第6話 隣はいつも青く見える①

 リクとナキリが自分を見つめている気配がする。二人がどんな顔をしているのか確かめる前に、アラトの唇はほぼ無意識に言葉を紡いでいた。


「マギカルトが評価されてここに来たんだから、使えなくなった時点で諦めるべきだったんだ。でもできなくて……だからといって描くことも怖くなってて……」


 描くことが好きで、描きたくて。マギカルトが使えるようになって、誇れるようにもなった。

 けれど使えなくなった瞬間、自分のすべてを否定されたような気がした。

 それが自分の考えすぎだと、また使えるようになるまで頑張ればいいと、頭では理解していた。

 だが使えない現実を目の当たりにする度に、何かがすり減っていくような感覚に陥った。

 使えないのは自分がダメだから。自分の描くものがダメだから。いいものを描こうと言い聞かせれば言い聞かせるほど、ペンを握る手が重くなった。

 たった一本の線を描くことが怖くなって。描けない自分を自覚することが怖くなって。不安から逃げたくて。

 遂には描くこと自体ができなくなった。

 それなのに紙もペンも捨てられなくて、それがまた滑稽に感じられた。

 自分がどうしたいのか、何をしたいのか、分からくなっていった。


「だから五星いつぼし君に褒めてもらえて。水留つづみさんに描いてほしいって言ってもらえて。本当に嬉しかったんだ」


 リクのマギカルトを見たとき、消える前に描きとめなきゃと、純粋な気持ちでスケッチブックを開いた。

 自分勝手に描いた、マギカルトもないざっくりとした絵。

 けれどそれを好きだと言ってもらえて。

 それから描いた絵も好きだと言ってくれて。


 アラトの表情が、ほんの少し緩む。


「マギカルトがなくても描いていいんだって思えて……」

「マギカルトがなくちゃダメなら、私なんてどうなるのよ」


 一方的に喋っていたアラトは、ナキリの涙声で我に返る。


「使いたくても使えないんだから。私は……アラト君とリク君が羨ましい……」


 語尾が消えていく声に、アラトは焦る。ナキリを慰めたいと思って話し始めたのに、いつの間にか一方的に語っていた自分が恥ずかしい。


「でも水留さんはマギカルトがなくてもすごいものが書けてるじゃない! 僕なんてマギカルトが使えなくなった途端、自信もなくなって、描けなくて……」

「それでも一度使えてるんだから」


 しかしナキリには刺さらないらしく、言い返されてしまう。


 もちろんナキリの言い分も、判る。アラトも同じ立場だったらそう言っていたかもしれない。

 けれど彼女をすごいと思う気持ちに嘘偽りはない。それをどう形にすれば伝わるのだろう。


 アラトが悩んでいれば。


「……俺は、二人が羨ましいけどな」


 不意にぽつりと、リクが呟いた。


「え?」


 思わず顔を向ければ、微かに瞳を伏せた横顔があった。


「俺は自分のマギカルトも、演じることも、別に何とも思ってない」

「何ともって……演技もマギカルトもできてるのに?」


 だからこそ、中庭でリクを見かけたとき、アラトは衝動的にスケッチブックを開いたのだ。


 リクは緩く首を左右に振って応える。


「ただ言われたからしてきただけだ。だからそこまで好きなものがあることが、羨ましい」


 普段あまり感情を表に出さないリクだが、このときばかりは彼のセリフから気持ちが伝わってきて、アラトは目を丸くする。


 だってアラトからすれば、マギカルトが使えることも、マギカルトが使えるくらいの技術があることも、羨ましくて仕方がない。

 それなのに、「羨ましい」?


「……何よ、それ」


 ナキリも同じことを考えたのだろう。

 潤んだ両目でリクを見上げていた。


「私はアラト君とリク君が羨ましくて。なのにアラト君は私とリク君、リク君はアラト君と私が羨ましいなんて……」

「だが実際そうなんだ」

「……隣の芝生はどこまでも青いってこと?」


 リクは応えず、何故か代わりにアラトに視線を向けてきた。まるでお前が答えろと言っているようで、「えっと」と反射的にアラトは口にする。


「そう……なのかな?」

「……変なの」


 首を傾げるアラトとリクを交互に見たナキリは、苦笑のように小さく笑った。それで肩の力が抜けたのだろうか。彼女は大きく息を吐き出すと、ほぼ涙の止まった目を改めて擦る。


「……謝らせて、アラト君、リク君。私……私ね、二人に声を掛けたのは、二人が校内で有名だったからなの」


 ナキリの話すことは、予想していたことではあったが――いざ本人の口から聞くと、重みが違う。見えない鉛が、まるで胸に圧し掛かってきたような感覚に囚われた。


「あなた達と一緒だったら、宣伝もできるし、私の名前も知ってもらえるはずって思った。そういうことを友達にも確かに話してたわ」

「……そう……」

「だけど、それだけじゃないの! リク君の声を聴いて、ボイスドラマをやったら上手くいくって思ったのは本当だし、入学試験のときのアラト君の絵を見て感動したのも、本当なの! 二人を誘いたいって思ったきっかけは打算的だったけど……でも、それだけじゃないの。本当に……」


 未だ涙で光る睫毛と共に真っ直ぐな瞳を向けられた際、アラトの脳裏に、リクの声が響いてきた。


『お前の絵を見たときの水留、楽しそうだったけどな』


 あのときのナキリの顔が、瞼の裏に蘇る。


 あのときのナキリにも、今目の前にいるナキリにも、嘘はないと思った。


 だから。


「――ありがとう、水留さん。そう言ってもらえて、嬉しい」


 気恥ずかしい気持ちはありながらも、素直にアラトは笑顔を浮かべる。


「こんな僕の絵でもそう言ってもらえて……」

来栖くるすは『こんな』なんかじゃないと思うけどな」


 さらっとリクがそう言ってくれるのは、心の底からそう思っているからだろう。


 そのためアラトも、世辞なしに返す。


「それを言うなら僕だって、五星君のマギカルトすごいと思う。ご両親のマギカルトとか関係なしに」


 リクが目を瞬かせる。演技以外での驚いたような表情は珍しくて、アラトは嬉しいような楽しいような気分になった。


「水留さんの書く話も、僕好きだな。前に上げたボイスドラマも色々聞いててね。きっと次も面白いんだろうな」

「次も……描いてくれるの?」

「その……僕でよかったら……」


 自分で言い出しておきながら、調子に乗っただろうかと不安に駆られ、上手く締められずに誤魔化すような言い方になってしまった。


 対してナキリは、目に見えて明るい顔になる。


「もちろんよ! アラト君にお願いしたいの!」


 勢いよく立ち上がった姿は、いつも通りの自信に満ち溢れた彼女だった。


「じゃあ早速、どういうものにするか決めていきましょう! 女性向けの評判がよかったら次も同じにするべきか……でもこれだと男性には一切聞いてもらえないのも難点よね。悩みどころだわ」


 親指と人差し指で顎を摘まむようにしながら、ナキリはぶつぶつと次について考え始める。


「よかった、水留さん、元気になったみたい」


 その様子に安堵を覚えたアラトは、こっそりリクに耳打ちした。


「そうだな。さっきまであんなに……」

「うるさいわよ!」


 声を抑えていたつもりだったが、ばっちりと聞こえていたらしい。大声でリクを遮るナキリは、仄かに頬を染めていた。


「さ……さっきのは全部忘れて! というかノックもなしに入ってこないでよね!」

「いつもいらないじゃないか。俺らが来ることだって分かってただろ」

「だって……もう来ないと思ったんだもの」


 ぷい、と顔を背けたナキリだったが、すぐに気を取り直したのか、胸の前でぐっと握り拳をつくる。


「とにかく! 次よ次! 私のことを落とした審査員が後悔するくらい、いいものを作るんだから!」


 晴れやかな表情と声音につられて、アラトとリクは顔を見合わせる。そしてすぐ、ナキリへほぼ同時に頷いた。


◆ ◆ ◆

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