第3話 スギノキ

「じゃ、特に問題なかったみたいなので自分はこれで失礼します」

「ちょっと待って君」

「いやぁ、何もなくて本当に良かったです。お声がけしてしまい申し訳ない、ではこれで」

「いいから待って」

 そう言うと、彼女は強引に俺のことを引き留めようとした。

「嫌ですよ。出会ってすぐによく分からないこと言う人と一緒にいたくない」

「ああ、あれ冗談だから」

「冗談でもお断りです!」

 こういう十中十二くらい胡散くさい人と一緒にいてはいけないって、恐らく小学一年生が習うことなのだが。この人は冗談であれば何でも許されるとか、そんな甘っちょろい考えで生きてきたんだろうか。

「良いじゃん少しくらい。その感じじゃ、どうせ暇なんでしょ?」

「そうやって人を見た目で判断するのは良くないと思いますし、決めつけられるのは腹が立ちますし、自分はこれっぽっちも暇じゃないんでホント勘弁してください」

「えー、お願いだよ君。今の私は暇で暇で仕方がないんだ」

「いや、あんた暇人なのかよ」

 恐らく、今世紀最高にキレのあるツッコミができたのではないかと自負している。


「そっか、じゃあ生粋のNっ子なんだね」

「自分はその言い方嫌いですけどね」

 結局のところ、彼女の圧に負けた俺はスギノキ公園のベンチに座らされていた。

「じゃあN市のこととか詳しいんだ?」

「まあそれなりには」

 一応謙遜はするが、自分のN市に関する知識というのはN市検定準一級レベルに相当している。もちろんそんな検定など存在していないわけだが。

「それでは問題です!」

 デデン、というセルフ効果音が続く。

「スギノキ駅の由来となったものは何でしょうか」

「そんなの簡単ですよ、この公園に生えているヒマラヤ杉にちなんでつけられたんです」

「ブッブー! 残念、不正解です!」

 そう言うと彼女は、俺の頬や額の辺りを何度も指でつんつんした。

 自分はこのしてやったりな顔を三回くらいつねってやりたいところである。

「はい、正解はこのスギノキ公園でした」

「いやいや、ここってヒマラヤ杉が由来になってるんだし、さっきの答えでも十分正解でしょ」

「違うよ、スギノキ公園の由来はこれを造った建築家の杉田さん。ヒマラヤ杉は、あの駅が完成したときに記念で植えたもの。これぐらい常識でしょ?」

 すらすらと語る彼女の姿に、しばらくの間度肝を抜かれた。

「え、なんでそんな詳しいんですか?」

「それは私がここに百年以上住んでいるから」

「嘘ですよね?」

「冗談だよ」

 ふふっという彼女の微笑みには、少女の茶目っ気さみたいなものが感じられた。それに同い年くらいの可愛げな恥じらい、大人びた奥ゆかしさ、他にも色々なものが混じりあうので、その笑顔はかえって複雑な感情を滲みだしているように見えた。


 家まで自転車を漕いでいると頬がずっとつんつんしていた。マフラーを着け忘れた自分の怠惰さに加え、彼女のとがった指先を恨む以外ない。

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