第2話 キラキラのふたり②

 マイクに声が乗る。

 鼓膜を震わせ、雰囲気を、光景を、聴いている相手に想像させる。


「俺は、お前のことが――」


 セリフの続きを言おうとしたリクの瞳が、ガラス越しのナキリを一瞥する。


 アラトもつられて、自分の斜め前にいる彼女を見た。


「うーん……」


 なんとも言えない表情で、ナキリは唸っていた。


「……ダメか?」


 演技をやめ、リクが問いかける。


「一旦止めますね」


 女子生徒が機材を操作する。


 その横でナキリは、悩むような顔のまま、マイクに顔を近づけた。


「ダメとまではいかないんだけど、何か違うというか……恥ずかしがってる感じが……」


 ナキリの中に、ある程度の答えはあるのだろう。しかし彼女自身が、それをどう言葉にしてリクに伝えればいいのか分からないようだ。


 リクもリクで、ナキリの求める答えを頭の中で模索しているのが窺えた。


「さっきからずっと、エピソード3『ツンデレの恋人』で止まってるね。僕には何がダメなのか全然分かんないや……」

「ナキリさん、こだわり強い人だから」


 同じ空間にいる内に、機材担当の女子生徒とも打ち解けた。話しかければ、彼女は苦笑を返してくれる。

 彼女は今までにも、ナキリに協力してきたようだ。収録が難航することにも慣れているらしい。


「恥ずかしがる感じが足りないのよね。淡々としてるというか。壁ドン……所謂いわゆる、好きな女の子の顔がこんなに間近にある状態で、そんなに平然としてても……」


 首を捻り、ナキリはぶつぶつと思考を整理している。


 シチュエーションを、アラトも脳裏に思い浮かべてみた。


 ツンデレ――普段はそんなことをしない男の子が、好きな女の子に迫っている。

 恥ずかしがりながら。

 恥ずかしがり屋だからこそ、いつも素直になれない男の子。


「……」


 そこまで考えて、ふと思うことがあった。

 ……そんな子が、そもそも……。


「恥ずかしがり屋なのに壁ドンはするの?」


 純粋な疑問だった。


 口にすれば、ナキリが振り返ってくる。ぱっちりとした目が、何度か瞬きを繰り返した。


「それは……」


 アラトに言われて、思うところがあったらしい。考えるように瞳を彷徨わせる。


「……そういうシチュエーションだからいいの」


 が、ぷいと視線を逸らして、そう言った。

 どことなく気まずそうな、開き直ったようにも見えるのは、果たしてアラトの気のせいか。


「恥ずかしがる……」


 相変わらず、リクも演技の方向性に悩んでいるようで、難しい顔をしていた。


「リク君、そういう経験ないの? 好きな子に対してドキドキして、素直になれない! みたいな」

「ないな」

「まあそうよね。リク君モテてるし」

「いや、女子にそういう感情を抱いたことがない。そういう水留つづみは?」

「えっ!?」


 まさか自分に話を振られると思っていなかったのだろう。聞き返されて、ナキリが素っ頓狂な声を上げる。


「わ、私だってそういうのは……だって昔から、小説書く方が楽しくて……そういうことに興味持てなかったっていうか……」


 今までの自信満々な態度から一変。ナキリの語尾が弱くなる。


「アラト君は!?」


 さらには自分から話題を逸らしたいのか、アラトに訊いてきた。


「うぇ!? ぼ、僕!?」

「何かないの!? 青春! みたいな! 恥ずかしくて好きな子と目も合わせられない! 的な!」

「な、ななな、ないよ……! 女の子の知り合いだって全然いないのに……!」


 ナキリの勢いにつられて、思わず同じくらいの勢いで首を横に振る。


「もう! ここにいるのは恋愛不適合者ばかりなの!?」


 アラトの答えが不服だったのか、ナキリは頬を膨らませた。


水留つづみもだろ」

「ええそうよ! 悪い!?」


 冷静なリクのツッコミに、間髪容れずナキリは叫ぶ。

 それから、ハア、と息を吐いた。


「……こうなったら、同じシチュエーションになってもらうしかないわね。リク君、一度こっちに来て」


 本格的に中断だ。


 ナキリはずっと押していたボタンから指を離し、リクも向こうのブースから、アラト達のところへやって来る。


「同じシチュエーション……かあ」


 先ほどからこだわりを見せていたナキリである。演技のためなら実践も厭わないらしい。


 アラトも絵を描くときに、実物を見て確かめたり、描きたいポーズを自分でやって鏡や写真で確認したりしてきた。それと似たような感じだろう。


 それだけナキリが、このボイスドラマを良いものにしたいということだ。彼女の本気には感心させられるばかりである。


 ――と、思ったら。


「アラト君、こっちに来て」

「え?」


 イスから立ち上がらされ、あれよあれよという間に壁際に立たされて。


「それじゃあリク君。そのまま、アラト君に壁ドンして」


 さらっとナキリは言った。


「へ!? わっ!?」


 それに文句を言う間もなく、顔の横に手が、眼前にリクの顔が迫ってきて、アラトは息を呑んだ。


 さすが俳優。いや、元か? どちらにせよ顔がいい。思わず硬直したまま見つめてしまう。


 異性どころか、同性とだってこんな近距離で見つめ合うなんてしたことがない。


 居心地が悪いような、恥ずかしいような。

 真正面から視線を返すのも憚られて、俯き気味になる。カーッと顔が熱くなった。


「これでいいのか?」

「ええ」


 対して、リクとナキリは冷静である。


「ちょ、ちょちょちょちょっと待って!? なんで僕なの!? 水留さんとするんじゃないの!?」


 そんな二人につられて、アラトも我に返った。

「嫌よ。そんなことしたらリク君のファンが怖いもの」


「だからってなんで僕なの!? い、五星いつぼし君、あの、顔が近くて……その……」


 狼狽うろたえるアラトと対照的に、リクは真剣な表情で微動だにしない。


「この恥ずかしがる感じよ、リク君」

「なるほど」

「なるほどじゃないよぅ……!」


 どうしたらいいのか分からず、この状況にアラトは、そんなことを言うしかできないのだった。


◆ ◆ ◆

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