ダウン・アンド・アウト 3

 プシティア国は、一つの大陸からなる自然豊かな国だ。四季があり、季節によって景色が変わる。農業や林業など自然を生かした産業や、他の大陸と分かれているため独自に形成された文化を利用した観光業が有名である。


 プシティア国の首都ハティアは、フェルジャー大平原の一角にあり、背後にはマガローン火山をようするブルスタッド山脈がある。地形の助けあってか戦争の時代においては難攻不落を誇り、戦禍を免れ、現在も古都の町並みを維持している。赤煉瓦造りの民家、石造りの重厚で大きな城壁や門、歴史ある博物館、温泉など観光資源が豊富だ。


 朝日に照らされる町は物静かだが、観光に携わる人々は活動を始めていた。初夏らしい爽やかさと肌寒さでも、太陽の光は本格的な夏が近付いているのだと思わせるぎらつきがある。今日は暑くなりそうだ。


 生活の気配が起き始めた町に、グレンが乗るオートバイの排気音が響く。昔、中古屋で購入した、ネイキッドタイプの大型オートバイだ。青色を基調として銀色のパーツが散りばめられているカラーリングが、グレンは気に入っていた。


 ハティアが山裾やますそにあるゆえだろう、町の奥、山側から大平原へ向かう道は長い下り坂になっている。辿っていくと徐々に古都の町並みは薄れ、鉄やコンクリートを使用した現代的な民家や商業施設が目立つようになる。更に進めば民家がまばらになり、やがて大平原の壮大な景色が広がるのと共に、石造りの巨大な建造物が現れる。


 石造りの巨大な建造物は、町側から眺めれば、野球やサッカーが行われる円形のスタジアムに見えるだろう。しかし、大平原に面した片側は一面の壁が切り取られており、並ぶ座席が吹きさらしだ。上空から見れば、その建造物は横に長く広がった半円形であることが分かる。


 大平原と半円形の建造物。それこそが、ハティア・レース場。プシティア国で最古のドラゴンレース競技場であり、誰もが憧れる神竜賞しんりゅうしょうの開催地である。


 神竜賞しんりゅうしょう開催日のため、朝早くからレース場は人で溢れていた。多くの座席はチケット予約制だが、立見に開放された区画は先着制なので早朝から並ぶ者がいるのは珍しくない。また、入場料さえ払えば誰でも入ることができるので、雰囲気だけでも体感したい者、飲食やグッズ目的で楽しみたい者などもいた。


 ビッグレースが開催される日はお祭り騒ぎで、常に人で溢れるが、神竜賞しんりゅうしょうだけは空気が違った。関係者が持つ緊張や不安が伝染したように、観客たちもまた栄誉や伝統の重みを感じ、騒がしい中に恐れが混じる。神竜賞しんりゅうしょうこそが、ドラゴンレースの祭典と呼ばれるのに相応ふさわしい。


 人混みを避けつつ、グレンはレース場に沿ってオートバイを走らせる。建物の端まで行けば、レース場の外壁からせり出す形で増設され、大型トラックを悠々と呑み込めそうな大きさの機械的な門が姿を現す。物物しい警備員たちによって守られた、ここが関係者専用ゲートだ。


 グレンはゲートの手前で、オートバイを一時停止させた。フルフェイスヘルメットを外し、所属を示すスマートカード入りのパスケースをポケットから取り、仁王立ちする警備員へ差し出す。警備員は仏頂面のまま受け取ると、ゲートに備えられた器機にかざし、表示された顔写真とグレン本人とを見比べた。


 ほどなくして、確認を済ませた警備員がパスケースを返却してきた。機械の駆動音が鳴り、大きな扉が中央から割れ、横滑りで開いていく。パスケースを定位置に収納しヘルメットを被り直したグレンは、扉が開ききったところでオートバイを発進させた。


 薄暗い螺旋状の通路を下り、レース場の地下へ潜る。通路を抜け、駐車場と表示されたホログラムを通り過ぎ、開けた空間の隅へオートバイを停めた。ここがグレンの定位置だった。


 キーを抜き取り、降りてヘルメットを外す。エアコンの冷涼さ。嗅ぎ慣れた、カビとほこりと土の混じり合った古い建物の匂い。それから低い音程の、竜の咆哮ほうこう


 グレンはヘルメットをホルダーにかけ、オートバイのキーを左手で握り締めながら足を踏み出した。身体からだが強張っているのを自覚していた。冷たいキーを触る感覚で、金属を握る痛みで、それをごまかすのが常になっていた。


 レース場内部へ繋がる駐車場の自動扉には、数名の警備員が待機していた。その横を通り抜け、通路を進み、スタッフルームと表記された扉のドアノブを回す。背の高いロッカーが数多あまたに立ち並び、迷路のように入り組んだ室内には誰もいない。グレンは入室し扉を閉めた後、溜め息を漏らす。誰にも会わないことを安堵していた。


 グレンはロッカーの迷路を歩んだ。自分の名が記されたネームプレートの前で立ち止まり、ロッカーを開ける。そこに吊されていたのは、清掃員が着る制服だった。

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