴルトの首を押し、ラストスパートの合図を出した。
黄金色の閃光が空を切り裂いた。乱戦の状況で、竜たちの間を華麗に縫い、ゴルトは先頭に飛び出た。一気に加速して他の竜を置き去りにする。曇天の中、一条の光が輝きを放ちながら、すっと延びていった。
そのままゴールへ飛び込んだ。グレンが後ろを確認すると、他の竜は遠くにあり肉眼で捉えられなかった。文句なしの圧勝だった。
ふん、と、ゴルトが得意気に鼻を鳴らす。グレンは相棒の頭を
曇天だった空から一筋の光が射した。激しかった風は止み、遠くから人々の歓声が聞こえている。幼き日に憧れた情景が蘇る。グレンは手綱を操って、ゴルトの首を観客の方へ向けた。素晴らしい相棒を称えてほしい気持ちが溢れていた。
景色が滲む。グレンは声を出して泣いていた。
その夜、ボルテシア竜舎は歓喜に沸いた。グレンも慣れない酒を飲んで騒いだ。こんなにも美味しい酒を味わったのは初めてだった。
クラウンレースを経験したことによりグレンは自信を深め竜乗りに磨きが掛かり、ゴルトの体も成熟し力を増していった。誰もが勝利を疑わなかった。
そして、
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