第4話 つんつん

 特筆すべきことも変わったことも起こりえない、高校生活は非常に安定している。

 教室の窓からは明るく澄んだ空色。少し緑がかって、雲はかすれるように薄い。校庭には枯れ葉の掃き溜めがあって、風で舞ったりはしないかと心配になる。

 少し寒くて、指先を擦った。近頃は窓側より廊下側の席の方が寒いとか言われているが、そういう説を唱えているやつほど窓側を体験したことがない。

 そうしてくだらないことを考えているうちに、六時間目の授業もいつの間にか終わっていた。何かと無所属を貫く自分は、今日とて素早く下校の準備を始める。

「お前、今日嬉しそうだけど、なんか良いことでもあったのか?」

「別になんも」

「なんだよその匂わせ方、何かあるんだろ。どうせ地元の話かもしれないが」

「うむ。確かに地元っていうのは良いよな」

「おいおい会話すら成立してないじゃないか、田舎に脳でも侵され始めたのか?」

 級友は今日とて、言葉の節々に皮肉を込めた。


 スギノキ駅の前にはバスロータリーが広がっている。N市での移動は循環バスが中心だから、これが生活の要となる。隣には二階建ての駐輪場もあり、電車を利用する会社員や学生がこの場所に自転車を置いていく。自分もその利用者の一人だが、この時期はやはりハンドルが冷たい。手袋はまったく機能していないし、二月の寒さと言っても過言ではないだろう。しかし、まだクリスマスすら過ぎていないというから不思議である。

 一方で、駅前のムードといえばクリスマス一色に染まっている。十二月に入ってからというもの、駅前はやけに賑わいを見せる。それはイルミネーション企画の効果ともいえるだろうし、その企画に触発された売り込みについてもまたそうだと思う。例えば、杉の木ケーキとかいって丸太状のスイーツを販売してみたり、イルミネーションだからといってやたら金粉を散らしてみたり。そういった企画にあやかった企画というものが意外にも集客力を向上させていたりするのだ。


 そんな町のミニ経済みたいなことを考えながら、この日も自分は並木道を通る。空からはつねに金のシャンパンが注がれ、通行人はどことなくうっとりとした目で歩いている。

 自転車を徐行させていると、また昨日のように公園へ差し掛かった。特に深い意味はなかったけれど、なんとなくツリーの方を一瞥する。

 そして次の瞬間にはブレーキを踏んだ。

「……また倒れてる」

 思わずそんな独り言が出て、入り口ですぐに自転車を降りた。今度こそ大変なことになったのではないかと、昨日のように声をかける。

「大丈夫ですか、またこんなところで倒れてますけど」

「……え?」

 彼女はぼけっと口を開けて、それから目をぱちくりさせた。

「なんだ、良かった。心配しましたよ、また昨日みたいに倒れているんで」


「……もしかして君、私のことが見えるの?」

「え? 今なんて……」


「見えているの? 私のことが」


 どうにもこうにも様子がおかしかった。

 なにせ昨日とほぼ同じ内容の会話が、彼女との間で流れている。

 もしかしてタイムスリップしてしまったのかもしれない。なんて、ひどく子供じみた考えが浮かんだ。ただ、今この状況に至っては、簡単に否定もできない。

 あるいは彼女の記憶がなくなってしまっただとか、現在観測している彼女が別の誰かであるだとか。とにかく色々な情報が頭の中で溢れ、俺は軽く絶望を感じた。


「……嘘だろ」

 なんて、途方もない溜息みたいな言葉が漏れる。


「嘘じゃないよ、冗談だけどね」

「えっ?」


 すると彼女はぺろっと舌を出して、俺の頬をつんつんとつついた。

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