イン・ザ・パスト 5
「まーた来たのかよ。おまえ、ライダー廃業して
彼は言いながら近づき、グレンの首に腕を巻いて捕まえる。ガハハと笑い声を上げ、身動きできないのを良いことに側頭部を拳でぐりぐりと押した。
本気でないだろうが、痛い。ジェルトも、よく、こういうスキンシップを好んだなと思い出す。
「いいだろ、別に」
「はーん。おまえ、グレード・ワン初優勝が懸かって、緊張してやがんな? 相棒の顔でも見て落ち着きてぇんだろ」
「…………いいだろ、別に」
グレンは、ぶっきらぼうに応えた。図星なのだが、はっきりと認めてしまうのは悔しい。
デビューしたゴルトは期待通り、圧倒的な強さで連勝街道を突き進んだ。今や、子どもから老年まで、幅広い世代から人気を得るドラゴンレース界のスターだ。
勝ちっぷりや見た目の美しさだけでなく、家族経営の小さな無名竜牧場出身ということや、血統的に平凡ということ、背にしているのが若き天才というのも人気沸騰の要因だと言われていた。
ドラゴンレースでは竜の年齢に数え年を採用している。三歳でデビューしたゴルトも、年が明け四歳になった。ドラゴンレースで四歳とは重要な意味を持つ。グレード・ワンの中でも特に伝統を誇るクラウンレースは、四歳の竜のみ出場が許されているからだ。
クラウンレース。
「ま、
ザムはグレンを解放するなり、背中をばんと叩いた。グレンはよろけながら足を踏み出す。やはり、痛い。自身で背を擦りながら、鈍い動作で歩んだ。
竜の住まいは人の部屋でいうワンルームだ。一頭につき、一部屋が宛がわれる。煉瓦造りの壁が正方形になっていて、出入り口の扉は上半分がなく、扉を閉めた状態でも竜が外へ首を出せるような構図だ。床には寝わらが敷き詰められており、グレンも寝転がったが、なかなか弾力性があって柔らかい。
「ゴルト」
相棒の住まいまで歩んで、グレンは呼んだ。黄金色の竜はすぐに顔を出し、グレンの胸辺りに頬を擦り寄せる。その状態で
ふと、ゴルトの様子が変わった。彼はしきりに鼻を動かし、グレンの身体中を探る。そして上着のポケットに不自然な膨らみを発見し、彼は青い瞳を輝かせた。グレンの笑みが深くなる。
「鼻の良いヤツだ。おまえが欲しいのは、これか?」
グレンはポケットから、一個のリンゴを取り出して見せた。ゴルトが喜色満面の表情で口を開ける。早くも、よだれが垂れかかっていた。
竜の味覚は、大雑把に言えば人と同じらしい。特に甘味は人と変わらないようで、大体の竜は甘い果物が好きだ。
ゴルトの大好物はリンゴだ。以前、誰かにもらったものをポケットに入れたまま会いに来たとき、興味を示したので与えてみたら気に入ったようだ。それ以来、会いに来るときはリンゴが手土産だった。
「ほら、投げるぞ」
ゴルトが大きく開けた口へ丸ごと放り込んでやれば、鋭い牙と強力な
「おまえは、いつも通り変わらないよな。緊張とかしないんだろうな」
のんきにリンゴを頬張っている相棒へ、グレンは話しかけた。
「知ってるか? トリプルクラウン確実って言われてるんだぞ? 誰もやったことないのにな。期待しすぎだよな」
グレンは溜め息を吐いた。
天才と持てはやされているが、グレード・ワン優勝の経験がない若手ライダーであることに変わりない。ずっと勝てる機会を待っていた。それが、まさかドラゴンレース最高峰のクラウンレースで、しかもトリプルクラウン確実とまで期待される竜とは誰が想像できたろうか。
グレン自身が一番、驚いている。若くして素晴らしい竜に出会えたことも、周りから期待されることが、こんなにも重圧となってのしかかろうとする現実にも。
「なぁ、ゴルト。俺は、おまえを勝たせてやれるんだろうか」
グレンは元々、地位や名誉や財産というものに興味はない。よく知らない連中に記録だとか賞金だとかで騒がれるのは面倒でしかない。
単純にドラゴンレースが好きで、やるからには負けたくないという意地があって、勝てば大切に想う人たちが喜んでくれる、それだけで充分だった。
けれど、ゴルトに関しては違った。彼のために勝ちたいと願っていた。
ドラゴンレースには莫大な資金の流れがある。オーナーは良い竜を手に入れようと金を使うし、竜牧場も高い値段で売れるよう努力して竜を生産する。観衆はレースに大金をかけ、それが巡って国の資金となる。途方もない規模で、金が流れていく。
そんなドラゴンレースのために品種改良を加えられた竜たちは、人間のエゴが生み出した究極の経済動物だ。彼らには常に、利益か損失かが付きまとう。
活躍した竜はレースを引退した後、優秀な子孫を残すため生まれた竜牧場へ帰る。資金力のある竜牧場が、優秀な血統を求めて大金を出して買い取る場合もあった。
しかし、活躍できなかった竜は劣等と判じられ、子孫を残す権利はない。引き取っても生産性がなく、費用はかさむばかりだ。管理できる竜にも限りがあった。だから、活躍できなかった竜は引き取り手がいなくなる。
運良く観光地や養老を専門とする竜牧場に引き取られる場合もあるが、ほとんどは行き場を失い安楽死だろう。
生き残るために名誉が必要だ。人のエゴによって品種改良された彼らは、生きるために飛ぶしかないのだ。人の都合のために。
大切な相棒であるゴルトを、生まれた竜牧場へ帰してやりたい。彼の子どもや孫にレースで乗って、勝って、血統の行く末を守ってやりたい。それがグレンの夢だった。
考え込むグレンの腕をゴルトの鼻が突っついた。彼はリンゴが出たのとは反対のポケットを、しきりに気にしている。グレンは口元を綻ばせ、ポケットからリンゴを取り出した。ゴルトが喜んで足をジタバタさせる。大きく開けた口へ、グレンはリンゴを放った。
「おまえはゴルトに肩入れしすぎだ。竜に同情するライダーなんぞ大成しねぇ」
背後からの声に振り返れば、いつの間にか来ていたザムが浮かない顔で腕を組み眺めていた。どうやら、グレンの独り言を聞いていたらしい。
「ま、気持ちはわかるがな。長年、調教師やってるが、ここまでの逸材は見たことがない。もう定年だって諦めてた夢を、思い出させやがる。
人々の夢を背負う、黄金色の竜。グレンの肩に重圧が迫る。
「ザムじいさん、俺は、上手く乗れるだろうか」
弱気が零れた。グレンは助言を求めてザムを見る。ドラゴンレース界で長く活躍する彼ならば、不安を取り除いてくれるという期待があった。
「相棒を信じろ。そうすりゃ、結果はついてくる」
ザムは、にかっと笑った。勢いだけでない、実感を伴った
リンゴを食べ終わったゴルトが、また、腕を突いた。リンゴを要求する彼に、もうない、と正直に告げれば、彼は心底からだろう残念そうな瞳を向けてきた。
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