第3話 マギカルトが使えなくても②

「それでは今日はぜひ、来栖くるす君にマギカルトを披露してもらいましょう」


 女性先生の声が、美術室に響き渡る。


 入学直後の生徒に、マギカルトを使える者は少ない。見本を見せてほしいという、悪気のない純粋な気持ちだったのだろう。

 それを裏付けるように、柔らかな視線がアラトに向けられた。


「え、あ、あの……」

「来栖君のマギカルト、私見た!」


 突然名指しされて焦るアラトを置いて、周囲がざわめき始める。


「入学試験のあと、絵が貼り出されてたもんな。色んな動物が絵の中で動いててさ!」

「すごかったよね! また見られるなんて……!」


 男子生徒の声からも、女子生徒の声からも、期待が溢れている。


 注目されて、アラトは瞳を彷徨わせた。


「来栖君? どうかしましたか?」


 アラトの様子がおかしいと気づいたのだろう。先生が声をかけてくる。


「ぼ、僕……」


 今なら断れる。むしろ言うなら今しかない。

 やりたくない。できない。

 たった一言だと分かっていたのに――。


「なんでもない、です」


 ぎこちない笑顔を浮かべてそう言ったのは、アラト自身が、マギカルトの使えなくなった自分を認めたくなかったからだった。


 この前一人で試したときに使えなかったのは、たまたまだ。体調が悪かっただけだ。今日はきっと大丈夫。


「じゃあ……描きます、ね」


 先生に促されるような形で、黒板の前に立つ。注目されているのを背に感じながら、ごくりと唾を飲んだ。


 落ち着け、と自分に言い聞かせ、チョークを手にゆっくりと絵を描き始めた。


 簡易的な動物の絵。賑やかに動き出し、遊ぶ姿を想像する。

 その絵を見たみんなが、嬉しそうな笑顔を浮かべるところも。


「――」


 みんなの笑顔が見たくて。

 自分の描いたものを好きになってほしくて。

 だから……。



『なんでお前だけ合格するんだよ! 泥棒のくせに!』



「っ……!」


 軽やかな手つきでチョークを走らせていたアラトの動きが、唐突に止まった。


 耳の奥に蘇った声が、アラトの心臓を壊れそうなほど高鳴らせる。指先から血の気が引いて、冷たくなるような感覚があった。


「ちが……」


 記憶の中の声へ、反射的に応えようとした。が。


「……あれ?」

「絵、描き終わったよな?」

「全然動かないね?」


 困惑したような生徒達の声で、アラトは我に返った。


「え……」


 黒板に描かれた動物達は微動だにせず、ただひたすらに、つぶらな瞳でアラトを見つめているばかり。


「あ……」


 目の前が、景色が、ぐにゃりと歪む。

 まるで足下から、世界が崩れていくかのような感覚に襲われて――。


◆ ◆ ◆


 ハッ、とアラトは夢から醒めた。

 寝転んだまま天井を見上げ、はあはあと荒い呼吸を繰り返す。


「……」


 彷徨わせた視界に映るのは、いつも過ごす寮の部屋だ。


「夢……?」


 呟いた。けれどすぐ、心の中で否定する。


 違う。あれは記憶だ。学園に入学してすぐの美術特別授業。

 みんなの前でマギカルトを使おうとして、できなかったときの……。


「っ……」


 あのとき、先生はこういうこともあると言ってくれた。いきなりみんなの前で披露するなんて緊張しただろうと。だから使えなかったのだと。


 だが実際は、違う。


 一時的なものではない。

 あのときにはもう自分は、マギカルトを――。


 表情を歪め、強く唇を噛み締めた。


 直後。


 けたたましいアラーム音に、アラトはびくっとベットの上で跳ねた。


「わぁ!」


 慌てて起き上がり、目覚ましを止める。

 驚きのあまりドキドキする心臓を落ち着かせるべく、大きく息を吐き出した。


 良くも悪くも、暗くなっていた気持ちは今ので吹き飛んでいた。


「……起きよ」


 登校の準備をするべく、アラトはのそのそとベットから降りたのだった。


◆ ◆ ◆

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