イン・ザ・パスト 4

「ドラゴンレース界の天才、グレン・クリンガー特集」


 コクが雑誌を手にし、からかう様子で記事を読み上げた。最近、彼は髪型をオールバックへ変えたが、アウルから小悪党みたいだと酷評されたばかりだ。彼が童顔ゆえ威厳がなく見えるのだろうが、童顔はグレンにとっても他人事ではないので強く言えないでいる。


 グレンは上質な生地のソファーで寝転び、不機嫌に表情を歪め天井を見つめた。自分の特集記事を、同期の親友に読み上げられる。これは、なんの罰ゲームだろう。


「デビューして即、初勝利。新人ライダーの年間勝利数の記録を塗り替え、三年目の今年も着々と勝利を積み上げている。グレード・ワンの最年少優勝記録も目前か……だってよ」


 コクはグレンの近くを歩き回り、ご丁寧にも聞きやすく、はっきりと読み上げた。グレンは羞恥で口を尖らせる。


「おまえ、アナウンサーでも目指してるのか」


 グレンは憎まれ口を叩いて寝返り、ソファーの背もたれに隠れた。コクの笑い声が聞こえる。


「悔しい気持ちもあるけどよ、嬉しいんだよ。同期の仲間だからな。なぁ、機嫌直せよォ」


 コクはソファーの背もたれに上半身を乗せ、グレンの脇腹をくすぐった。グレンから笑い声が漏れ出る。それにコクの笑い声も混じり、部屋に響く。


「僕の部屋で、じゃれ合うなよ」


 アウルが呆れた様子で、テーブルに二つのマグカップを置いた。けして安価でないだろうマグカップから、香り良い紅茶の湯気が立ち上る。もうすぐ春になろうかというのに肌寒い今日、より美味しく感じることだろう。


「アウルの部屋が一番、広いじゃねぇか。金持ちなんだから文句言うなよ」


「なんだ、その理屈」


 コクが素早くマグカップを手に取り、定位置となっている一人がけ用ソファーに腰を下ろす。アウルも自分用のマグカップを持ち、笑いながら、グレンがいるのとは別のソファーに落ち着いた。そこがアウルの定位置だ。


 新築で真新しい壁のリビング、ソファーが三つに、デザイン性のあるガラステーブル、大きなテレビに最新型キッチンまで完備。アウルの部屋は二十一歳が住むにしては豪華だ。


 ライダーとしての稼ぎより名家らしい実家の影響とグレンは思うが、家庭事情についてアウルは良い顔をしないので質問したことはない。


 部屋が居心地良いのも確かだが、何だかんだアウル自身が許してくれるので三人の溜まり場となっていた。


「グレン、嬉しいのは僕も同じだ。同期として誇らしいよ」


 感慨深そうに言ったアウルはグレンに温かい目を向け、ゆっくり紅茶を飲む。彼の耳の辺りは、髪が伸び刈り上げでなくなった。より洗練された印象だが育ちの良さが滲みすぎていて勝負の世界では心許ないので、いっそプラチナブロンドに染めてはとコクから提案されている。


 同期二人からの温かい視線が気恥ずかしく、グレンは上半身を起こしソファーに座り直すと、照れ隠しに紅茶をすすった。


「おまえたちだって順調に勝ってるだろ」


「そりゃ、普通のレースはな。グレードレースは遠いぜ」


 コクが身体を大きく伸ばし、天井を見上げる。


 グレードレースとは、レースの格式に『グレード』が付与されているものの総称だ。年に行われるレース数が限られ、与えられる名誉も賞金も通常より多い。デビューしたライダーは、まず、グレードレースの勝利を目指す。


「グレンは、スリーとツーを勝ってるね。あとはグレード・ワンだけだ」


 アウルが興奮気味に身体を乗り出す。グレンは浮かない顔で頷いた。


 グレードレースの中にも格付けがあり、低いものから『スリー』『ツー』ときて、最も格式高いものが『ワン』と呼称される。グレード・ワンは年に十種類しか開催されず、それこそがドラゴンレースの最高峰だった。


 グレード・ワンは若くして勝てるものではない。一生、勝てずに引退するライダーがほとんどだ。それに、グレンには大きな壁があった。


「俺は竜に恵まれないからな。代役ばかりじゃあ難しい」


 グレンは、まだ熱いマグカップの紅茶を飲み干した。無理に流し込んで、胸中の歯がゆさを消してしまいたかった。


 アウルとコクは考え込み、呻る。彼らも思い当たるのだろう。


「高いレベルで勝負できる、強い竜を持ってるオーナーは少数だ。有力オーナーは当然、実力のあるライダーを抱えてる。ここぞという勝負時、若造のおまえより、信頼できるお抱えライダーに依頼するのが常道だよなぁ」


「人付き合いが下手すぎるんだよ、グレンは。愛想がないんだ」


 二人が口々に畳みかけるのに、今度はグレンが呻った。言い分が正しすぎて反論の余地がない。


 ドラゴンレースは様々な人が携わっている。


 まず、ドラゴンレース協会が競技自体を管理し、国と連携しながら賭博も統括している。


 次に、その協会に属し、竜を所有するオーナー。竜の購入、育成費、レース出場費など金銭面を担っている。基本、所有する竜のあらゆる決定権はオーナーにあるため立場が強い。


 そのオーナーが竜を預けるのが、調教師を筆頭とした竜舎りゅうしゃのスタッフ。竜が暮らす環境を整え、鍛え、大切に育てる役目を担う。


 そして、レースに出場したとき必須なのがグレンたちライダーだ。


 竜の全権はオーナーにあるのだから、知り合い、気に入られなければレースの依頼は来ない。例え、調教師に好かれていたとしても、オーナーが拒否すればそこで終わりだ。ゆえにオーナーとの付き合いがライダーの成績を左右する。


 こうして一つずつ考えていくと、ライダーとは末端なのだと思い知らされる。


 ドラゴンレースは勝負の世界であり勝ち負けが最重要ではあるが、人脈というのも必要になるのだ。それがグレンには歯がゆい。竜乗りが上手い、それが全てでは駄目なのだろうか。


「協会が主催するパーティーに面倒臭がらず行けよ。良いオーナーと知り合えるぜ」


 コクが諭すように言った。彼は人付き合いが上手い。他人との距離感がちょうど良いのだろう。コクの評判はグレンの耳にも入ってくる。竜乗りの失敗が少なく、玄人のようだと賞賛する声もあった。


「グレンなら問題ないさ。結局は、腕の良いライダーに強い竜が集まる。世間の人気もナンバーワンだし、世論に推されて乗せたくなるオーナーもいると思う」


 アウルは穏やかに元気づけてくれる。彼の実家は名家で、親は竜の有力オーナーだ。知り合っているオーナーは、親の付き合いで元から多いと聞く。何より実力があるのだ、いずれ、スターになる可能性は大きい。


 彼らは、グレンより自分の方が劣っていると考えるだろう。しかし、グレンには、彼らの方が眩しく見えるのだ。無い物ねだり、かもしれないが。


 部屋の空気が重くなっていく。意気消沈するグレンの尻から、突然、携帯電話の着信音が鳴り響いた。話題の変化にグレンは胸を撫で下ろし、携帯電話を操作して通話を許諾きょだくする。


「はい」


『おう! 今すぐ、竜舎りゅうしゃまで来い!』


 老いてしわがれた声が叫んだと思えば、すぐ通話が切れる。見知った相手であり毎度のことなので、グレンは慣れた手つきで携帯電話をしまった。


「ザムじいさんからだ。呼び出された」


 グレンは二人に告げ、帰り支度を始める。二人は納得した顔で頷いた。


 ザム・ボルテシアは調教師だ。七十歳を超え、もうすぐ定年を迎える老人であるが、数多くの豪快な伝説を残し、今でも自ら竜に乗り調教を行う化け物である。


 そんな彼が呼ぶのだから、早く向かわねば後でどのような責め苦に遭うのか分からない。竜乗りを教えてくれた牧場長ジェルトの友人であり、グレンを気にかけてくれる人物だから恩もある。


 グレンは別れの挨拶もそこそこに、部屋を後にした。駐車場に停めていた愛用のオートバイにまたがり、ハティア・レース場の竜舎りゅうしゃを目指す。


 途中、何台もの竜運搬車りゅううんぱんしゃとすれ違った。年が明け春が近づくこの時季は、デビュー前の若い竜が竜舎りゅうしゃに預けられ始める。将来、世間を賑わせるかもしれない金の卵たちだ。


 ドラゴンレース関係者は慌ただしくなるのだが、特に竜を預かる立場である竜舎りゅうしゃスタッフは大変だろう。ザムの用件も、おそらくは、それ絡みだとグレンは予想していた。


 竜舎りゅうしゃの区画へ入り、簡素な紐で区切られただけの駐車スペースにオートバイを停める。ボルテシア竜舎りゅうしゃに顔を出したが当の本人は姿がなく、馴染みの竜舎りゅうしゃスタッフから調教場の方だと教えられ、竜舎りゅうしゃ区画の奥へ進んだ。


 ほどなくして目的の人物を発見した。赤いキャップを被り、黒革のジャケットを着込んだ老人。背が低く細身だが背筋はぴんと伸び、佇まいには渋みと威厳が混じっている。


「ザムじいさん」


 呼びかけると、彼はゆっくりと振り返った。口周りの適度に伸びた白髭が、笑顔につられて動く。


「来たか」


 ザムは短く応じて、すぐに視線を前方へ戻した。常ならグレンを見つけるなり騒いで、腹に二発三発と拳を当てじゃれてくるのに、今は視線の先が気になって仕方がないらしい。


 一体、何を見ているのかグレンは知りたくなった。ザムの隣に並び、彼の視線を追う。


 そこには美しい黄金色こがねいろの竜がいた。装具を付けた状態で、竜舎りゅうしゃスタッフを背に佇んでいる。竜にも様々な色はあるが金色は珍しい。青空で舞う姿は、存在するだけで人々の目を奪い魅了するものだ。


 だが、グレンは、別の理由で釘付けになった。


 均整の取れた四肢はしなやかで、筋肉の盛り上がりが素晴らしかった。色艶の良い肌、体格、姿勢、目に付くもの全てが一流だ。


 何よりも、その竜はまとう雰囲気が他と段違いだった。調教場には他の竜もいたが、彼らは強者であるのを察しているのだろう、黄金色の竜に怯え近寄ろうとしなかった。黄金色の竜は、まだデビューしていない若さであるのに、既に王者の気品と風格が備わっていたのだ。


 黄金色の竜は翼を広げ、大きく打ちつけた。ふわり軽やかに飛び上がり、一気に加速して上昇していく。空中で少しも姿勢が乱れない。強靱な翼と可動域の広さ、それを支える筋肉が良質な証だ。グレンは息を呑んだ。


神竜賞しんりゅうしょう、獲るぞ」


 ザムが熱を込めて呟いた。老人の瞳は燦爛さんらんと輝き、野心をたぎらせている。


「乗らねぇなんて言わんよな?」


 ザムは口の片端を悪戯っぽくつり上げた。彼は答えの判りきっている問いを、あえて投げてきたのだ。


「あいつに乗らなかったら、俺は死ぬまで後悔するよ」


 グレンは不敵に笑おうとして、身体が震えていることに気づいた。ライダーとしての本能が、神竜しんりゅうの器に出会えたことに喜び打ち震えていたのだ。


 ひとっ飛び終えた黄金色の竜が降りてくる。それはグレンの上を旋回して、目の前に着地した。


 黄金色の竜は見惚れ立ち尽くすグレンを認識すると、じっと見つめてくる。ガラス玉のような安物でない、宝石よりも深い、空をそのまま切り取ったような青い瞳だ。


「こいつの名前は?」


 自然と手を伸ばしていた。グレンが鼻っ面に掌を置くと、黄金色の竜はふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。


「こいつはゴルトってんだ。どっかの言葉で『黄金』って意味らしい」


「ゴルト」


 呟けば、ふと、竜の表情が柔らかくなった気がした。黄金色の竜は首を伸ばし、グレンの掌に頬を擦り寄せる。甘えているようだ。グレンの頬が緩む。


「おまえら仲良くやれよ。大事な相棒になるんだからなぁ!」


 ザムが豪快な笑い声を上げた。彼はグレンたちの様子を満足げに眺めると、ゴルトの背にいた竜舎りゅうしゃスタッフと幾つか言葉を交わし、連れだってその場を離れた。


「相棒、か」


 グレンは呟いて、ゴルトのあごの下や首筋をでた。


 この出会いは運命的なものだという確信があった。いつかライダーを引退したとき、一番の相棒はと問われたら、きっと黄金色の竜を挙げるのだろう。彼の飛ぶ姿を思い起こし、あいつは最高だった、と笑って。


 ゴルトの青い瞳が嬉しそうに細められる。でられるのが好きなのか、彼は気持ち良さそうな声で鳴いた。

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