イン・ザ・パスト 3
ライダースクールの入学式は簡素なものだった。
参加者は教員と、新入生のみ。厳かな雰囲気は、これが一般的な学業への従事でなく、独り立ちし己の力量で生きていく社会人の始まりを告げていた。
これから三年をかけて、ライダーとしての基礎を学ぶ。国中から集まった精鋭、厳しい倍率を突破してきた新入生の誰もが
少なくとも退屈で眠気を堪えている自分よりは、と、グレンは欠伸を噛み殺した。
厳かであろうが、入学式は、入学式だ。校長の長い話があって、強面の教員が小難しい規則を読み上げるのは変わらない。早く竜に乗りたい。グレンは
「新入生代表、アウル・ラゴー」
「はい!」
グレンの隣に着席していた男が声を張り上げた。驚きで眠気が飛び、背筋が伸びる。横目でちらりと窺えば、彼は席を離れ新入生たちの前へ歩んでいった。
背はグレンと同じくらいか。整った面差し。澄みきった緑色の瞳。耳のあたりを刈り上げたブラウンのソフトモヒカンは、オシャレというものに興味がなくても分かるほど洗練されていた。一目で育ちの良さが伝わる男だ。グレンとは何もかも、たぶん出自から全て違って見えた。
新入生代表で呼ばれるということは、彼が成績最優秀者なのだろう。将来、ライバルになるかもしれない。グレンは、アウル・ラゴーという名前を頭に叩き込んだ。
入学式が終わり、新入生は解散となった。授業は翌日からということで、よく
しかし、グレンには
入学式を行った講堂のある校舎、それに併設される形で屋外の訓練場がある。寝食を過ごす宿舎とは反対側だ。国内屈指の広さを誇るハティア・レース場と比較して遜色ない規模という訓練場は、ジェルトの竜牧場より大きいのだろうか。一体、どれほどの広さなのかグレンは楽しみだった。
見回りの教員を避け、宿舎を抜け出す。辺りに気を配りながら訓練場を目指す。
ようやく訓練場まで辿り着いたところで、見覚えのある顔に出会した。彼も支給ジャージに身を包み、訓練場の入り口から辺りの様子を探っている。
グレンは思い当たった。きっと、彼も同じことを考えたのだろう。何もかもが違っても、なんてことはない、竜が大好きなのはグレンと同じなのだ。
嬉しくなったグレンは、悪戯を仕掛けたくなった。
「アウル・ラゴー」
そっと近付いて、背後から声をかける。すると彼は飛び上がって、大声を出しかけたのを両手で塞ぎ堪えた。強張った表情と視線が振り返る。
「すみませっ……」
教員に見つかったと思ったのだろう。彼は姿勢を正し頭を下げようとしたが、笑いで口元を歪ませたグレンを認識し、強張った表情から気の抜けた顔へなった。
「君は、隣の席で寝ていた……ええと……」
グレンは、う、と呻る。さすがは優等生。よく見ている。
「グレン・クリンガーだ」
グレンはアウルの肩をぽんと軽く叩いて、彼の横からこそりと訓練場の中を窺った。
優等生もいるのだし、これはもう、教員に見つかったとしても許されるのではないか。免罪符を手に入れたことで、説教される面倒さよりも早く竜に乗りたい楽しみの方が増してくる。
あ、ああ、と、ぎこちなく応えたアウルは、おずおずと横に並んできた。
「あの、なんで、ここに?」
戸惑う視線が向けられる。グレンは彼へ顔を向け、首を傾げた。
「なんでって、竜に乗るんだろ?」
それ以外に理由はないし、思いつかない。当然だろ、と表情で示す。
互いに目を丸くしたまま見合った。そのまま、数秒。突然、アウルが笑いを零した。
「はは、そうか、そうなんだ」
何かを一人で納得している。状況が掴めないグレンは不満を表して眉根を寄せた。
「いや、ごめん、まさか君も竜に乗りたいだなんて気づかなくて。不真面目な生徒だと思ったものだから」
笑いすぎたのか、アウルは目尻に堪った涙を拭っている。
推測するに、グレンは入学式の態度から悪い印象を持たれていたのだろう。名声だけを欲してスターになりたいばかりの、竜に
実際、ライダースクールの入学試験で、そう話す輩はいたから無理もない。見た目からして真面目そうなアウルにとっては、入学式で眠るなどその輩と同列なのだ。
グレンの態度が招いた事態だ、文句の言いようはないが。ただ、一つだけ的を射ているものがある。それが面白くて、グレンは口端をつり上げた。
「不真面目な生徒ってのは間違いじゃない。真面目なヤツは、今頃、部屋で休んでいるさ」
教員の言いつけを破り、ここにいる時点で不真面目なのだ。
アウルは笑うのを止めた。
「確かに」
素直に呑み込んで、何度も頷く。その行動はグレンを笑いへ誘い、堪えきれず吹き出してしまう。
「おまえも不真面目ってことだからな」
「ああ、確かに」
今度は二人で笑い合った。慣れない感覚だった。
級友と心の底から笑い合うのは、グレンにとって初めての経験だ。今まで生きてきた中で、他者との違いやズレを感じ、何となく遠ざけてきた。級友たちが楽しめる話題は興味がなく、グレンが楽しい話題は級友たちの気を惹かなかった。
近くにあっても引き寄せ合わない、全く触れない磁石。自分と他人とは、そういうものだと割り切っていた。
今、グレンは心地良いと感じていた。仲間と笑い合うことが、こんなにも気分を高揚させるのだと初めて知ったのだ。本当に、楽しい。人に対して、そう思える日が来るなんて。
「あれ、おまえら……」
二人の背後から別の声が投げかけられた。笑いすぎてしまった自覚のある二人は、今度こそ教員に見つかったのだと
「なんだ、オレと同じ新入生じゃねーか」
視線の先にいたのは褐色の肌に坊主頭、彫りが深いサル顔の男だった。グレンたちと同じジャージを着て、右手を挙げながら笑顔で陽気に歩いてくる。
「オレはコク・ヴァランだ。よろしくな」
彼が名乗るのに、呆気に取られながらも二人は自己紹介した。コクは右手を差し出し、惑う二人と強引に握手していく。
「ここにいるってことは、おまえらもだろ? フライングで竜乗りに来たんだろ? はは、オレと同じ竜バカが二人もいるなんてなぁ。世界は広いねぇ」
コクは笑顔に楽しげな感情を含ませた。そこまで聞いて二人は合点する。どうやら、お仲間が一人増えたようだ。
グレンは、アウルとコクの顔を眺めた。本当に、世界は広い。自分の感覚を共有できる存在が、二人もいるなんて驚きだ。
「楽しくなりそうだ」
グレンは呟いた。この上なく、自分が生き生きしていると認識していた。彼らも思いは同じなのだろう、嬉しそうに朗らかな表情で頷く。
「早く竜に乗りたいな」
アウルは素直に心情を零しながら訓練場の中を窺った。グレンも続いて中を覗けば、上級生らしい数人が竜で飛行している。着ているジャージに違いはないし、ヘルメットを被れば新入生と知られないだろう。
「入学試験の成績が歴代一位だって噂のアウル・ラゴーが練習熱心とは、同期のライバルとしちゃあツライねぇ」
コクは、グレンとアウルより低い姿勢になって訓練場を覗く。彼は二人より身長が低かった。
「歴代一位に興味はないよ。それよりも、技術試験で満点だった男の方が気になる。僕は満点を取れなかったからね」
ピクリ。グレンは心臓が跳ねるのを感じた。なんとなく気まずさが胸中に広がって、話題へ入りにくい。
そんなグレンをよそに、コクが大きく反応して頷いた。
「ああ、オレも聞いたぜ、それ。筆記試験で散々だったのに、技術試験だけで突破してきたんだろ? ま、実際、デビューしたら筆記なんて役に立たないからな、そっちのが同期のライバルとしちゃ脅威か」
ピクリピクリ。グレンの心臓が大きく脈動する。ここまで来れば、確信するものがあった。
他の受験者の成績は知らないが、各自の元には結果の通知が来る。グレンの成績は彼らの言う通り、技術試験は満点で、筆記試験は散々だったのである。
件の人物が自分とは気まずいにもほどがある。だんまりを決め込もうと決意したグレンだったが、ふと、両端からの妙な視線に気づいた。見ればアウルとコクが、眉根を寄せ、不審を抱いているような目を向けている。
「グレンさんよォ、まさか……」
「グレン、ちょっと、いいかな」
両側にいる二人がグレンの肩を同時に捕まえた。逃がさないと言外に含ませて。
「な、なんだ」
平静を装ったつもりが、声が上擦った。グレンは内心で焦りながら、二人を交互に見る。その反応で充分だったのだろう、彼らは答えを得たとばかりに頷いた。
「良い情報を教えよう。ライダースクールには竜に乗る授業だけでなく、高校生として学問の授業もあるんだ」
「しかも試験があって、合格できないと落第するぜ」
追い打ちをかけるかのごとく、二人は悪魔みたいな底意地の悪い笑みを浮かべている。面白がっているのは、確実だ。そんな彼らが
うぐ。想定しない声が勝手に漏れた。
「あの、二人とも、筆記試験が散々だった俺に勉強を教えてくれませんかね……?」
白旗を揚げたグレン。二人は、素直でよろしい、と満足げに頷いた。
三人で話し込んでいると、いつの間にか、訓練場にいた上級生の姿はなくなっていた。今なら、発見されずに竜乗りができるだろう。
「じゃあ行こうぜ。技術試験満点の腕、見せてもらわねぇとな!」
最初に駆け出したのはコクだ。我先にと、訓練用の竜が繋がれている区画へ走る。
「僕も、じっくり見させてもらうよ。まだ負けたとは思わないからね」
アウルも駆け出す。ちゃっかり宣戦布告されたような気がする。
彼らを見送る形になって、グレンは呆然と佇んだ。
勝ち負けのある世界だ。国中の憧れを背負っていく立場でもある。夢だけでも、欲望だけでも生き残れない。もっと、暗黒めいた肉薄の争いを想像していたのだが。
彼らはグレンを羨むでも憎むでもなく、ライバルとして切磋琢磨していくことを示した。
「熱い連中もいるんだな」
ただ、ドラゴンレースが好きで。竜に乗りたくて、上手くなりたくて。純粋な思いに突き動かされる。そんな、自分と同じ人種。
グレンは口元を緩めた。楽しい日々になりそうな予感が背を押し、軽やかな足取りで仲間の元へ走った。
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